
長崎県東彼杵郡川棚町、ここに佇む「片島魚雷発射試験場跡」は、最も美しい軍事遺構。
もの寂しげにも見える激しい時代の遺構群は、戦争を知らない僕らの今の姿を見て、何を偲うのでしょうか。

片島魚雷発射試験場跡は片島公園内にあります。

駐車場から歩いて行くと、半分埋もれたトンネルがありました。

これは魚雷の一時保管所となっていたトンネルの跡なのだそうです。

鳥居だけの、社殿のない神社があります。

ここは魚雷の発射試験の成功を祈願した神社跡だということです。

海岸へ進んでいくと、

すぐにゴシックな建物の遺構が見えてきます。

すごい。

外壁のみが残されています。

まるで中世の教会を思わせる外観。

ここは片島魚雷発射試験場の遺構の中で、「空気圧縮喞筒所」(くうきあっしゅくそくとうしょ)と呼ばれる跡地になります。

喞筒とは、ポンプのことで、ここで魚雷内に空気や酸素を圧縮して装填していたそうです。

建物としては大正6年(1917)年に完成し、翌年には稼働していました。

今は建物内に椋の木や榎の木が縦横無尽に生え育っています。

この空気圧縮喞筒所は、壁を隔てて二部屋の構造になっています。

その反対側がこれ。

ちょっとローアングルで。
残った床の白いタイルはまるで雪のよう。

こんなにも神々しく、美しい遺構が他にあるでしょうか。

ここは細田守監督のアニメ映画『バケモノの子』で主人公の丸太と熊徹が修行したシーンに使われていたり、
ロックバンドflumpool(フランプール)の「ラストコール」MVのロケ地にもなっています。

軍事遺構などと言えば陽気に訪ねる場所ではないのかもしれませんが、

ここばかりは生命の力強さに圧倒されます。

人類が滅んだ後も、世界はこれほど美しくあるのならそれも良いと、少しばかり本気で考えてしまいます。



空気圧縮喞筒所の向かいには、海に突き出た「魚雷発射場」と「監視塔」がありました。

発射台への橋は美しい5連のアーチ橋で、魚雷運搬用のレール跡も残っています。

崩壊の激しい橋の上を恐る恐る歩いて行くと、対岸に何か見えます。

どうやら陸路では到達できない神社があるようです。

これまた教会の鐘でもついてそうな監視塔のすがた。

一見コンクリート製のように見えますが、中から天井を見上げると、煉瓦造りであることがわかります。

正面には丸い窓。

丸い窓からは

海の先にある観測所も見えています。

監視塔の横は大きく崩壊しています。

ここから魚雷を沖に向かって発射していたのでしょう。



空気圧縮喞筒所もよくみると、下は石、上は煉瓦でできているのがわかります。

周りには他にも大型水槽跡や建物跡があります。

監視塔から見えていた、海に浮かぶ観測所に行く道は立入禁止になっていました。
基本的にそのような場所は僕は行かないことにしていますが、ここは自己責任で進んでみました。

なるほど、道が完全に崩壊しています。

この崩壊ゆえに立入禁止になっているようですが、釣り人は日常的にここへ立ち入っているようなので、僕も今回ばかりはちょっとだけお邪魔を。

ぽっかりと海に浮かぶ観測所。
かつてはここにも橋が架けられていたのでしょう。

それにしても一つ一つが、何故これほど美しく神々しいのでしょうか。


来た道を慎重に戻ります。

空気圧縮喞筒所の横に緩やかな登り道があり、

分かれ道の左手には

水槽の跡がありました。

右手の道はそれなりの登り道になっていて、

登りきったところにも廃墟がありました。

ここも観測所のようです。

雑草に覆われた廃墟。

中に入ることができました。

ここはまあ、落書きがひどいです。

梯子があったので登ってみます。

結構怖い。

思い切って顔を上げると美しい海が一望できました。
ここから魚雷が発射される様子を観測していたのでしょう。

上から見る内部、やはり落書きがひどい。



対岸の高台からは片島の全貌を望むことができました。

片島はその名の通り、元は独立した島でした。
大正7年(1918年)に片島発射試験場が完成し、大東亜戦争中の昭和17年(1942)年に川棚に分工廠が設置されたことに伴い埋め立てられ、地続きとなったのです。

なぜここに魚雷発射試験場が設けられたのか。
ここは佐世保鎮守府に近く、湾内の波は穏やかで、海も深い。
長い射程がとれ、射線上に停泊船舶ないため、この地が選ばれたということのようです。

旧日本海軍はここで魚雷を実際に発射して性能試験を行い、合格した魚雷は佐世保鎮守府に納められていました。

もちろん当時は極秘扱いの施設でした。
今はのどかな観光地となりつつありますが、この先もこの平和が続くことを祈りたくなるような、そんな風貌で心に柔らかい風を送り込むのでした。
