鹽竈神社

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宮城県塩竈市にある陸奥国一宮「 鹽竈神社」(しおがまじんじゃ)を訪ねてみました。
ここは全国にある塩竈神社の総本社という、とても由緒正しい神社です。
鹽竈神社の主祭神は、「武甕槌神」(タケミカヅチノカミ)と「経津主神」(フツヌシノカミ)の両武神を東北へ先導した神「塩土老翁」(シオツチオジ)であると云います。

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鹽竈神社にやってくると、まず正面参道前で立ち尽くしてしまいます。
その急な石段の数は202段。

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通称「男坂」と呼ばれるこの坂を、一歩ずつ昇ると、自然と力が漲ってくるように感じます。

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途中、愛嬌ある狛犬がありますが、

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鹽竈神社は、様々な狛犬が鎮座することでも有名です。

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さて、ようやく上り切りました。
火照った体に、風が気持ち良いです。

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しかし鹽竈神社には、もう一つ隠れた参道があります。

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「七曲坂」(ななまがりさか)と言います。

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そこは舗装されていない、昔ながらの参道です。

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この道は、神聖な力を発するパワースポットだと云われています。

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 土や石がむき出しで、鬱蒼とした杜が天井を覆います。

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その名の通り、曲がりくねった道で、月日をかけて育った大樹が道の脇を固めます。

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この道は塩土老翁が通ってきた道とされていて、とても神聖な道だと云います。

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なので表参道以上のパワーを感じる場所となっています。

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七曲坂を上りきったところです。

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そこは駐車場に続く裏参道となっています。

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立派な楼門を越えていきます。

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さすが陸奥国一宮、平日も参拝者で賑わっています。

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鹽竈の神は塩だけに、浄化の力が強力だと云います。
手水の水も清らかさで溢れているようです。

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神紋は「塩竈桜」(しおがまざくら)。
境内にも植えられているこの桜は、花弁が40もあり、大輪の八重の花を咲かせる天然記念物です。
春の開花は見事な景色を生み出しているそうです。

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表参道から楼門をくぐり、まっすぐに歩むと、正面に大きな拝殿へがあります。
たいていの人は、ここが主祭神が祀られる神殿だと思うはずです。

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しかしこちらは左宮・右宮に分かれていて、左宮は「武甕槌神」、右宮は「経津主神」が祭神となります。
この二柱の神は、東北を開拓した神として茨城の北東、「鹿島神宮」「香取神宮」でそれぞれ祀られています。
武甕槌は藤原氏の神で、渡来系中臣氏ゆかりの神とされますが、本来は出雲系に連なる神のようです。
経津主は最初に九州佐賀平野を拠点とした渡来系物部氏が信奉した神です。

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東北の開拓とは、要は東北にいた「まつろわぬ民」を東征したということと思われます。
彼らを導いた塩土老翁とはどういった神だったのでしょうか。

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左宮・右宮の拝殿に対して右側を見ると、「別宮」があります。
この別宮とは一般的な意味合いとは違い、「特別・別格」の意味の別となります。
ここに塩土老翁は祀られています。

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武甕槌神と経津主神を導いた塩土老翁らは、諸国を平定した後に塩竈にやってきたと云います。
武甕槌神と経津主神はすぐに去って行ったそうですが、塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたと云うことです。

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「日本書紀」の天孫降臨の場面で、天降ったニニギが笠狭崎(鹿児島県川辺郡あたりと思われる)に至った時に「事勝国勝長狭神」が登場し、ニニギに自分の国を奉ります。
一書では、事勝因勝長狭神の別名が塩土老翁で、イザナギの子であると記されています。

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また「海幸彦・山幸彦」の神話においては、ホデリ(海幸彦)の釣針を失くして悲嘆にくれるホオリ(山幸彦)の前に塩土老翁は現れ、ホオリを龍宮へと導いています。
ここでいう「海幸彦」は1回目の徐福渡来で出雲にやって来た秦の民「海部氏」のことであり、「山幸彦」とは2回目の渡来で佐賀にやって来た同じく秦の民「物部氏」のことです。
この神話は、海部氏の一族が築いた奈良の「磯城大和王朝」を九州の物部氏が東征したことを暗喩しています。
この時、物部氏と連合した「豊王国」の「豊玉姫」こそ、龍宮の姫と語られる姫巫女であり、物部氏と豊王国を結びつけたものこそ塩土老翁であると言えます。

