八重垣神社:伝・八岐大蛇(6)

投稿日:

c051819-2017-11-16-18-00.jpg

出雲で「大社」に続く恋愛スポットで近頃有名なのが「八重垣神社」(やえがきじんじゃ)です。

p4026257-2017-05-19-23-37.jpg

「須佐之男命」(すさのおのみこと)とその妻「櫛名田比売命」(くしなだひめ)の神話に縁ある神社のひとつと云われています。

p4026268-2017-05-19-23-37.jpg

境内に入るとスタイルのいい「狛犬」が出迎えてくれます。

c051779-2017-11-16-18-00.jpg

その独特な風貌は、狛犬が作られ始めた初期のものではないかと言われています。

c051816-2017-11-16-18-00.jpg

当社が恋愛パワースポットと呼ばれるのは、ヤマタノオロチ退治の際、スサノオがクシナダヒメを隠したと伝わる森が、境内にあるからです。

c051785-2017-11-16-18-00.jpg

神話ではスサノオは、クシナダヒメを櫛に変えて、自分の髪に刺し、姫を守りながら戦ったとありますが、

c051814-2017-11-16-18-00.jpg

当社では、この奥の森に匿ったと伝えていました。

c051815-2017-11-16-18-00.jpg

つまり当社は二人の秘密の園であるということで、恋愛成就のご利益があるのかと思われます。

p4026259-2017-05-19-23-37.jpg

境内のあちこちに「夫婦椿」と書かれた椿の木を見ることができます。

p4026269-2017-05-19-23-37.jpg

この椿は「連理玉椿」(れんりのたまつばき)とも呼ばれているのですが、

p4026261-2017-05-19-23-37.jpg

これはクシナダヒメが2本の枝を植えたとされる椿で、稀に双葉の葉をつけるそうです。
それはハート形に見えるので恋愛成就の象徴となっているという、不思議な話なのです。

c051786-2017-11-16-18-00.jpg

ところで富家が伝えるところによると、徐福をスサノオの名前で記紀に書くよう頼んだのは、当時の国造「果安」だったと云います。

c051812-2017-11-16-18-00.jpg

それまでニギハヤヒとして不明確にされていた重要人物の徐福を、日本史に登場させたのは、果安の大きな功績であったと言えます。

c051787-2017-11-16-18-00.jpg

そして意宇郡の大庭に、スサノオ命を祭る最初の社「八重垣神社」が建てられました。
建てたのが、佐草家であったので、その手柄により、佐草家が上官に選ばれた、と云います。

c051813-2017-11-16-18-00.jpg

c1d-2018-05-2-19-00.jpg

e5b081e7ad92-2017-05-19-23-37.jpg

八重垣神社の境内にある蔵には、本殿の障壁画として飾られていたスサノオとクシナダヒメをはじめとする6神の壁画を見ることができます。
「板絵著色神像」と呼ばれるこの絵は、老化による剥離こそ激しいですが、それでも今なお艶めかしい姿は、十分に美しく、見るものを虜にします。
古事記編纂1300年の記念切手の一部にもその肖像画が使用されていました。

1____e5b081e7ad92-2017-05-19-23-37.jpg

社伝では寛平5年(893年)の「巨勢金岡」の作としていますが、実際の制作年代は室町時代頃と推定されています。
中央に出雲神話の主役、スサノオとクシナダヒメが描かれており、左側にはクシナダヒメの両親アシナヅチとテナヅチが描かれています。
そして右側にはアマテラスと宗像三女神の一柱イチキシマヒメが描かれています。
実はこの絵は、元は本殿の再奥にあって、神官以外は見ることができない場所にありました。

