大麻比古神社:八雲ニ散ル花 忌部番外篇 04

投稿日:

c020639-2019-12-16-07-15.jpeg

徳島県鳴門市の「大麻比古神社」(おおあさひこじんじゃ)を訪ねました。
阿波国一宮として知られ、阿波国・淡路国両国の総鎮守、また徳島県の総鎮守として信仰を集め、地元の人からは「大麻さん」と呼び親しまれる神社です。

c020587-2019-12-16-07-15.jpeg

一の鳥居から続く長い参道を進むと、朱色の「祓川橋」があります。
一の鳥居からも見えていた奥の山は「大麻山」で、その頂部に当社の奥宮が鎮座します。

c020588-2019-12-16-07-15.jpeg

総鎮守にふさわしい、おおらかな気配がします。
社伝によれば、神武天皇の御代、「天太玉命」の御孫の「天富命」が「阿波忌部」氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが当社の始まりだと云います。

c020589-2019-12-16-07-15.jpeg

謎の多い忌部氏ですが、「天太玉」は東出雲王家・事代主の息子、鴨王「天日方奇日方」(アメノヒカタクシヒカタ)と共に、葛城に移った玉造の人間です。
忌部氏は東出雲王家本家の「富家」の分家であり、王族の証として欠かせなかった「玉・勾玉」の制作を一手に引き受けていた氏族でした。
太玉の出雲での住居跡には「忌部神社」が建てられ、大和での本拠地には「天太玉命神社」が建てられています。

c020590-2019-12-16-07-15.jpeg

「天富命」(あめのとみのみこと)のことはよく分かりませんが、神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした人物と伝わっています。
名前からして富家の人であるように思われますが、天太玉の孫とされているあたりが、本家・分家の関係から腑に落ちないところです。
橿原宮の造営に関与したということは、「八咫烏」登美家の人間かもしれません。

c020592-2019-12-16-07-15.jpeg

忌部氏は手先が器用な技術的・祭祀集団で、「櫛明玉命」を祖神として玉を貢納するする玉造の出雲忌部が本家になります。
そこから派生したと云われる地方忌部には次のようなものがあります。
「讃岐忌部」(香川):「手置帆負命」(たおきほおいのみこと)を祖神として、竹や盾を納めた
「阿波忌部」(徳島):「天日鷲命」(あめのひわしのみこと)を祖神として、麻・木綿(ゆう)を納めた
「紀伊忌部」(和歌山):「彦狭知命」(ひこさしりのみこと)を祖神として、宮殿の木材を納めた
「伊勢忌部」(福岡・三重):「天目一箇命」(あめのかひとつかのみこと)を祖神として、鍛冶に携わった
その他にも、隠岐島(島根)、備前(岡山)、越前(福井)、淡路(兵庫)、安房(千葉)などにも忌部氏が居たと云われています。

c020625-2019-12-16-07-15.jpeg

境内の真ん中には、樹齢1,000年以上と云われる御神木の大楠が立っています。
幹回りが8.3m、高さは22mあるそうで、鳴門市指定の天然記念物になっています。

c020627-2019-12-16-07-15.jpeg

霊気を放つその幹は、どことなく「サルタ彦」を連想させるものでした。

c020597-2019-12-16-07-15.jpeg

c1d-2019-12-16-07-15.jpg

c020596-2019-12-16-07-15.jpeg

大麻比古神社の祭神は「大麻比古神」であり、これは天太玉命のこととされています。
また配祀神として「猿田彦大神」が祀られ、 古くから大麻山山頂に祀られており、のちに合祀されたと伝えられます。

c020598-2019-12-16-07-15.jpeg

しかし当社の祭神には変遷があり、古くは猿田彦大神が主祭神として祀られていたのだと云う説があります。
これに対し、神社側では猿田彦大神は大麻山山頂にあったのを合祀したもので本来の主祭神は天日鷲命であると主張しており、実際に明治以前は天日鷲が主祭神として祀られていました。