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物部イニエ王は薩摩に赴き、「阿多津姫」を娶ります。
この阿多津姫は、記紀に「コノハナサクヤヒメ」として記されている美姫です。
イニエ王に阿多津姫を引き合わせたのが塩土老翁であるという伝承もあり、塩土老翁とは豊王国とも親交のあった薩摩の王、またはその一族を指しているのではないでしょうか。
阿多津姫、イニエ王は早世してしまいますが、その子「イクメ王」は東征に成功し、奈良に大和物部王朝を築きます。
イクメ王は後に「垂仁天皇」と呼ばれる大王です。
「日本書紀」本文の神武東征の記述にも、塩筒老翁が東に良い土地があると言ったことから神武天皇(イクメ王の暗喩)は東征を決意したとあります。

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別宮拝殿前には、献魚台なるものがあります。
漁で最初に捕れた魚が奉納される台で、時にはマグロなどの大物が奉納されることもあるようです。

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境内には他に、藤原忠衡が寄進し、松尾芭蕉が感銘した文治神燈や、

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林子平が考案した日時計(境内にあるのはレプリカで本物は併設の博物館にある)などが見られます。

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伊達家に厚く信奉された鹽竈神社は、左右宮が仙台城に相対するように南南西を向けて建てられ、別宮は航海安全を背負うため仙台湾を背に北西に向いて建てられていて、今も仙台の地を見守っているということです。

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鹽竈神社を裏参道側から出ると、「志波彦神社」(しわひこじんじゃ)があります。

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ここは、冠川(七北田川)河畔に降臨したと云う「志波彦神」を祀っています。

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縁起によると、天智天皇3年(665年)に始めて官幣が使わされ、往古国主が重要視した大社として社家7人が居たと伝えます。
同縁起では志波彦神の由来を塩土老翁神のことと記していますが、実際ははっきりとしていないようです。

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志波彦神社は本来別の場所にありましたが、明治時代にここへ遷座し、現在は正式名称を「志波彦神社・鹽竈神社」として1つの法人となっています。

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鹽竈神社と志波彦神社の間に、祓場があります。

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その横には見事な蝋梅。

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そしてそこからさらに奥に進む道が凄かったです。

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右手には志波彦神社の本殿が見えています。

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そしてこの木。
鹽竈神社別宮にもたれかかるように横たわっています。

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大きなケヤキの御神木は「いぼ神様」と呼ばれているようです。

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木の根元には、お世辞にも綺麗とは言えない水が溜まっています。
この水を割り箸につけて、イボに塗るとそのイボが取れるという言い伝えがあり、見事イボが取れた暁には、割り箸を倍返しにしてお礼参りをするのが決まりなのだと云います。

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「奉納」と書かれた賽銭箱には割り箸で溢れかえっています。
これは賽銭箱ではなくて、割り箸の奉納箱でした。

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それにしてもこの一帯の杜の幽玄さは素晴らしい限りです。
観光客で賑わう参道からは隔絶され、ひっそりとした静けさに包まれています。
知らなければ訪れることのない場所。

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思うにここは、鹽竈神社の本来の斎場ではないでしょうか。
昔の人は、自然の奇異なるをみて神の存在を感じ取ったに違いありません。

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僕はこの古木を見て、イボ神というよりは、龍神にしか見えないのです。

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上に昇れる階段があります。
が、その階段は崩落寸前で、上るのを躊躇わせます。

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しかし立ち入り禁止とはなっていなく、好奇心に負けてそっと振動を押し殺し、上ってみました。
そこに左宮・右宮の本殿を垣間見ることができます。

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そして再び、そろりと降り立ったのでした。

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鹽竈神社は様々な有力者の庇護のもと、栄えて来ました。
奥州藤原氏に奉仕され、鎌倉幕府がよって一宮と認識され、奥州下向の将兵に鹽竈以下の神領において狼藉をしないよう命令が出されています。
また近世に入り仙台藩伊達家がよせた崇敬は特に厚く、伊達氏が当地を治めた江戸時代以降から明治時代に至るまで、歴代仙台藩主は「大神主」として祭事を司り、社領や太刀、神馬などを寄進したと云います。

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駐車場に戻る道から塩釜港が見えます。
この湾は「千賀の浦」(ちがのうら)と呼ばれ、多くの人に愛され、平安時代の歌枕として数多く登場しています。

「道のくの ちかの浦にて 見ましかば いかにつつじの をかしからまし」ー右大将道綱卿母 (藤原道綱母)ー

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浄化とパワーみなぎる鹽竈神社。

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参拝の仕上げは、名物の三色だんごで小腹を満たすと良いでしょう。

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