
秋田県仙北市、みちのくの小京都「角館」(かくのだて)を訪ねてみました。

角館は、秋田の山中にポツンとある、武家屋敷を中心とした城下町です。


角館観光のメインは、上級武士の武家屋敷が連なる「内町」(うちまち)と呼ばれる通りとなりますが、まずは一番外れにある「神明社」から巡ってみます。
角館の総鎮守となります。

境内には、旅をしながら『菅江真澄遊覧記』(すがえますみゆうらんき)などを記した「菅江真澄」の終焉の地と彫られた石碑が建っています。

まるでジブリにでも出て来そうな杜です。

創建時期は定かではありませんが、中世末に戸沢氏がこの地を統治していた頃は古城山に鎮座していたそうで、現在地に奉還されて以来、ここを神明山と称しているとのことです。

境内社を過ぎ、階段を登りつくとお住まいを兼ねた社務所と社殿が見えて来ます。

まっすぐに天高く伸びた杉が目につきます。

今の本殿は、明暦2年(1658)芦名氏の後に入郷した佐竹北家によって遷座されたと伝えられています。

本殿の造りは簡素なもので、背後の大きな御神木の前に建てられていました。



神明社の社殿の横から、さらに上に続く道があります。

しばらく進むと、

ちいさな社がありました。

苔むした鳥居の先には、

当社の表参道。

社殿横に、なにかあります。

そこには土に埋まった石が祀られています。

僕にはよくわかりませんでしたが、この石が渦巻状になっていることから、当社は宇津巻天神と呼ばれています。

先には、「浜田謹吾」の像が立っています。

浜田謹吾(1854~1868)は大村の藩士で、15歳の時に父親に代わり、戊辰戦争に二番隊鼓手として参戦しました。
刈和野の戦いで戦死しています。



「かくのだて駅」から「武家屋敷通り」の内町までの通りは、「外町」と呼ばれ、町人・商人の町の名残を残しています。

外町全体としては、古い町人町からは様変わりしていますが、一部には町家、蔵を備えた商家、かつての町屋形式を残す妻入りの家屋などが残っています。
外町は町家がひしめき合っていたので、火災の被害は甚大でした。
そのため、明治に入ると、店鋪は次々と防火対策をした土蔵造になります。

その中でも、安藤家の煉瓦造りの蔵はひときわ目を引きました。



田町に残る武家屋敷「西宮家」(にしのみやけ)です。

西宮家は、秋田藩主佐竹氏直臣の家臣団の一員でした

屋敷内は、多くの巨木に包まれています。

敷地内は広く、拝観は無料ながら、見所がたくさんあります。

大正ロマンの雰囲気が全体に漂う素敵な場所でした。

西宮家の向かいには新潮社を創設した佐藤義亮の顕彰を目的に設けられた「新潮社記念文学館」があります。


「たてつ家」は外町の商家で、当時の生活用品や見事な庭を、無料で公開されています。


外町の一角に、「角館祭りのやま行事」で使われる、ヤマが展示されていました。
祭り当日は、これらのヤマが、町内を縦横無尽に曳き回されるそうです。