c020599-2019-12-16-07-15.jpeg

一般社団法人「忌部文化研究所」のサイトによると、林博章氏の研究による一考察として、阿波忌部族は弥生後期から古墳前期(3~4世紀)にかけて、吉野川流域を中心にその勢力を展開し、海部家と力を合わせ四国東部の阿波地域を拓いたと説明しています。

c020600-2019-12-16-07-15.jpeg

とするなら、大和初代大王に天村雲が就任して以後、出雲家において重要な地位にいた「忌部家」と大王家に血縁深い「海家」が手を組み、四国吉野川流域を中心にその勢力を広げたということになります。

c020601-2019-12-16-07-15.jpeg

彼らの勢力は大和国にも大きな影響を与え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住などにおいてその高い技術を持ち合わせていた様子が思い浮かびます。

c020604-2019-12-16-07-15.jpeg

拝殿を周り本殿側へ。

c020605-2019-12-16-07-15.jpeg

裏側へ続く道があります。

c020603-2019-12-16-07-15.jpeg

そこには大麻山山頂の奥宮へ続く道もありました。
大麻山の標高は538m、山頂までは約2km90分の道のりで、今回の登拝は諦めました。

c020606-2019-12-16-07-15.jpeg

本殿裏には「豊受社」、

c020622-2019-12-16-07-15.jpeg

「山神社」、

c020610-2019-12-16-07-15.jpeg

祭神不詳の「中宮社」などが鎮座します。

c020615-2019-12-16-07-15.jpeg

他にも小さな眼鏡橋や、

c020617-2019-12-16-07-15.jpeg

大正8年(1919年)、第一次世界大戦の捕虜として板東俘虜収容所に収監されていたドイツ兵が帰国の際に建設した「ドイツ橋」などもあります。

c020618-2019-12-16-07-15.jpeg

c1d-2019-12-16-07-15.jpg

c020623-2019-12-16-07-15.jpeg

ところで、当ブログ「偲フ花」にコメントを寄せていただいている「NOKANAN」さんとのやり取りの中で、僕が「大麻山」を「朝山」と勘違いする場面がありました。
そこでふと、本当に古来は「大朝山」だったのではないか?と思い至りました。
阿波忌部は、麻や榖の殖産に長けていたので、その拠点にある山を大麻山と呼んだものと思い込んでいましたが、古来出雲族には太陽信仰があり、朝日が昇る形の良い山を「朝山」と称することがあったことを思い出します。

c020624-2019-12-16-07-15.jpeg

徳島とこの大麻山を挟んで北側にある香川は、「金毘羅宮」があるように、古くは出雲王国圏でした。

c020620-2019-12-16-07-15.jpeg

であれば、阿波忌部が当地にやってくる以前から、ここには出雲信仰があったのではないでしょうか。
つまり大朝山にサルタ彦が祀られていた、ということも頷ける話になるのです。

c020621-2019-12-16-07-15.jpeg

さらに言うなら、粟を植えたところよく実り、阿波国(粟国)の由来になったという、四国吉野川に浮かぶ日本最大の川中島「粟島」(善入寺島)は、ひいてはお隣の「淡路島」も、かの事代主が神の国へと旅立った出雲の「粟島」に由来すると言うのが真相ではないか、と思わずにはいられません。

c020614-2019-12-16-07-15.jpeg

c1d-2019-12-16-07-15.jpg

c020630-2019-12-16-07-15.jpeg

阿波忌部は当地に基盤を築いたのち、一部は天富命に率いられ、黒潮で房総半島に渡り、麻や榖を植え開拓しました。
榖が実った地は結城郡、麻が良く実った地は総国と呼ばれます。
上総・下総の「総」は麻の古語です。
やがて彼らは安房忌部を名乗り、安房国を築き、太玉命を祀る安房社を建てたと云われています。

c020631-2019-12-16-07-15.jpeg

境内の外れ、駐車場の脇に天照皇大神を祀る「西宮社」がありました。

c020633-2019-12-16-07-15.jpeg

最高神を祀る社にしてはささやかでしたが、

c020634-2019-12-16-07-15.jpeg

その小さな社をたくさんの山の神が見守っていたのでした。

c020637-2019-12-16-07-15.jpeg

2403e5a4a7e9babbe6af94e58fa4e7a59ee7a4be-2019-12-16-07-15.jpg

15件のコメント 追加

  1. 匿名 より:

