牛神社・穴迫稲荷神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 道草

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熊本高森にある日本三大下宮のひとつ、草部吉見神社を調べていると、いくつか神社がヒットしたので訪ねてみました。

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草部地区にある「牛神社」(うしがみしゃ)を探してみましたが、案内板を見つけたものの社殿が見えません。
まさかこの藪を漕いで行けと?!

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いえ、さらに小道を先に歩いていくと、鳥居が見えてきました。
良かった良かった。

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杜に隠されるようにその社はあります。

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祭神は牛頭天皇(ごずてんのう)。

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この神は草部の現在の農業を開始振興した根源の神様で、顔が牛のようであったと云われています。

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伝承によれば、草部の地を訪れた日子八井命(ヒコヤイノミコト)の前に現れ、五穀の種を与え、その栽培方法を伝授したとか。
これは渡来系の神であるのでしょうか。

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最近個人的に、ちょっと気になる話を伺っており、その中に出てくる「ツノトカゲ女」を彷彿とさせます。
まあ、その話はそのうちに。

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牛神家は、時代の推移とともに草部吉見神社系に統合されていき、ついには阿蘇神系の系図にまで登載されるようになったそうです。

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草部南部地区にある「穴迫稲荷神社」へと向かいます。

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参道を歩いていると思いきや、

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農地に出ました。

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鳥居が見えてきて安心します。

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稲荷風の景色。

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汗だくになって階段を上った先には、質素な社殿が。

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穴迫稲荷神社は慶長年間創建で約400年の伝統を持つ神社であると伝わります。

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肥後藩主だった佐々成政の家臣「赤松伊予之守」が加藤清正の熊本城入城の際、同城に祀ってあった稲荷神社の祭神を背負い、高森町草部に落ち延びて再祀したのが始まりであると云われています。

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現在の社殿は慶応3年創建。

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牛馬の守り本尊、農耕の神様として尊信されており、旧暦2月の初午大祭には、県内外から多くの参拝者が足を運ぶのだそうです。

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