e585abe9878de59ea3e7b5b5efbc92-2017-05-19-23-37.jpg

当時はすでに古事記・日本書紀の内容が、国史として影響力を得ていました。
そして室町の頃の画家が記紀を元に、本殿を囲む壁に、この絵をしたためたのでしょう。

c1d-2018-05-2-19-00.jpg

c051788-2017-11-16-18-00.jpg

本殿裏手には奥の院「佐久佐女の森」(さくさめのもり)があります。

c051790-2017-11-16-18-00.jpg

ここがヤマタノオロチ退治の際、スサノオがクシナダヒメを隠した森と伝わる場所です。

c051791-2017-11-16-18-00.jpg

そこは確かに、神性を感じさせる杜でした。

c051796-2017-11-16-18-00.jpg

小さな森ですが、まるで結界が張られているかのように外界との空気の違いを感じます。

c051803-2017-11-16-18-00.jpg

稲田姫のおおらかな愛を感じ取れるような場所です。

c051809-2017-11-16-18-00.jpg

その最奥にある「鏡の池」。

c051798-2017-11-16-18-00.jpg

ここはクシナダヒメが飲み水として、姿見の池として使っていたという伝説が伝わっています。

c051807-2017-11-16-18-00.jpg

社務所で水占い用の白い紙を購入します。

c051800-2017-11-16-18-00.jpg

それをこの池に浮かべると、ご神託が現れるという仕組みです。
紙が早く沈むと良縁が早く叶い、遠くに流れると遠方の人と結ばれると云われています。

c051799-2017-11-16-18-00.jpg

この八重垣神社は東出雲王宮のエリアにありますので、本来は出雲王家初代の「菅之八耳」王の妻、「稲田姫」の屋敷跡だったのかもしれません。
菅之八耳は神魂神社の王宮に住んでいたと云います。
当時は妻問婚でしたので、妻は実家にいて、夫が通っていました。

c051805-2017-11-16-18-00.jpg

小さな社が見下ろす池は、人の心を見透かすような、不思議な色をしていました。

p4026280-2017-05-19-23-37.jpg

伝承が正であろうと偽であろうと、人の浅はかさとは関係なく、聖地は聖地としてそこに太古からあり続けているようでした。

c051810-2017-11-16-18-00.jpg

wpid-e585abe9878de59ea3e7a59ee7a4be-2015-11-2-06-37-2017-05-19-23-37.jpg

2件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    こんにちは。最近は八重垣神社がやっと気になるようになりました。

    やっと、というのは、大元出版シリーズを読み始めた頃は、スサノオ=徐福、出雲王家ツートップを殺めたお方という域から出れず、深掘りするなら此処ではない何処かにまずは行くべしというバイアスを勝手にかけていました。お社を実際に廻ってみて、各地の伝承などを探究していくと、そんな単純なものではないなあと、気づき始めたのがここ1年間。こちらのブログを参考にさせて頂き現地に赴くと、色々なことを気付かされるのですが、最近の五条先生自身の考察の変化の経緯にも、大変刺激を受けていますm(_ _)m

    ここ八重垣さんは、そもそも、もう何十年も初詣で家族でお参りし、毎年御札を神棚に、そして結婚のご祈祷もここでして頂いたお社です。20代そこそこの頃、今思えばよこしまな気持ちから(笑)佐久佐女の森に初めて足を踏み入れたときに、あの大杉と湿度のある(ちょっと霧もかかっていました)、辺りの雰囲気に、確かなご神域の場であることを本能で感じ取っていたにも関わらず。ここに何かある、と本気で思えたのは去年でした。

    民俗学者でその著書には賛否両論が結構分かれる柳田國男氏の提唱する、サク=クナド説は、私は最近真でないかと思えています。宍道町の佐久多神社、安来の出雲路幸神社(佐為神社)特に安来の出雲路幸神社に初めて行ったときには、何か場所的に結界のような役割があると本能的に感じました。飯梨川の西にご鎮座されているお社ですが、鳥居を出て勾配が結構ある階段を登るとすぐそこは飯梨川の土手。その前方には朝日にキラキラ輝く大山が大きく見えました。直感的にここは大山を遥拝するお社だと思いました。佐久=クナド、佐為=サイヒメ、そんなイメージです。宍道町の佐久多神社は佐倉にありますが、江戸時代になるまでは、佐久良と呼ばれていたそうです。やはり佐久=クナド大神だとすると納得します。

    八重垣神社も六所神社も佐久佐神社の比定社。佐久+佐為で夫婦神として佐久佐と呼ぶのではないでしょうか。佐久佐女とは、佐久と佐為からの、娘。と読み解けば、これはクシイナダヒメのことですか? それとも孫娘のこと?確か。。菅之八耳さまのお后がクシイナダヒメですよね。

    八重垣神社は佐草の郷にあり、これは佐久佐を表すのではないでしょうか。クナド大神と幸姫の夫婦神としてのセット呼称なのかなと。また宮司さんは佐草氏なのですね。毎年、初詣ではここに行く割には、あまりこれまで深掘りはしてきませんでした。が、佐久佐女の森は、鎮守の森。何か鎮魂というか、佐太神社の奥の母儀人基社にも似たような、ヒンヤリとした神聖な空気を感じました。そういえば、佐太神社や支佐加比売も、佐がつきますね。

    いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    さてはて、現在行方不明中の須我社のヤツミミ様ですが、このような記述があります。

    大日本地誌大系 雲陽誌 大原郡 諏訪の条 須我社

    スサノオと稲田姫を祀る神社ナリ。

    「須我社は、移転し、最終的に意宇郡佐草村に遷座。八重垣神社になった」とあります。故に社無しと書かれています。

    佐草氏は素戔嗚の子供を称する一族で、確か記紀成立後の影の上官家だったかと。この二つの神社は中々に謎の深い神社なんですね。

    いいね: 1人

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください