鎌倉市佐助の住宅街から源氏山公園へ上る細い道のカーブに、鳥居の先がトンネルになった神社があります。
「銭洗弁財天宇賀福神社」(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)、境内の洞窟にある清水で硬貨などを洗うとお金が増えると伝えられている、「銭洗弁財天」「銭洗弁天」の名で知られる神社です。
不思議な参道、こんな神社は初めてかもしれません。
まるでアリスな気分。
トンネルを抜けると僅かにひらけた境内があります。
こんなところに神社があるなんて。
かつて当地の佐助は「隠れ里」であったと伝えられますが、まさにそんな雰囲気です。
「奥宮」と記された洞窟、ここで銭洗いをするのですが、それには手順があります。
手水舎で手口を清めたら社務所でロウソクと線香を購入します。
洞窟前の本社脇にロウソクを供え、線香台に線香を納めます。
煙を浴びて身を清め、本社参拝。
本宮の祭神は「市杵島姫命」です。
そしていよいよ奥宮へ。
洞窟内部は意外に広いです。
洞窟右手に社殿があります。
こちらが奥宮でしょうか、心静かに参拝。
奥宮の祭神は「宇賀神」(弁財天)となっています。
そして霊水流れる銭洗い場へ。
ザルにお金を入れて柄杓で3杯ほど霊水を注ぎます。
このとき、紙幣などは端を少し濡らすだけでも効果はあるのだそうです。
洗ったお金はハンカチなどで丁寧にぬぐってお財布に戻します。
清めたお金は大切に使って世の中にお返ししましょう。
そうすることで幸運がめぐりめぐっていくそうです。
それにしてもこの洞窟の神々しいこと。
当社創建は源頼朝が、巳年である文治元年(1185年)の巳の月(旧暦4月)巳の日に見た霊夢に従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったことにはじまるそうですが、僕はここがとても出雲的だなと感じてしまいました。
巳年の正嘉元年(1257年)、北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだと伝えられています。
宇賀神と弁財天が神仏習合して弁財天と呼ばれ、1970年(昭和45年)に相馬天王(扇ヶ谷)の末社から独立して今に至ります。
本宮の上には「上之水神宮」(かみのみずじんぐう)があります。
細い階段をぐるりと上ると
社殿があります。
さらに下には小さな滝と「下之水神宮」(しものみずじんぐう)がありました。
この両社には宇賀福神社の水口の守護神として、「水波売神」(みずはのめのかみ)が祀られています。
銭洗弁財天宇賀福神社の境内を一旦出て、源氏山方面へ向かいます。
そこに縁結びで人気の「葛原岡神社」(くずはらおかじんじゃ)が鎮座しています。
葛原岡神社は後醍醐天皇に仕えた公家「日野俊基」卿を祀る神社で、創建は明治20年と比較的新しい神社になります。
鳥居の隣にある「魔去る石」。
社務所で素焼きの杯を求め、この石に投げつけます。
「魔が去る」転じて「勝る」(まさる)につながり、幸せを勝ち取る石と云われています。
鳥居の先にあるのは夫婦の「縁結び石」。
当社に祀られる大黒の木像は、二宮尊徳邸内のクスノキで造られたと伝えられるものですが、その大黒様にあやかって平成22年に置かれた石のようです。
これは出雲的と一瞬心が高鳴りましたが、関係ありませんでした。
境内はさほど広くもなく、すぐに本殿が見えてきます。
祭神の日野俊基は、「開運の神様」と呼ばれています。
「日野俊基」(ひのとしもと)は、鎌倉時代後期の公家で、藤原北家真夏流日野家、刑部卿・日野種範の子と伝わる人物です。
文保2年(1318年)に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、蔵人となりました。
鎌倉幕府討幕のための謀議に加わりましたが、元弘の乱で捕らえられ、鎌倉の当地、葛原岡で処刑されました。
明治維新後、南朝が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになりました。
明治20年(1887年)に葛原岡神社が創建され、俊基自身にも従三位が追贈されたのです。
葛原岡神社の南側の地には、ひっそりと俊基卿の墓碑も鎮座していました。
再び銭洗弁財天まで戻ってきました。
この参道、かつては行き止まりの洞窟だったそうです。
銭洗弁財天参拝後にここで休憩する人が増えたので、くりぬいてトンネル状にしたのだそうです。
では本来の参道はどこだったかというと、
境内に鳥居が続く出口があります。
こちらが元参道。
今では裏参道のようになっています。
そこから住宅街を抜け、しばらく歩いたところに「佐助稲荷神社」(さすけいなりじんじゃ)がありました。
成功成就、立身出世の神として受験生、就活生、起業家などに人気だそうです。
赤く連なる鳥居は、とても妖艶。
神社の縁起によると、平治の乱後に伊豆に配流された源頼朝の夢に「かくれ里の稲荷」と名乗る老翁が現れ、平家討伐の時節到来を告げたと云います。
見事平家を討ち滅ぼし鎌倉に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探し当て稲荷神社を建てたと伝えられています。
頼朝は若い時代に「佐殿」と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と名付けられるようになったとか。
頼朝が征夷大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」とも呼ばれる所以となっています。
拝殿の裏がさらに高くなっており
本殿があったようですが、大雨で壊れたみたいです。
しかし社殿はなくとも、その神気は失われていません。
拝殿から横に周ると、苔むした古い稲荷群があり、背中をぞわりと感じさせるものがあります。
この先は裏山へ続くハイキングコースとなっていますが、今は登山は厳しいみたいです。
2015年の映画『駆込み女と駆出し男』や『海街diary』、1996年のテレビアニメ『天空のエスカフローネ』の聖地でもある住宅街の稲荷。
まさに隠れ里に迷い込んだような気分になれる神社でした。
佐助稲荷の御朱印、私は書置きで頂いたのですが、レア御朱印で狐の絵がひらがなで書かれたかまくらのらの字に続けて書かれてて得した気分になったのを覚えてます。銭洗い弁天で1万円濯ぎました(笑)2月ですかあ、まだ自粛期間前で行けて良かったですね。
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この時はまだ気をつければ旅を続けられるものだと思っていました。
まさか旅どころか、県外にも出られなくなるなんて。。
まいりましたね。
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佐助の由来を知りませんでした。知識があると神社をもっとたのしめるんでしょうね。素晴らしいです。
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小さな神社にも物語があったりして、由来を深掘りするのは楽しいですね。
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何気ない風景や建築物をこんなに素敵に撮影されるって凄いですね。
プロのカメラマン?
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お褒めに預かり光栄です。
全て我流でカメラ本もろくに読まないズブの素人ですが、愛機とシャッターチャンスの女神に助けられています。
本業の方は危機的経営状況の最中、ブログに逃避しています(苦笑)。
早く前のように旅したいです!
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同感です。
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