文武天皇大宝元年、帝の夢に阿弥陀が出現し告げた。
「佐伯有若を越中の国司にすれば、国家は安泰となろう」
帝はすぐに、有若に勅命を出し、彼は嫡男・有頼とともに、越中国へむかうことになった。
ある日、辰巳(東南)の方角から白鷹が飛来し、有若の拳に止まるということがあった。
有若は、この白鷹を愛育し、有頼は父に請うて鷹遊びへ出かけた。
ところが、ふとした弾みに有頼は白鷹を逃がしてしまい、必死に探し求めたが見つかることはなかった。
「父上に顔向けができぬ」
有頼が途方に暮れていると、森尻の権現が目の前に現れ伝えた。
「辰巳の方角を尋ねるべし」
すぐに辰巳の山奥へ向かった有頼は、そこで一人の老人に会う。
老人は、「白鷹は、いま横江にいる」と教え、自分は「刀尾天神」であると告げた。
有頼が、さらに探し求め行くと、今度は熊に遭遇した。
恐れた有頼は急いで熊を射ると、熊は逃げ出し、「玉戸の窟」と呼ばれる洞窟へ入っていった。
有頼が後を追って窟へ入ると、そこには阿弥陀の仏像がある。
薄暗い中で目を凝らし見ると、仏像の胸に有頼の矢が刺さっており、血が流れていた。
阿弥陀は有頼に告げる。
「我は衆生を救済するため汝を待っていた。鷹は剣山刀尾天神、熊は我である。
はやく出家して当山を開くが良い」
-『和漢三才図会』-
霊峰立山。
黒部ダムで有名な黒部アルペンルートの終着地点「室堂」へとやってきました。
2度目の室堂も思い切りガスっています。
立山は中部山岳国立公園の特別保護地区および特別地域に指定されており、一般車の乗り入れが禁止されています。
なので指定の乗り物を乗り継ぎ、いくつもの景勝地を通って、雲上に広がる立山黒部の雄大な大自然を満喫することになります。
今回僕は、富山駅までレンタカーで向かい、ケーブルカーと高原バスを利用するルートをとりました。
急斜面を一気に登るケーブルカーの所要時間はわずか7分。
しかし高原バスは約1時間の移動時間がかかり、またタイミングが悪いと更に1時間近い待ち時間を求められます。
運賃もまあ、なかなかなもの。
ともあれ、無事に室堂へたどり着いたのです。
室堂ターミナルは日本最高所に位置する駅。
アルペンルートで最大の規模を誇るレストランや、ティーラウンジ、展望テラスなど施設が充実しています。
早速足を進めたいと思います。
前回も思いましたが、室堂付近は愛らしい高山植物の天国で、散策する者の目を楽しませてくれます。
立山の8合目にあたる室堂は、標高2450m。
8月の真夏でも肌寒く感じます。
ここから山頂までは約2時間から3時間ほどの登山となりますが、この日僕が室堂に到着したのは午後4時。
曇天ということもあって既に薄暗くなっています。
つまり、今日はこの先の山小屋に1泊させていただき、翌朝登頂を目指すという計画です。
万年雪の残る霊山なので、雪渓の道もあります。
遠くガスで煙った先に、今日の目的地が見えてきました。
この日の予報は雨でしたが、なんとか登山中は雨に濡れずにすみそうです。
祓度社がありました。
頭を垂れ、身を清めます。
山小屋「一の越山荘」までは、石畳の整備された道を登りますが、前半こそなだらかなものの後半の傾斜はきつく、空気の薄さも相まってずいぶんくたびれます。
一の越山荘に着く頃、雨が降り出しました。
標高2700m。
明日登る残り300mの怪物が、目の前に聳えていました。
一の越山荘さんは、山小屋です。
基本的に予約なしでも宿泊を断られることはありません。
なぜなら遭難してしまうから。
しかし気持ちよく利用するなら、やはり予約しておくべきです。
山小屋などでは相部屋で寝泊まりすることも多いのですが、こちらでは極力個室をご用意していただけます。
