島原の乱【ヒルナンデス 豊臣伝説を追う歴史ミステリーの旅!】をたどる旅

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2018年2月8日放映の、『ヒルナンデス』鈴木福くん&夢ちゃんが長崎・島原へ 豊臣伝説の謎を追う!という番組を、奥さんが見ていて、「行きたいっ!」って言い出したので行ってみました。
今回は熊本の長州港から、有明フェリーで島原へ渡ってみましたが、例によってカモメ軍団の洗礼を受けました。
めっちゃカメラ目線なヤツもいます。

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さて、最初に向かったのは「島原城」。
白い五層の天守閣が美しい小ぶりな城は、日本100名城に名を連ねます。

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天守閣入り口では、天草四郎やその他武将の格好をした、ご当地武将隊がお出迎えしてくれます。
昨今のお城ではよく見る光景となりましたが、ここ島原城では、すべて麗しきお姉さんたちが扮してくれています。
つまり男装女性の武将隊なのです、うきうき。

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城内は各フロアごとに、歴史資料館の体を成しています。

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島原城は築城の名人「松倉豊後守重政」が建てたと云われています。

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637年の島原の乱では、農民たちが蜂起した一揆軍によって取り囲まれました。

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島原城は明治の初めの「廃城令」によって取り壊されます。
しかし昭和39年に天守閣が再建され、日本100名城の一つに選出されたのです。

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歴史に明るくない頃の僕は、島原の乱は、この島原城を舞台に起きたと思っていましたが、一揆軍が立て籠もった城は「原城」でした。

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その一揆軍の指導者が、かの有名な「天草四郎時貞」です。

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今回、鈴木福くん&夢ちゃん兄妹の旅は、この天草四郎が、実は豊臣秀吉の血縁者なのでは、という謎を追いかけるというものでした。

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豊臣秀吉の印に使っていた「金のひょうたん」、島原の乱の図巻によると、島原・天草の乱で天草四郎も「金のひょうたん」を掲げていたという記述が残っているそうです。

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たまたま偶然なのか、どうか。
徳川幕府に不満のある人をまとめるために、天草四郎は豊臣家の子孫であるという噂を流したのではとの見解もあるそうです。

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島原城の天守閣からは雲仙岳が見えました。
あいにくの雨模様で、曇っていますが。

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島原の名物といえば「具雑煮」。
島原城の正面にある「姫松屋」さんでも、美味しくいただくことができます。
天草四郎が天草・島原の乱で戦う時に、山のモノ、海のモノを集めてお鍋で炊いたものが由来となっていると云います。
シロナ・ゴボウ・レンコン・凍豆腐・なにわカマボコ・ちくわ・白蒲鉾・シイタケ・薄焼きの卵焼き・焼き穴子・もち・春菊・鶏肉など、13種類も入って豪華美味なお鍋ですが、実際にはそんなに豪華ではなかったでしょうね。

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さて、島原半島をググッと下っていきます。

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目指したのは「有馬キリシタン遺産記念館」。

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ここでは原城跡から多数出土されたものを中心に、島原とキリシタンの歴史的遺物が展示されています。

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この美しい石造物は「キリシタン墓碑」だそうで、ただし複製品だということです。
後ろの拓本は本物から写し取ったもののようです。

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天草・島原にキリスト教が隆盛したのは、キリシタン大名の「有馬晴信」(ありまはるのぶ)の存在があったからとも云われます。
1543年、ポルトガル船が鹿児島の種子島にやってきて鉄砲を伝えました。
当時実権を握っていた室町幕府は弱体化し、各地の領主たちが競って台頭する時代が到来します。
領主たちは南蛮船との交易を領内に誘致して武器や財力を得ようとやっきになりますが、島原に勢力を持つ有馬晴信もそのひとりでした。

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有馬晴信の居城「日野江城」(ひのえじょう)は隣接する佐賀で勢力を拡大していた熱心な仏教徒の「龍造寺隆信」(りゅうぞうじたかのぶ)の攻撃をたびたび受けていました。
その日野江城跡からは金箔がほどこされた鳥伏間瓦(とりぶすまがわら)が発見されています。
この金箔瓦は、秀吉ゆかりの家臣らの城跡や館跡、聚楽第からも大量に見つかっており、当時の中央政権と有馬氏の関わりの深さを示唆しています。
有馬晴信はイエズス会の宣教師たちに領内でのキリスト教布教を認め、自ら洗礼を受け、「ドン・プロタジオ」と名乗りました。
有馬氏は、イエズス会から支援を受けたことによって、龍造寺隆信の襲撃をしのぐことができたと伝えられています。

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天正10年(1582年)、日本を飛び立った4人の青年がいました。
大友宗麟の縁者である「伊東マンショ」、大村純忠・有馬晴信の二人と血縁がある「千々石ミゲル」他、「中浦ジュリアン」と「原マルティノ」です。
彼らは若く、先入観も少なかったので、ヨーロッパのキリスト教世界を見せて、「キリスト教と西洋文明はスバラシイ!」という認識を植え付け、日本での布教を進めることが目的でした。

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彼らは本能寺の変直前に日本を発ち、天正18年(1590年)6月20日に帰国したのですが、天下人が信長から秀吉に変わっており、びっくりしたことと思われます。
4人は西洋文明の素晴らしさを伝えるため、活版印刷機や西洋の楽器、海図などをおみやげに持ち帰ります。

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その時の印刷機のレプリカが展示してありましたが、これは聖書などを印刷し、キリスト教を布教させる目的も含んでいました。

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しかし帰国した彼らに待ち受けていたのは、キリシタンに対する逆風でした。

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信長、大友宗麟は亡くなり、秀吉によってバテレン追放令が出され、キリスト教が歓迎されなくなっていたのです。

