宗像の隣の福津市、その住宅街を抜け、山の麓へ入り込んだところにひっそりと「縫殿神社」(ぬいどのじんじゃ)はありました。
応神天皇の頃、呉の国(中国)から4人の織媛が宗像にやってきます。
媛の名は兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)。
中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を日本に伝えるために、4人で訪れます。
本来は4人揃って奈良の都へ招かれるはずが、宗像神に強く求められ、この中の一人「兄媛」だけがこの地に残ることになります。
見知らぬ地に一人残った兄媛、心細く不安だったことでしょう。
しかし媛は懸命に織物の技術を村人に伝えていきます。
ここ縫殿神社は兄媛と一緒に、3人の織媛も祀ってあります。
亡くなって後も寂しくないよう、村人たちの感謝と敬愛の思いからのことでしょう。
兄媛はやがて村人たちとも打ち解け、親しくなっていきました。
やがて恋もし、結婚、その遺伝子を今に残したようです。
この縫殿神社は先述の織幡神社ともゆかりがあり、神功皇后の幡はここで織られました。
本殿の裏手に高台へと続く道がありました。
そこには本殿を眺めるように、3つの石祠があります。
何が祀られているのかは不明ですが、なんだか心が休まる思いです。
神社を後にしようとした時に、椿がそっと咲いているのを見かけました。
縫殿神社を離れてすぐに奴山の古墳群を見かけます。
そのひとつ
22号古墳に鳥居が設けられています。
その階段を上った先に
「縫殿宮」と彫られた額と祠がありました。
ここは兄媛のお墓ではないのか、と言われているところのようです。
だとするなら、媛はここでどのような夢を見ながら、眠っているのでしょう。
それが幸せな思い出に満ちていることを、願って止みません。