    出雲口伝は簡単に論破できてしまいます。
    金儲けの妄想創作話ですよ。

    いいね

    1. 五条 桐彦 より:

      論破は結構ですが、富氏はおよそ、金儲けとはほど遠い方です。
      こういったコメントを残されるのは、決まって皆さま名乗られないでいらっしゃる、無粋な方々のようですね😊

      いいね

  2. Yopioid より:

    興味深いです。旧支配者の処遇が、新支配者によって、まるで違った歴史を捏造されて隠滅されてゆく様子は見ていて誠に痛々しいものがあります。社会の常といえばそうですが。四国から何らかの理由で安房にやってきてチバラギ圏に勢力を持った忌部氏の説を信じたいです。匝瑳市の八重垣神社に行ったことがあります。もとは牛頭天王社で、出雲の神を祀ってる古い神社らしいです。詳しいことはよくわかりません。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      歴史の書き換え、捏造は本当にあるようで、お隣の国ではウソも100回言えば本当になるのだとか。
      出雲王国と宇佐王国は縄文から弥生期の日本の偉大な国でしたが、記紀編纂の際に存在を隠されたようです。
      その際、全国の神社の祭神を徹底的に上書きさせたようですね。

      いいね: 1人

  3. たぬき より:

    大麻山の真西には讃岐の大麻山が有ります。
    少し南には象頭山(元々、サルタ彦大神(象頭神)を祀った由縁かと思います。)、金比羅本宮。
    金比羅本宮の真東には鳴門の金比羅宮(阿波、淡路二国総鎮守)

    剣山から見て鬼門、北東45度に大麻山/大麻神社。同じラインには淡路一宮、幽宮イザナギ神宮。

    このラインは南は宮古島から北の最果ては知床半島迄貫く日本最長のレイライン。
    その中間地点がイザナギ神宮(イザナギラインと言っても良いかも)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      ほんとうですね、見事日本を縦断するレイラインに!
      四国には大麻山が二つもあったんですね。
      コロナで四国旅はしばらく中断です、残念。。

      いいね

  4. nokanan より:

    おはようございます。

    お互いに勘違いから生まれた真実ですね。

    大彦のお墓は、あの布施神社の鳥居から見えるあの山ですよ。
    川柳将軍塚古墳です。

    ちょっとここから右脳人特有のお話を(笑)
    私の場合、3ヶ月先位まで予定を入れます。
    4月等彌神社で、大彦の事を知り、5月初めは安房、中旬は戸隠で新緑と決めていました。
    (実は山岳信仰が一番好きです。)

    齧った程度ですが、 記紀を知れば知る程、もやもやが溜まるばかりでした。
    安房神社で、忌部氏を知り千葉に住んでいる以上は房総を開拓した方々を追ってみようと思っていました。5月数箇所巡った後、安房神社内にある、おそらく忌部氏の骨だろうと云う忌部塚にお酒を持って、忌部氏のもやもやをぶつけてみましたら、随分と重いものを背負ってきてしまいました。

    その二週間後の長野まで、果たして生きていられるか(笑)本当に死にそうでした。
    お客様には、憑ないよう持ちこたえました(笑)
    その日は朝からアクシデントが続き、 やっと新幹線に。先ずは布施神社(布施神社を調べていて「偲フ花」を知りました) そして大彦のお墓へ行く予定でしたが、私には珍しく大雨で、何故か善光寺へ行くことにしました。
    新幹線でCHIRICOさんの善光寺の記事を見つけ、どういう所なのかよく分かりました。

    大雨の中、参道を歩き、徐々に軽くなっていくのが分かりましたが、極めつけは戒壇巡りで、ご縁が結ばれた時すっかり昇って行ったのが分かりました。
    その日は、仏事だったらしく、浄土宗だったと思いますがお坊さんのお経と共に緞帳が上がりました。珍しいことだそうです。
    さすが石川麻古氏の拝み倒した仏像だなと感激しました。善光寺で成仏したかったのかと思ったりして……分かりませんが(笑)

