
奈良の桜井市に安倍晴明が修行をしたお寺があるというので、行ってみました。
「安倍文殊院」(あべのもんじゅいん)です。

駐車場に車を停めると、丘の上に稲荷社がありました。
晴明の母親、葛の葉姫を祀る稲荷のようです。

境内に入ると「文殊院西古墳」というものがありました。
7世紀中頃の古墳で安倍倉梯麻呂の墓であると云われています。

この古墳は最も美しい古墳と呼ばれているようで、石室の石など、まるで最近できたかのような、綺麗な形でシンメトリーに造られています。
石室内には空海作の「願掛け不動」が祀られています。

安倍文殊院は、大化の改新で左大臣となった「安倍倉梯麻呂」(あべのくらはしまろ)が建立したお寺です。
かつては「安倍寺」と名乗っていて、法隆寺式の大伽藍を構える、大寺院だったそうです。
その後、「多武峰妙楽寺」の僧兵に襲撃されたり、戦国武将の松永弾正の兵火に合うなどして、消失と再建を繰り返してきました。

安倍文殊院は「日本三大文殊」の一つとして、合格祈願などで訪れる人が多いそうです。
そのため、お寺でありながら多数の絵馬が本堂前に掲げられています。
これには美しい本堂の姿が、やや残念な感じがしました。

本堂内の拝観は有料ですが、お茶のおもてなし付きでした。
まず茶室に通され、そこでお茶をいただきます。
一緒に出された落雁は「セーマン」の五芒星がデザインされ、底には餡が敷いてある甘めのお菓子です。

そして本堂に案内され、お坊さんが説明をしてくれました。
祀られている本尊は快慶作の像高7mを越す半跏の「木造騎獅文殊菩薩」です。
撮影禁止でしたので、絵葉書を購入しました。
すごい迫力です。
文殊さまもさることながら、やはりその獅子の威容に目がいきます。
小走りしているような像は「善財童子」(ぜんざいどうじ)で、こちらも有名だそうです。

お坊さんの説明では、安倍文殊院では葬儀などは行わず、このためお墓も檀家もないそうです。
祈祷などによって成り立っているようです。

ご本尊を堪能したら境内に戻ります。

手水舎は近づくと自動的に水が出るハイテクでした。

表参道の石灯籠も、中の火は電気で、点いたり消えたりしていました。

もう一つ、境内の池に浮く、美しいお堂がありました。
「金閣浮御堂」(きんかくふみどう)です。

こちらの拝観は別料金です。
文殊池に建てられた六角形の建物であり、当山出生の安倍仲麻呂および安倍晴明を祀っているとされています。

拝観を申し込むと、厄除けの「肌守り」と、七枚綴りの金色の「厄除おさめ札」をいただきます。

これはお堂の周りを7周し、

1周ごとにお賽銭箱のようなものの中に1札入れてお参りするというシステムです。

お参り後、お堂の中に入りましたが、晴明や仲麻呂の像や掛け軸がありました。

とうぜんお堂内は撮影禁止なので、他サイトさんから写真をお借りしました。
晴明の人物画は三枚しか伝わってないそうで、京都の晴明神社では一般公開されていません。
なので、ここで観れる晴明像はかなり貴重かもしれません。

浮御堂を出て奥の院があるというので目指します。

美しい「白山堂」や

弘法大師像があります。

その先に奥の院がありました。

赤い社

「晴明堂」とあります。

陰陽術などで使用する方位盤があり、

後ろに本殿があります。

社にはセーマン。

実はここは、安倍晴明が天文観測を行った場所だと云います。

かつて晴明は、ここで日本の行く末を観ていたのかもしれません。