設備としてはとても清潔な共用トイレと、雨などで濡れた衣類を乾かす暖房の部屋、それと食堂・売店があるのみです。
風呂はありませんので、ボディ用のウエットタオルでさっと汗を拭き取り着替えます。
テレビは食堂にあるのみ。
快適な宿泊を望むなら、室堂付近の立派なホテルなどを選ぶべきでしょう。
温泉も付いてます。
しかし眼前に頂を見る山小屋ならではの味わいが、当山荘にはあります。
あとたった1時間の登山で、山頂まで至ることができるのです。
お待ちかねの夕食はシチュー。
懐かしい給食のようですが、なぜかこれがとても旨い。
ご飯はおかわりできます。
朝5時、カメラとストック以外は小屋に預けて登山開始です。
一の越山荘を宿に決めた理由の一つが、山頂からご来光を拝したい!というものでした。
が、昨夜は雨風が戸を激しく打ち付ける有様。
朝4時には雨も治まったので恐る恐る外に出てみましたが、当然真っ暗で、ヘッドライトをつけると今度は真っ白、ガスってました。
これは遭難するパターン。
ってことで少し明るくなる5時の出発となったのです。
石だらけの荒野をよじ登ります。
道は赤い印が頼りです。
きつい、そして寒い。
振り返れば、眼下に一の越山荘が見えます。
登山、というよりクライミングのような感覚。
一応二本足で登れますが、滑って手をつく場面もあり、手袋か軍手は必須です。
横を見れば、空が浮かんでいました。
立山山頂に至る登山は、室堂まで乗り物で来ることができ、登山道も分かりやすいのでビギナーでも楽しむことが可能です。
しかし標高3003mの霊峰、修験の山であることに変わりはないので、なめてかかると命に関わります。
登山靴とストック(杖)、しっかりとしたレインコート、手袋、水、くらいの準備は必須です。
また、3000m級の山では酸素が薄いので、慣れてない人はその対策も重要です。
ふうっとガスが晴れて、目的地の建物が見えました。
距離はおそらく大したことないのでしょうが、勾配のきつさと空気の薄さが、果てしなく遠い道のりのように感じさせます。
眼下には美しい室堂平が見渡せました。
みくりが池や地獄谷も見えています。
往古より祈りを紡ぎ続けた修験の道。
ようやく山頂に到着です。
そこにあるのは、夏の間、宮司さんらが寝泊まりする社務所、
それと聖地「雄山神社 峰本社」(みのほんじゃ)です。
朝5時45分。
日の出は5時10分頃でしたが、当然のことながら、ご来光を拝することもできず、
せめて峰本社へ参拝をしたいところ。
しかしそれがそうもいきません。
山頂の峰本社を参拝するには、社務所で500円を納めなければなりません。
が、社務所はまだ閉まっています。
峰本社には7月1日~9月30日の間しか参拝できません。
登拝期になるとこの社務所には神職や巫女が住み込みで詰めておられ、守札や御朱印などの授与を行ってくださいます。
天候の良い日であれば、ご来光とともに社務所も開かれるのですが、今日のような天候の悪い日は朝6時に開くのだそうです。
今しばらく待ってみることにします。
古来、富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されて来た霊峰立山。
『富山県史民俗編』によれば、戦前までは在地の子らは、早ければ15歳の若者入り、遅くとも18歳の元服までに立山登拝を一種の通過儀礼とする習わしがあったそうです。
それは当然、今のようななんちゃって登山ではなく、麓からの登拝であったことでしょう。
この習わしは富山県下で今も、学校登山の形で受け継がれ、小学生などが登拝を行うのだそうです。
朝6時、社務所が開き、いよいよ登拝が叶います。
社務所で500円を収めると、このような札を頂きました。