    で、そこで憑いてきたのは忌部氏では無いなと思うようになりました。
    そのイノシシ、鹿を駆除するのではなく、出雲王家の子孫の国造家じゃないんだろうか…?なんて思ったりしてます。

    川柳将軍塚は、場所は分かっていても、ナビが案内してくれなくて苦労しましたが、根性で辿り着きました(笑)

    房総へ行くならば、【山ヒル】の宝庫ですので、梅雨時から秋までは山に入らない様にして下さいね。成田空港か羽田空港か…旅慣れているので心配ご無用ですね(笑)

    小樽も是非(≧◡≦)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      思い込みが激しくて、最近は疲れていますね。
      そう、豊城入彦ですね、豊彦、了解です(笑)
      ぜひ行程に入れてみます。

      すごい体験ですね。
      僕は未だかつて、霊というものを見たこともなければ、背負わされたと実感したこともなく、せいぜい二日酔いのような症状に半日ほど苦しむ程度でして。
      結構きわどい所へも行くのですけどね。

      とはいえ、神秘体験というものが皆無というわけでもなく、神、のような何かを、見たような見なかったような、、
      出雲の龍頭ヶ滝ってところで昔、そんな経験をしました。

      https://omouhana.com/2017/11/14/龍頭が滝/

      これは広島県北の三次(みよし)に一年間だけ住んでいた時のことですが、この三次というのがとても四季が美しい場所で、僕の心のふるさとだと思っている所です。

      また、三次は冬は雪深いところで、山道のカーブでスリップして、ぶつかったガードレールの先は断崖絶壁ってことがありました。
      積もった雪のおかげで車も無傷でしたが、ブルって車を降りたら、その崖の下から雪風が舞い上がって、それはもうキラキラと。
      その姿があまりに神々しくて美しかったので、僕に好意を見せてくれる神様は、ずいぶんとツンデレなんだなと思った次第です。

      あと、幼稚園生くらいの頃の夢の話なのですが、補助輪付きの自転車に乗って遊んでいるとこけてしまって、でも夢なので痛くはなくて起き上がった時、握った拳から光が漏れているんです。
      で、手を開くと虹色の玉を握りしめていたんですね。
      それははっきりとカラーで色も鮮やかで、あたたかい温度もあったことを覚えています。
      小さい頃の夢なんて当然ほどんど覚えていませんが、それだけは今もリアルに目に浮かぶほど覚えています。
      あと、ジョーズの映画を観た後に、川から陸に上がってきたジョーズに走って追いかけられた夢も覚えていますが(笑)

      山岳信仰好きなら、山形の出羽三山はおすすめです。
      羽黒山・湯殿山・月山、それぞれ固有の山岳信仰を体験できます。
      ただ、月山のみがガチの登山になります。
      登る場所にもよりますが、片道2〜3時間の登山です。
      でも昨年・一昨年で3回登りに行ったほど、大好きになった山ですね。
      また行きたいし、絶対行くと思います。
      いつ登っても美しい山ですが、秋の紅葉は絶品です。
      山形も大好きで、自称・山形観光大使を名乗っています(笑)

      ヒル情報ありがとうございます。
      あぶないところでした、寒いうちに伺います!

      いいね

      1. nokanan より:

        おはようございます。

        そうなのであります。
        出羽三山は、憧れてやまない恋焦がれているところですが、なかなかお呼びがかかりません。
        体力的に無理なのだろうと慰めています。
        当然、CHIRICOさんのブログは読みました♪♪何度も(笑)
        旅館のご飯も魅力的です。
        紅葉は、素晴らしいでしょうね。

        【龍頭が滝】も素敵なところですね。
        この場所での体験は嬉しさの余り体の芯から震えてしまいそうです。
        来年は出雲へ行きたいので行きたいです。

        福岡から、三次なんて出雲にご縁があるのですね。良いですね〜
        時に存在を知らせる為に、神仏やご先祖様が危険な目に合わせ存在を教えてくれるのかも知れないですね。
        所謂、DRAGON BALL持ってるのでは?

