
京都府福知山市にある「元伊勢」。
その外宮「豊受大神社」から歩くには少々距離がある、さらに奥まったところに「皇大神社」がありました。

とても長閑な、山村です。

参道入口には、「塞の神」と思われる石仏群がありました。

参道に向かうと、大きな石の階段が出迎えます。

ゆっくり足を運びますが、一の鳥居にたどり着いたと思いきや、

そこからまた階段が続きます。

この福知山の元伊勢は、「豊鋤入姫」が巡歴した「吉佐宮」の伝承地の一つと云われています。

「倭姫命世記」に、第10代崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎したと記されているそうです。

階段を昇りつめたところに立派な御神木がありました。

大江の鬼退治に向かった麻呂子親王が自ら植えた杉と伝わります。
「癌封じの樹」とも呼ばれており、触れると病気を吸い取ってくれるそうです。
奥に見えるのは、

「天真名井」です。

こちらも御神木のようで、二代杉が伸びてきています。

少し横道にそれたところに、ただならぬ気配の場所があります。

天岩戸で天照大神をお護りしたトヨイハマドの神を祀っていると書かれています。

「豊岩窓神」は「天石門別神」(アマノイワトワケノカミ)、「奇岩窓神」(クシイワマドノカミ)などとも呼ばれていて、邇邇芸命の天孫降臨に付き従った神の一柱と云います。
名前からすると豊王国系の神だと思われます。
豊鍬入姫が女王「豊玉姫」の娘「豊姫」であるということなので、息子の「豊彦」のことかもしれません。

奥に石で打つと金の音が鳴るという「カネのなる石」がありました。

手前には、これ見よがしに古墳の石室のような岩戸があります。

が、これといった説明はありません。

さて、広い境内に出ました。

そこは威厳と慈愛に満ちています。

やや苔むした、黒木の鳥居が、先は特別な場所であることを示しています。

開放的な拝殿。

ここは、天照大神が吉佐宮から伊勢へ遷座された後も、その神徳を慕った人々が引き続き皇大神宮の元宮として崇敬したと伝えられます。

また豊受大神社と同じように、無数の小社が本殿のある境内を取り囲んでいますが、その数は80社を超えるそうです。

ひときわ大きな摂社は、元伊勢・豊受大神社のように伊勢内宮の別宮と同じ形式かと思いきや、違いました。
拝殿の右手には、天手力雄神社、そして、

拝殿左手には、なんと「栲機千千姫神社」がありました。

「栲機千千姫」(タクハタチヂヒメ)といえば物部氏の祖神、饒速日・徐福の母親です。
記紀では天照大神の娘となっていますので、その話の流れで鎮座しているだけかもしれませんが、思わぬところで彼女の名を見て驚きました。

拝殿と栲機千千姫神社の間には、立派な御神木があります。

「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」と云われる「龍燈の杉」です。
正に龍が鎌首を持ち上げているかのようです。

こちらは境内にある「熊野神社」です。

本殿は横削ぎの千木をもつ、立派な社殿です。

往古から粛々と祭祀されてきたことを物語る風格。

小ぶりな磐座もありました。

さらに奥に何かあります。

「御若叡の森」(みわかえのもり)とあり、

さざれ石もありました。

これは発掘跡を保存しているのでしょうか。

ぐるりと境内を一周してきましたが、

左奥にも何か見えます。

變若水の榎と三女神社があり、

「岩長姫神社」がありました。
磐長姫といえば木花咲耶姫の姉で、悲劇のヒロインです。
なぜここに、この特別感で祀られているのかは不明です。

そばには和泉式部の塚があります。

和泉式部は貴船神社結社の磐長姫を祈願したそうですから、和泉式部に由来するのかもしれません。

さらに先に、「天龍八岐龍神社」があるようです。

八岐龍とは「八岐大蛇」のことだと思います。

八岐大蛇は古代出雲族を表していると云いますが、ますます祭神が混沌としてきています。
なので福知山の元伊勢と現在の伊勢神宮には、関連性は希薄な印象を受けますが、それがこの聖地の偉大さを損なうわけではありません。
福知山の聖地には、確かに太古からの祈りの息吹を感じました。

そしてさらに奥地へ歩みを進め、奥宮「天岩戸」へ参拝に向かってみましょう。