『富山県史 民俗編』によれば、登拝者が下山する際には赤い長旗をみやげとして買ったり、あるいは赤い長旗を立てて下山したと云います。
この赤札がその赤い長旗の代わりなのでしょうか。
門が開かれ、立山の真の聖域へ、足を踏み入れます。
足場は決してよくなく、風も強いので注意が必要です。
なんという神威。
わずかな平地に鎮座する峰本社。
強風吹き荒れ、一歩足を踏み外せば奈落の底です。
宮司さんが登拝者へ登山安全を祈祷してくれます。
僕も砂利の上に正座し、一緒に拝させていただきました。
屋根に積まれた石が印象的です。
登拝者は、途中の河原で石を拾って、峰本社の傍らに供え、前庭に敷きつめたのだそうです。
これは、立山と加賀の白山が背比べをしたとき、立山が馬わらじの厚さだけ低かったので、里人が石を持っていき、立山を高くしたという伝承に由来するのだとか。
敷き詰められた玉石の中には、名前や願い事が書かれたものもあり、祈願成就のために納められたようです。
それにしても、なんと神々しい体験でしょうか。
ご来光こそ拝めなかったものの、念願だった素晴らしい立山登拝が叶いました。
しかし御神職が今日は台風並みの強風だと呟かれたように、今にも吹き飛ばされそうだったのですぐに社務所に避難しました。
御朱印とともにいただいた「立山牛王印」は、中央に開山縁起に出てくる白鷹と黒熊が図案化されていました。
山を降ります。
下りは黄色い目印を頼りに。
滑ったり、下りの方がより危険ですが、気分的には余裕も生まれ、可憐に咲く山リンドウなどが目に入ります。
先ほどよりも視界がひらけてきました。
下りの事故防止のためにも、ストックは必須です。
一の越山荘に戻って朝食をいただきました。
冷凍の納豆と自ら焼くスタイルの目玉焼きが斬新でした。
一の越山荘を後にし、室堂ターミナルを目指します。
帰り道、優しいお顔の地蔵や
可憐な花が見送ってくれます。
ターミナルに行く前に少し寄り道。
室堂山荘の手前に
当地の名の由来「立山室堂」があります。
室堂とは江戸時代の建物のことで、元来は修験者が宿泊または祈祷を行った堂だということです。
建材として美女平のタテヤマスギが使われており、国の重要文化財に指定されています。
そしてこの室堂のすぐそばに、立山信仰の始まりの地があります。
滑りやすい砂利道を下ること5分、
板状節理の岩盤の下に
それはありました。
二つの洞窟が並び、手前が「虚空蔵窟」、
奥が「玉殿岩屋」と思われます。
熊と白鷹に導かれた佐伯有頼が、熊から変身した阿弥陀如来に立山を開くように告げられたのがこの岩屋だと伝えられます。
江戸時代までは修行者の聖地であり、のちには登拝者の宿泊所にもなっていました。
上を見上げれば、なるほど神でも舞い降りてきそうな雰囲気です。
室堂ターミナルに戻ってきました。
そこに「玉殿の湧水」があります。
『立山開山記』にも記載されるこの湧水は室堂一帯を潤してきました。
昭和43年(1968年)、立山黒部アルペンルートの立山トンネル掘削作業中に噴出したこの水は、市販されている湧水では全国で一番高いところで採取されており、名水百選の一つにも指定されています。
実際は帰り道ではなく、登山前に水筒に汲んで持っていきたいところです。
もう一箇所忘れずに立ち寄りたいのがターミナル内に展示された、「雄山神社峰本社旧社殿」です。
現在の立山山頂の峰本社は、平成8年に新しく再建されました。
その際に解体された旧峰本社を復元、展示したものがこれです。
旧峰本社本体以外にも様々な資料が展示してあり、より深く峰本社を理解できます。
約135年間、風雪に耐えてきたその御姿、素通りするには惜しいもの。
無料で見学できますので、ぜひ、お立ち寄り下さい。