        今迄、お客様で2名の方に「憑きやすい」と自覚なしに言われた事がありますので、金峯山寺の五嶽神鏡を身につけてますが、にも関わらずです。

        四国を廻るならば『霊験修法曼荼羅』と云う漫画が役立つかもしれません、アンテナが動いたら読んでみて下さいまし_(._.)_ 

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          霊験修法曼荼羅、ポチってみました!
          試し読みしたら面白そうでしたので。
          なかなか奥深そうな漫画ですね。

          来年の出雲は、美保神社の青柴垣神事を狙っていて、今からワクワクしているところです。
          出羽三山巡りは理想は2泊ですが、強行覚悟で1泊2日の旅もできないわけではありません。
          実際僕はそれで2回巡りました。

          湯殿山はシャトルバスが運行していますので、ご神体まで気軽に行くことができます。
          ここのご神体は、言ってはならないことになっていますが、言えたとしてもその不思議さは伝えられないものです。
          ぜひご自身の目で確認いただきたい。

          羽黒山は気が遠くなるほどの階段を登ります。
          が、森に囲まれた参道は、疲れを忘れさせてくれますし、ちょうど良いところにお茶屋さんがあるので、いつの間にか登ってしまいます。

          月山はリフトがある側からの登山で、女性の足で2〜2.5時間くらいで登頂可能です。
          ただ標高は2,000m近くになってきますので、防寒・防雨・シューズ・スティック等の準備だけは必須です。
          一番悩ましいのが、登山時期です。
          7月1日から9月15日の間が山開きになります。
          せっかく苦労して登頂しても、この期間しか御朱印がいただけません。
          扉の開いた社を参拝できるのもこの期間。
          しかし紅葉するのは9月末から10月初旬なんですね。

          実は僕も、初めて行った出羽三山は、主婦の女性のお客様と山形に詳しいご年配の男性3人で巡ったものでした。
          まあ、女性のお客様のご主人がよく許したものだなとは思いましたが、当然僕よりも体力もない方でしたが、無事登頂されています。
          筋肉痛は免れませんが、行けるものですよ。
          同業ですし、休みが合う機会があれば、僕がエスコートさせていただいても構いません。
          自称・山形観光大使ですし、出羽三山はいつ行っても、何度行っても素敵なところです。

          石寺も含めて出羽四山と称する向きもあります。
          石寺まで行くなら2泊は必須ですね。
          あとついでに行くなら、鳥海山ふもとの丸池様も神秘的ですし、蔵王も良かったですし、芋煮サイコーですっ!
          ああ、また山形に行きたくなってきました(笑)

          いいね

          1. nokanan より:

             さすが!山形観光大使ですね!とても、参考になります。
            7.8月は予定を立てていないので、今年は行けるような気がして来ました。
            分かりやすい解説ありがとうございます。
            エスコート、その節は宜しくお願い致します(笑)

             そうでした!青柴垣神事、ブログでも良さが伝わっていますし、美保会館ですよね。むむむ…もはや予定が(涙)

            昨日、本の整理をしていたら、空海と遍路文化展という分厚い本が出できました。Wikiよりは良いと思います。多分…(笑)
            送りますので、お店の名前教えて下さい。お送りしますよ。ちょっと色あせてますが(〃▽〃)

            霊験修法曼荼羅は、本当に密教の事が理解できました。良かったです。

            いいね: 1人

          2. CHIRICO より:

            本当ですか!
            申し訳ない気もしますが、仏教系の知識が欠けていますので嬉しいです。
            店はグラムコードと言います。
            URLはこちら。
            http://www.glamcode.com
            ぜひ着払いで送ってください。
            ありがとうございます!

