愛知県一宮市奥町に「尾張猿田彦神社」(おわりさるたひこじんじゃ)がありました。
尾張国一宮といえば、ホアカリを祀る「真清田神社」(ますみだじんじゃ)がありますが、そこから5kmほどやや北寄りの西に当社は鎮座しています。
伊勢では猿田彦の遣いはカエルとされているからでしょうか、カエルの置物がたくさんありますゲコ。
元々は木曽川河川敷の大巻山に慶長14年(1608年)より鎮座していたそうで、今はその地を奥宮と称しています。
主祭神は「猿田彦大神」で、「天宇受賣大神」「末廣稲荷大神」「塩竈大神」「独尊大神」を配祀します。
尾張猿田彦神社は神社本庁には所属しない単立神社で、平成17年(2005年)に宗教法人としての設立登記がなされました。
とても小さな神社ですが、縁結びなどのご利益を求めて、たくさんの参拝者がいらっしゃるようです。
社殿を回り込むように裏手に行くと、砂山が設えてありました。
幸い、僕の心が清らかでしたので、砂山がおっぱいには見えることはなく、安心しましたゲコ。
尾張猿田彦神社の奥宮は、木曽川左岸の通称「大巻山」(おおまきやま)と呼ばれている猿尾(さろう)の中ほどに鎮座しているとのことでしたので、やって来ました。
大巻山、またしても山か、と思いましたが、軽い丘の松林でしたので、登山にならずに安心しました。
木曽川は元々「尾起川」(おこしがわ)と呼ばれ80mほどの川幅だったそうですが、天正14年の大洪水により、一晩で現在の川幅(奥町で700m以上)となったということです。
以後何度も大洪水が起こり甚大な被害が繰り返されたため、流れを弱める目的で猿尾を石と土砂で山の様に作りました。その長さが百閒(180m)あったことから「百閒猿尾」といわれるようになったそうです。
『大巻山』の所以は、当地の南側で常に大きな渦を巻いて川が流れていた風景から称されたそうです。
また大巻山は、旧渡船場の南に位置する神領地で、神宮御遷宮の際、筏の御用材が伊勢湾に入る前に綱を締め直す場所でした。
伊勢湾に出た後もご用材が無事届くようにと、導きの大神である猿田彦大神が祀られたと伝えられます。
さて、僕がこの尾張猿田彦神社奥宮に来たのは、天女さんのアドバイスがあったからでした。
緑の点々、これは白山神社になります。
白山社に囲まれて、猿田彦が封印されているのではないか、とのことでした。
もう少し広域に見てみると、こんな感じです。
霊峰・白山が近いとはいえ、確かに気になる社数です。なんじゃこりゃ。
ただ、尾張猿田彦神社奥宮が白山社に取り囲まれているかというと、僕にはバッテンのようなライン上に白山社は鎮座しているように見えます。
猿田彦もさほど古い時代から鎮座していたようではありません。
そこでこのバッテンに桐彦マップを重ねてみると、
そのクロスしたところには、あのお漬物の神様、「萱津神社」が鎮座していました。
そして奥宮には「千勝神社」に猿田彦大神が、「宇受売神社」に天宇受売大神が祀られているのですが、あれ?
千勝神社といえば、千鹿頭神社だって今井野菊さん言ってなかったっけ?
「あわわ」。
この千勝神社ですが、この当て字の時だけ、エリアが太平洋側のみ、それも豊橋と、関東近縁になる様です。長野県にはありません。
ミナカタと言うよりは、まるで豊彦のエリアの様な分布ですね。
祭神はバラバラの様でもありますが、やはり一番多いのか猿田彦
イザナミとイザナギの本当の息子にして、そういう意味では本来の天照とも言い換えが出来る神。
しかし、配置的には何の道案内はしてはおらず、家名を隠したい旧家の事情とか、母系への養子入りの様な変遷を感じる神社ですね
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なるほど、豊ですが、確かに。
尾張なので海部の影響もあるのかなと思いましたが、何故この場所に千勝社なのだろうかと思います。
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