大鳥大社

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堺市にある和泉国一宮「大鳥大社」は、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)にゆかりある、ちょっと不思議な神社です。

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境内は鬱蒼とした鎮守の森に囲まれていて、「千種森」(ちぐさのもり)と呼ばれています。
日本武尊は死後、白鳥となって飛び立ちますが、最終的に降り立った場所がここだそうです。
その時、一晩で森が出現したと云われています。

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参道を歩くと祓戸がありました。
どこの神社でもそうですが、祓戸はちょっと神聖な空気を感じます。
ロープレでいうヒールスポットのような。

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広い敷地に出ました。
奥に見えるのは「大鳥美波比神社」(おおとりみはひじんじゃ)。
大鳥大社本殿は左折したところにあります。

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大鳥美波比神社に向かって歩いていると

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なんか石碑が隠れています。

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右手には玉垣で囲われた謎スペース。
五重塔跡という話です。

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大鳥美波比神社です。
ご祭神は、天照大神、菅原道真公。

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稲荷社もあり、ご祭神は「織姫大神」「稲荷大神」「宗像大神」「火鎮大神」となっています。
なんか込み入った組み合わせです。

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大鳥大社拝殿です。
大鳥大社は全国の大鳥神社の総本社とされます。

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本殿は切妻造・妻入社の「大鳥造」。
出雲大社造に次ぐ古い形式だといいます。

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ご祭神は、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)と「大鳥連祖神」(おおとりのむらじのおやがみ)。
大鳥連は中臣氏と同じく「天児屋根命」を祖神としていたので、「大鳥連祖神」とは「天児屋根命」のことなのかもしれません。

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日本武尊は東征し、東国を平定しますが、そのまま大和へは帰らず尾張の宮簀媛(みやずひめ)の元へ行きます。
そこで今まで自分の身を守ってきた「草薙の剣」を宮簀媛に託し、伊吹山の神を倒すため山に向かいます。

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しかし伊吹山の神に襲われ、病に倒れ、日本武尊はついに大和の地にたどり着くことはできず、「伊勢国能褒野」で薨去します。
尊の遺体はその地に葬られましたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、「大和国琴引原」で留まり、また飛び立って「河内国古市」に降りますが、
最後に「大鳥」の地に舞い降りたので、社を建てて祀りました。
これが大鳥神社の始まりだとされます。

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大鳥神社のご祭神や神社そのものを巡る変遷は、紆余曲折あったそうです。
時代の奔流に流され、神社の存続そのものが危うい時代もあったと云います。

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そうした流れのせいか、この本殿横の小さな社もそうですが、境内には意味深で不明なものが多く鎮座し、すっきりしません。

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その最たるものが、裏門から進んだところ、

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この異様な雰囲気の先にあります。

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本殿の真裏に存在する、謎の祠。

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そこには「明神影向石」という石柱が祀られています。

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とても嫌な印象を受けます。
調べて見たところ、これは「祟り神」であるという話もあるようなので、参拝には注意したほうが良いのかもしれません。

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2件のコメント 追加

  1. narisawa110 より:

    BC0辺りの製鉄遺跡、出てきましたね

    摂津に行った出雲の勢力はそこでたたら製鉄を行ったと伝承では伝わるがイマイチ裏付けが少なかったんだよね
    弥生後期の青銅鏡、大阪・和泉市で発掘 播磨や摂津と交易
    https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%bc%a5%e7%94%9f%e5%be%8c%e6%9c%9f%e3%81%ae%e9%9d%92%e9%8a%85%e9%8f%a1%e3%80%81%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%83%bb%e5%92%8c%e6%b3%89%e5%b8%82%e3%81%a7%e7%99%ba%e6%8e%98-%e6%92%ad%e7%a3%a8%e3%82%84%e6%91%82%e6%b4%a5%e3%81%a8%e4%ba%a4%e6%98%93%e3%81%8b/ar-AAQ3zhv?ocid=msedgdhp

    普及というまでにレベルじゃないんだろうけど、製鉄そのものはちゃんと昔から畿内もやってたという出雲伝承がまた一歩前進ですね。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      narisawaさん、こんにちは。
      赤谷の温泉は無事行かれましたか?コロナもあったので不自由な夏でしたね。

      この情報は知りませんでした、ありがとうございます。これはワクワクが止まりませんね。
      古代の製鉄は条件が厳しかったでしょうから、どこでもできたわけではなかったのでしょうが、機内でもちゃんと行われていたのですね。

      ようやく旅もできるようになりましたが、時間が限られていてもどかしいです。

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