            霊験修法曼荼羅はアマゾンでポチったら、明日届くようです。
            年末になってお互いこれから忙しくなりますね。
            どうぞご自愛ください。

            いいね

          3. CHIRICO より:

            こんにちは、nokananさん。
            貴重な本、丁寧なお手紙、ありがとうございます。
            わくわくしながらページをめくっています。

            さて、僕は誠に間抜けなことに、年末のこの時期に際して体調を崩しておりました。
            かといって人手不足の中、休むわけもいかず、なんとか気力で乗り切ったところです。
            今朝はずいぶん楽になりました。

            多分、今日明日がピークになるかと思います。
            お互い体調に気をつけて、頑張りましょう!

            いいね

  5. CHIRICO より:

    おはようございます、NOKANANさん。
    失礼しました、勘違いというのは僕が勘違いして受け取ったということでして、主語が抜けておりました。
    が、ブログを書いているうちに、やはり大麻山は朝山だったのだと、確信に近いものをもつようになりました。
    たぶんNOKANANさんの変換ミスがなければ、思い至らなかったことでしょう。

    鳥居のような石柱とは、参道両脇に建っている四角い石柱のことでしょうか?
    あれはこちらでは割とよく見かけるので、僕も意識したことはありませんでした。
    神仏習合の名残かな、くらいにしか思っていませんでしたが、何か意味があるのかもしれませんね。
    神功皇后紀は、僕が記紀を離れて神社の由来をめぐる旅のきっかけになったシリーズです。
    ずいぶん試行錯誤しながら書いた覚えがありますが、幸い地元付近の史跡が多かったので、じっくり取り組めました。
    ただ、書き上げたのちに大元出版本に出会ってしまったので、もう一度考証し直す必要があるのかもしれません。

    房総半島巡りに出かけなくては、と思っています。
    鋸山など、後回しになっている場所がいくつかあるからです。
    2020年は関東周辺と四国お遍路が中心になりそうです。
    隙あらば、北海道の小樽もと思っていますが、少々欲張りですかね。
    体力・健康と自然災害と情勢を考えると、気が焦ってきます。
    そういえば織田信長もそうでしたね、やはり忌部氏も日本の根幹をなす氏族の一つなのでしょう。
    忌部氏の史跡は今後も注視したいと思い、シリーズ化してみました。
    ストーリー的なものは、残念ながらまったく思い浮かばないのですが。

    大室古墳群というのは長野にもありますね。
    斎木雲州氏によると、大彦の陵墓は長野の布制神社と記してありました。
    その布制神社に近い場所に大室古墳群があるのをGoogleマップで確認しました。
    どこに大彦が眠っているのかわかりませんが、布制神社と長野と前橋の大室古墳群には、何かしらの繋がりがあるのかもしれません。

    いいね

  6. nokanan より:

    大朝山の勘違いの下りですが、変換間違いとは云え、一応は変換ミスと訂正しましたが私も強く同感です。

    竹葉瀬ノ君を調べていまして、手っ取り早く知るには矢張りCHIRICOさんのブログが役立ちます。ありがとうございます!神功皇后を読んでいましたら、1.~13迄ですが、山口、福岡の神社の鳥居?の様な石柱が、徳島で巡った所と、ものすごく似ています。

    安房(下総)の忌部氏を少し巡った時との雰囲気とは違うのです。地域性なのでしょうか…?

    安房では、下立松原神社が(白浜 千倉(地名です))二社有り、白浜の方が阿波忌部氏が、朝廷の指示により黒潮に乗ってやってきたと看板に有りました。しかも、理由が鹿、イノシシが多く住民が困っていたと云う、何とも、黒潮に乗って命懸けで来る理由ではない気がします。疑り深いので他に理由が有ると思ってしまいます(笑)
    そこから6キロ離れた所が上陸した場所だそうで、その近くには布良崎神社が在ります。
     下総には、忌部氏の神社が多くありますが、上総には見当たらないので、やはり、第二の出雲と云われた程、出雲国造家が入っているせいかと思ったらしています。
    そこに理由がある気がします。
     織田信長は、忌部氏の末裔だそうで、福井に居たことも確かですよね。

     話は変わりますが、豊城入彦の古墳は前橋の大室古墳群らしいですよ。

    いいね: 1人

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください