
宮崎県都城市と高原市の間にある「御池」(みいけ)は初代天皇「神武天皇」ご生誕ゆかりの聖地です。
霧島最大の火口湖でもあります。
展望所から望む「御池」の先には霧島の富士山、「高千穂峯」が見えます。
また「御池」には龍神伝説があり、霧島六社権現を定めた「性空上人」(しょうくうしょうにん)が御池のほとりで修行中に九頭の神龍が現れ、上人に宝珠を渡したと伝わります。

御池をぐるりと回り、高千穂峯の中腹に向かうと「霧島東神社」(きりしまひがしじんじゃ)があります。

「霧島東神社」からの御池展望も、池を取り巻く深い森が神秘的で素敵です。

大きめの鳥居がありました。

鳥居をくぐってすぐに神龍の泉「忍穂井」(おしほい)があります。

九頭の神龍安息の池であり、

東方より女人の影が映れば異変あり、と伝わります。

境内の杜は少しピリッとした空気が流れていました。

参道途中にある、しめ縄で囲まれた祓戸(はらえど)は、

ゆるやかに風がそよぎ、ちょうど光が差し込んでいました。
とても神秘的な光景です。

2本の杉を越えた先に御本殿があります。

神門をくぐります。

境内は気高い気が充満しているかのようです。

本殿の手前には道開きの神「猿田彦神社」。

ご神鏡の存在感がなんともすごいです。

そして本殿へ。

天孫降臨の折、「瓊瓊杵命」(ににぎのみこと)が初めて祖先の神々を祀った場所と伝えられます。

霧島神宮が「西霧島宮」と呼ばれるのに対し、こちらは「東霧島宮」と呼ばれてきました。

拝殿の上にある「霧島の東に坐す」の額は島津光久公の寄進によるものです。

境内の一つ一つが神々しい。

奥に「天の逆鉾」(あまのさかほこ)の記念碑があります。

高千穂峯山頂は「霧島東神社」境内の飛び地になるそうで、そこに刺さる「天の逆鉾」は当社の神宝であるそうです。
ということで「高千穂峯」を登ってみましょう。


高千穂峯登山ルートはいくつかありますが、一番メジャーな高千穂河原を出発点とするコースを進みます。
最初は森の中を歩きますが、すぐに溶岩の砂利だけの山道になりました。

道はかなりきつく、登っても登っても砂利が足を滑らせます。

「御鉢」と呼ばれる火口が間近に見えました。

へとへとになりながらようやくたどり着いた山頂。
そこには確かに、何かが刺さっていました。

天の逆鉾は「天孫降臨」の際、瓊瓊杵命がつきたてたものと伝わります。
奈良時代には既に存在していたらしく、坂本龍馬が新婚旅行で訪れ、天の逆鉾を引き抜いたという逸話もあります。
現在の天の逆鉾は火山の噴火で折れたのでレプリカらしいのですが、地中に埋まる柄はオリジナルのものといいます。

これは僕の個人的な感想ですが、これまで訪れた、「神が降り立った場所」とされる高千穂くしふる峰の「四皇子峰」や宗像大社の「高宮斎場」などは、
緑豊かな溢れんばかりの命を感じる場所でした。
それに比べ、高千穂峰のこの天の逆鉾が刺さる場所は、転がる岩と漂う火山の硫黄臭が「死」を感じさせます。
上に向かって突き立てられた鉾は天を睨むようにそそり立ち、前者とは全く異なる雰囲気を纏っていました。

narisawa110
高千穂神社の処に大年神があるというお話を見ました。
恐らくですが、三輪氏が関係していると思われます。
まず、大年神を持ってこれるのは、島根の太田と、もうひとつ、加茂神社郡の御年神社。
奈良の三輪氏の一部が、豊後から日向に入った時期があり、大神氏(おおが)となりました。
そこから佐伯、緒方、由布、高千穂、三井田、阿南、松尾、大野氏など30氏族を生んだとあります。
実は、遺作となった、吉田先生の本のヒカルランドによる「謎の弁財天女」再販の本は、内容が特別になっており、ナガスネヒコが津軽第二王朝を作ったなど、発表されなかった未公開の部分が掲載されています。
そこに、矢追氏の直接取材した話が出ております。
高千穂が氏族名であったことに驚くと共に、記紀の太田氏系への配慮があって、高千穂に決まった可能性も出てきました。
特に佐伯系は豊後佐伯・南海部郡から日向の延岡にかけて、竜蛇系の神を祀る富ノ尾宮、飛ノ尾宮、鴟ノ尾社がかつては30社ほどあったようです。
龍蛇信仰は出雲から登尾家か加茂氏によって、九州に里帰りもしている様ですね。
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謎の弁財天女、気になりますね
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