
「古老の伝えに云へらく、須佐之男命、佐世の木の葉を頭さして踊躍(おど)りたまふ時に、させさる佐世の木の葉地に堕ちき。故、佐世といふ。」
– 出雲国風土記 –


【佐世の森】
ついにヤマタノオロチを退治したスサノオは、小高い丘にクシナダヒメを連れだします。
そこの傍らの木の枝を手折り、これを頭に刺して勝利の歓声をあげながら踊りを舞いました。

頭に刺した木の枝は、佐世の木(ツツジ科の植物)でしたが、その枝が踊っているうちに地に落ちたことから、ここは「佐世」という地名になったと伝えられています。

雲南市大東町にある「佐世神社」がその舞台と云われています。

斐伊川流域にあるヤマタノオロチ伝承の神社などが、西出雲王家「神門臣家」の領地内にあるのに対し、この佐世神社だけが東出雲王家「富家」の領地内にありました。

ちょっと面白かったのは、境内社の社の横に稲荷社が据え付けられていたことです。

おそるおそる穴を除くと、お稲荷さんが並んでいらっしゃいました。

さて、境内には、スサノオが落とした枝が成長したといわれる巨木があります。

「佐世の森」と云われるその巨木は、幹廻り約7.6m、枝が八方に拡がり約3.8m。

四方に及ぶ椎の古木で、枯れては又芽を吹き、現在のは五代目の木と云われています。
幹は穴が空いて不思議な形になっていました。



【河邊神社】
雲南市木次町、斐伊川の川幅が広がり、大きく蛇行した西岸に、「河邊神社」が鎮座します。

ここは、クシナダヒメが懐妊されたとき、産湯に使う良い水を探し求められた御産所と伝えられています。

当地を訪れた姫は、「甚く久麻久麻志枳谷なり」(いたくくまくましきたになり / 奥まった静かできれいな谷)と言い、ここで子を儲けたのでした。

今でも産湯に使う水を取ったとされる井戸のことを「熊谷さん」と呼び、熊谷の地名のいわれにもなっているとのことですが、その井戸はどこか分かりませんでした。

ただしかし、何度も記したように、スサノオとクシナダヒメのラブロマンスは、記紀制作の過程においてできた空想の物語です。

当地も斐伊川沿いにあった、西出雲王家の部族の邑の一つだったのかもしれません。

激しい進撃を受けた西出雲王家の神門臣家は、やがて吉備王国に降伏します。

これにより、出雲王国と吉備王国は、つかの間の平和を得たと伝えられていました。
