
「どこで間違ったというのか。」
羽白熊鷲の顔には、深いくたびれた皺が見えていた。
「地の利もあり、腕自慢の奴らも大勢いた。」
荷持田村を拠点に、周囲の山々を支配した山の王、それが熊鷲だったはず。
それが拠点をことごとく制圧され、最後の砦だった古処山からさえ、追い遣られてしまった。
今はそこから北東の益富山というところにいる。
「大和の王には一矢放ち、致命傷をあたえたはず。
なのにこの士気の高さはどういうことだ。」
山中の開けた場所に出た。
熊鷲は辺りを見回し、敵の影が見えないことを確認する。
追従する者に休息を言い渡し、熊鷲は深いため息の後、空を見た。
「もはやこれまでか」
屈辱だった。
あと半日も先に行けば、志を同じくする者の集落がある。
そこまで辿り着ければ起死回生の手がなくもない。
顔を下ろした熊鷲の目に、遥か遠くの雑木が揺れたように見えた。
ドスッと胸に衝撃が走る。
「ばかなっ」
熊鷲の胸に1本の矢が刺さっていた。
熊鷲は弓に自信があった。
その自分でも、あの距離あの場所から、的確に人を狙うのは難しい。
しかもこのいびつな矢は、どういうことか。
熊鷲は状況を理解しようと試みたが、立ち上がることもできず、そのまま仰向けに倒れてしまった。
「無念…」
見開いた熊鷲の目には、どこまでも広がる朝倉の青い空が、ただ映っていた。
胸には短かすぎる矢が、深々と突き刺さっていた。


【荷持田村】
朝倉でもひときわ高くそびえる山、「古処山」(こしょさん)。
そこは羽白熊鷲(はじろくまわし)の最大最終拠点ともいえる場所でした。
その古処山の麓にあるのが、今は秋月野鳥の「荷持田村」(のとりたのふれ)、羽白熊鷲の本拠です。

秋月といえばもうお分かりでしょうか、春に桜、秋に紅葉の名所「秋月城跡」です。

春の桜は道行く人々を優しくもてなします。

舞い散る花びらが、雪のようでとてもロマンティック。

秋月城といえば「秋月氏」が築城し、黒田長政の三男、黒田長興が大幅に改修した城です。

筑前で名を知らしめ、畏怖と崇拝を受けていた熊鷲は荷持田村(のとりたのふれ)を中心に製鉄などを営んでいたようです。
そのため人里から鉱夫をさらい、食べ物を強奪していた様子が伺えます。

「荷持田村に羽白熊鷲という者あり。その人となり、強く健し(こわし)。
その身に翼ありて、よく飛びて高く翔ける。」
近隣の山々を支配し、剛健にして俊敏な熊鷲は、英雄視する人もいたようです。

