日本最古の学校「足利学校」に入学してきました。
足利学校は足利氏宅跡である「鑁阿寺」のすぐ隣にありました。
その敷地の半分は堀に囲まれています。
堀越しに見える大きな茅葺の建物は「庫裡」(くり)です。
庫裡は竃のある土間を有する台所に当たる建物のこと。
庠主や学生の日常生活の場として使われていました。
味のある門がありましたが、こちらは裏門です。
入場は正門の「入徳門」に周らないといけません。
足利学校は日本最古の学校として知られる国指定史跡ですが、その創建については資料が失われ、諸説・論争となっています。
「入徳門」(にゅうとくもん)です。
足利学校に入る最初の門となります。
本来は寛文8年(1668年)徳川4代将軍「家綱」の時の創建ですが、天保2年(1831年)の鑁阿寺安養院(あんよういん)の火災により焼失。
現在のものは明治の中頃に裏門を移転修築したと伝えられています。
ここで入場料を支払いますが、チケットが入学証になっているあたりが面白い。
敷地内に入ると「孔子」の立像があります。
釈迦、キリストとともに世界の三聖人の一人として崇められている孔子は、儒教の開祖として歴代の皇帝に尊崇されてきました。
稲荷社があり、
「学校門」が見えてきました。
学校門は寛文8年(1668年)に創建され、
足利学校の象徴的な門となっています。
学校門の先には左手に「遺蹟図書館」(いせきとしょかん)があります。
明治36年(1903年)に発足、大正4年(1915年)に開館しました。
貴重な資料が保管されており、この日は令和をはじめとする元号に由来する国宝級の書物を展示してありました。
正面には「孔子廟」があるのですが、残念ながら修復中でした。
孔子廟はその名の通り、孔子を祀ってある廟で、「聖廟」とも呼ばれています。
天文4年(1535年)に収められたとする「孔子座像」と、創建者と伝えられる「小野篁公」(おののたかむらこう)の像が安置されているそうです。
孔子廟から右手に折れて進むと、「方丈」「書院」「庫裡」からなる、足利学校の心臓部が見えてきます。
こちらの細長い建物は、僧房または学生寮の役割を果たしていた「衆寮」(しゅりょう)。
建物内へは庫裡の入り口から中に入り、方丈、書院と廊下伝いに拝観できるようになっています。
中は往時の建築様式を見ながら、足利学校に所縁ある品々の展示を拝観できるようになっていました。
足利学校は現在地である「下野国足利荘五箇郷村」にあったことは確認されていますが、明治初期には孔子廟などわずかな建物があるだけで組織は存在せず、明治5年(1872年)に廃校になっていました。
割と最近である平成2年(1990年)に方丈や庭園が復元され、今のように公開されるようになったということです。
先にも記したように、創建者については解明されておらず、諸説あるなかでも「足利義兼」が最有力説となっています。
室町時代の前期には衰退していた当校ですが、永享4年(1432年)に「上杉憲実」が足利の領主になってからは、自ら再興に尽力し、再び教育が盛り上がりをみせました。
応仁の乱以後も戦乱の世に学問の灯を絶やすことなく、学徒3000人以上を輩出したと云われています。
その足利学校の様子を、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」は「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」「坂東の大学」と海外に紹介したほどです。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、後北条氏と足利長尾氏が滅び、庇護者を失うことになった足利学校は衰退しますが、新領主である徳川家康の保護を得て、なんとか存続することができました。
江戸時代に入ると、足利学校は100石の所領を寄進され、江戸時代中期にかけて再び繁栄を迎えます。
江戸時代中期以降は朱子学が伝わってきたこと、また平和の時代が続いたことで易学、兵学などの実践的な学問が好まれなくなりました。
やがて足利学校は学問を学ぶ場としての性格は薄れ、貴重な古典籍を所蔵する図書館としての役目を果たすのみとなっていきました。
明治維新後、足利藩は足利学校を藩校とすることで復興を図りますが、明治4年(1871年)の廃藩置県により、足利学校の管理は足利県(のち栃木県に統合)に移り、明治5年(1872年)に至って廃校となりました。
廃校後は敷地の半分は小学校に転用され、建物の多くは撤去されることになりました。
蔵書も散逸の危機に瀕しましたが、旧足利藩士「田崎草雲」らの活動により、孔子廟を含む旧足利学校の西半分とともに地元に返還され保存される事になります。
大正10年(1921年)、足利学校の敷地と孔子廟・学校門など、現存する建物は国の史跡に指定。
1980年代になり、小学校の移転、史跡の保存整備事業が始められました。
そして平成2年(1990年)に建物と庭園の復元が完了し、江戸時代中期のもっとも栄えた往時の姿を蘇らせた、現在の「史跡・足利学校」となったのでした。
平成27年(2015年)には「近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―」のひとつとして、日本遺産に認定されています。