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禁教の流れの中、4人は秀吉に仕えるよう、本人から誘われました。
主席正使で最年長の伊東マンショは、信仰を保って司祭に任じられるまでになりましたが、長崎のコレジオ(キリスト教の聖職者になるための学校)の教師として、静かに暮らし、1612年、病気で亡くなります。

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副使だった中浦ジュリアンと原マルティノも司祭にまりましたが、中浦は江戸時代、キリスト教弾圧が激しくなってからも九州各地で布教活動を行いました。
やがて幕府によって捕らえられ、穴吊るしの刑という過酷な処刑をされて殉教します。

原は語学の才能があったことから、洋書の翻訳・出版などにも携わりました。
江戸幕府がキリシタン追放令を出すと、マカオに向かい、日本語の本を出版したりして生計を立て、そのままマカオで亡くなりました。

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そんな中、千々石ミゲルだけは、ヨーロッパ訪問時に現地で見た、こき使われる奴隷の姿に疑問を感じ、4人の中で唯一キリスト教を捨てたのです。
正式にイエズス会から退会した彼は、江戸時代になって親戚の大村喜前に藩士として仕えます。
ミゲルは喜前に対して「キリスト教は異国を侵略するために使われているから、離れたほうがいい」と進言したとまで云われています。

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ただ彼は、棄教したことでキリシタンからは裏切り者とみなされ、仏教徒からはうさんくさい目で見られ、徐々に難しい立場に追い込まれて、晩年は領内で隠棲したと考えられています。
4人の青年から始まった遣欧少年使節の交流は今も続けられ、定期的に青少年たちが行き来しているそうです。

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さて、寛永14年(1637年)10月25日、島原の乱が勃発します。

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当時、島原と天草では天候不順による凶作をはじめ、地震などの天変地異に見舞われていました。

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そのような世であっても領主、松倉氏の年貢の取り立ては厳しく、キリシタン弾圧も激しさを増していきました。

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世界はまさに終末。
キリシタンになれば救われるという文書が出回り、信仰を熱くする人が集まりました。

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湯島では首謀者たちが集まり、一人の少年を象徴として祭り上げ、一揆を勃発させます。

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この首謀者たちは、島原半島の村人を巻き込みながら島原城を攻め、同時に天草では富岡城を攻撃しました。

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島原と天草の民衆は勢いを増し、約3万7千人が原城に集結し籠城します。
それを約12万人という幕府軍が包囲し、約3ヵ月に渡って攻め立てたのです。
命懸けの戦いは総攻撃の一夜で終結、立てこもった民衆たちはほぼ全員、処刑されました。

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後の発掘調査で、本丸の玄関部分である大手門付近から、人骨や破壊された石垣の石などが発見されました。
その再現レプリカが館内にありました。

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かなりリアルで、その壮絶さに息を飲みます。

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この原城跡については、過去にブログを書いていますので、そちらをご覧ください。

https://omouhana.com/2017/08/17/原城跡/

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ところで本題の豊臣伝説の真相は!
島原・天草の乱について記された幕府側の書物『耶蘇天誅記』(やそてんちゅうき)に「四郎ハ豊臣秀頼ノ落胤ナリ」という記述が残っているそうです。

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大阪城とともに命ついえたと伝わる豊臣秀吉の子「秀頼」。
しかし鹿児島の郷土史「頴娃(えい)町郷土史」に、「薩摩に豊臣秀頼をはじめ、真田幸村・木村重成など1000余人の大阪残党が逃げてきた」との記述があるというのです。

また、ヒルナンデスの調査では、鹿児島市谷山には豊臣秀頼の墓と伝わる宝塔があり、大分県速見郡には、豊臣一族の末裔とされる「木下崇俊」さんなる人物がいらっしゃるのだとか。
木下氏の話によると、大坂城落城の時に、あらかじめ作った抜け道を使って秀頼とその子国松が逃げ、薩摩で匿われたというのです
父である秀頼が死んだ後は国松は日出藩初代藩主「延俊」の養子となり「延由」と名を変えたと伝えられています。
しかもそれを裏付ける証拠もあり、大分県杵築市の「長流寺」では、木下延由の位牌の裏面に「豊臣延由」の文字が彫られているのです。

番組では、豊臣秀吉の孫に「羽柴天四郎秀綱」という謎の人物がいると言い伝えられていて、天草四郎に似たこの人物は、島原・天草の乱と同じ時期に消息不明になったと締めくくっていました。

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先ごろ完結したコミック「へうげもの」でも、秀頼と国松がそれぞれ、薩摩と豊後に逃亡するシーンが描かれていました。
まあギャグタッチのコミックではあるのですが、この豊臣伝説が元になっていると思われます。

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有馬キリシタン遺産記念館のワンコーナーに、小さくいびつな形の、鉛の十字架が並んでいました。
これらは鉄砲の弾と同じ重さであると云います。
原城跡から出土したこの十字架は、原城に立てこもった一揆勢が鉄砲玉から作ったものだとみられています。
彼らの願いは、ささやかなものだったはず、しかしそれさえも踏みにじられた歴史が、我が国にもあるのです。

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2件のコメント 追加

  1. mayutabi より:

    ああー!!具雑煮ーー!! やはり具雑煮ですよね! 食べたい!

    ちょうど、今、柳生十兵衛の小説を読んでいて、島原でのキリシタン弾圧の場面も出てきます。心痛みますね。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      知れば知るほどの壮絶さに、心悲しくなります。
      平和な今に感謝ですね。
      具雑煮の優しい味はやみつきになります。
      食後のデザートは、素朴な寒ざらしもおすすめです!

      いいね: 1人

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