そのような栄華を極めた熊鷲にも、神功皇后軍の包囲網はじりじりと迫り、
やがて本拠地さえも追われる身と成り果てます。


【垂裕神社】
秋月城跡の奥へ進むと、「垂裕神社」(すいようじんじゃ)の鳥居が見えます。
その奥には「黒門」があります。

この黒門付近は神功皇后が敷いた七つの陣「七ヵ森」のひとつ、「梅園の森」があったといいます。

すすを帯びたような黒門。
その一帯はかつて熊鷲の拠点の一つだったのでしょう。

そこを皇后軍が占拠したのです。

この梅園の森があった場所の奥に垂裕神社の本殿があります。

最初はなだらかな斜面を歩きますが、最後に急斜面の石段がありました。

そして鳥居の奥に本殿が見えてきます。

まっすぐに伸びた参道。
ここまでくると、人影もまばらです。

秋月黒田藩の初代藩主「黒田長興」を祀ります。
わずか14歳で藩主となり、落ちぶれかけていた秋月を再興させた人です。

「神功皇后伝承を歩く」の著者「綾杉るな」さんは、この辺りは熊鷲の武器庫だったのではないかと推察しています。

拠点を制圧し、敵の武器も手に入れた皇后軍の歓声が聞こえてきそうです。



【秋月八幡宮】
秋月城跡前の桜並木を奥まで進むと、「秋月八幡宮」の鳥居があります。

そこからは少しばかり舗装された山道を進みます。

秋月八幡宮の裏手へたどり着きました。

やって来た反対側のこちらが表参道になるようです。

秋月八幡宮は「七ヵ森」のひとつ「宮園の森」がありました。

秋月八幡宮創建の由来は平安時代、朝廷に謀反を起こした「藤原純友」を追ってこの地に来た「大倉春実」が神功皇后の聖地で戦勝祈願したことがきっかけのようです。

見事「純友の乱」を平定した春実はここに宮を建て、厚く信仰したそうです。

舗装した道があるのでアクセスは容易ですが、かなり深い山の中にある雰囲気です。

そして山中にかかわらず広い平地を示すこの場所は、羽白熊鷲の祭祀場だったのではないか、ということです。

聖地さえも奪われた熊鷲軍は、一気に戦意を落としたことでしょう。


【粟島神社】
秋月城跡から南へ下って行くと、熊鷲の最大拠点だった古処山が見えます。

そこから南は谷になっていて、わずかな平野は田園になっています。
そこにこんもりとした杜があって、参道が伸びていました。

「粟島神社」(あわしまじんじゃ)です。

鳥居の先に続く参道は、どこか懐かしさを感じさせます。

綺麗な小川では、小魚の群れが泳いでいます。

田の中を通り過ぎると、階段が見えてきました。

途中休憩用のお堂があります。
そこからもう一息上ります。

見えてきました。

粟嶋神社にはかつて、神功皇后ゆかりの鎧掛けの松があったそうですが、枯れて無くなったそうです。

粟島様は女性の神様で腰から下の病気に霊験あるとのことです。


【喰那尾神社】
寺内の「美奈宜神社」の裏山の山頂にある「喰那尾神社」(くいなおじんじゃ)。
神功皇后はこの喰那尾山に陣を敷き、武内宿禰の軍略によって熊鷲を討ち取ります。

喰那尾神社は山のふもとから登っていけるようですが、車で山頂付近まで行くこともできます。
秋月カントリークラブの駐車場付近に、その入り口があるのですが、鳥居がなければここが入り口とは分かりません。

そして喰那尾神社は美奈宜神社の上宮にあたります。

階段を上ったところで、また戸惑います。
雑草が茂るばかりで道がない。
かろうじて草の薄い部分を発見、そこから中に入り込みます。

ありました、参道です。

少し行くと結界がありました。
道は合っていたと、ホッとする瞬間です。

聖域に踏み込みました。
このすぅっと気持ちが軽くなる瞬間がたまりません。

喰那尾神社本殿です。

そしてここが美奈宜神社上宮であることを示しています。

美奈宜神社は朝倉に二つあって、川蜷が一夜城を築き、川攻めで攻めたのは林田の方の美奈宜神社です。
こちらは寺田の美奈宜神社の方で、のちにまたご紹介する神社です。

ここで武内宿禰が軍略を示します。
そして皇后軍はここから一気に羽白熊鷲勢にとどめを刺していくのです。



【矢埜竹神社】
喰那尾神社から1kmと離れない場所、谷を下ったあたりに「矢埜竹神社」(やのたけじんじゃ)があります。
ここは皇后軍が竹を切って矢を補充したところと伝わります。

ここはめずらしく「下り宮」となっています。

この宮はもともと東方の高地にあったそうですが、ある時山津波で流されてしまいました。
御神体が川の淵で廻っているのを拾い上げて、
「元の場所が良いか、下方でもよいか」と伺ってみたところ、
「下方の今の場所がいい」とおっしゃったので、現在地に祀ってあるそうです。

本殿の裏に石の祠がありました。
こちらが本体のようです。

御祭神は神功皇后のほか、土の神である「埴安命」と山の神である「大山祇命」です。

境内に小さな祠がありました。
うっかりスルーしそうになりましたが、中を覗くと「神功皇后の腰掛け石」がありました。

皇后の腰掛け石といわれるものは各所にありますが、
これもまた、ただならぬ気配を放っています。

さらに境内には枯れかけて、それでもなお生き続ける御神木がありました。

ここで切り出された矢が、やがて熊鷲の胸を貫くことになるのでした。