草部吉見神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 13

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神武が東征を為している頃、日子八井耳は日向高千穂より草部に入り、しばらく川走の窟に住んだ。
そんなある時、近くの池に大蛇が棲み、里人を困らせているという話を聞いた。
日子八井耳は池の水を干し、そこに現れた大蛇に向かって剣で斬りつけた。
さらに火を放ち大蛇を焼いた。
焼かれた大蛇が血を流しながら逃げて行った所を血引原(地引原)、焼かれた所を灰原と云う。
見事、大蛇を退治した日子八井耳は、「此処こそ吉い宮を立てる場所だ」と言って池のあった場所に、屋根と壁を草で葺いて宮を建てた。
壁が草だったので草部、吉い宮と言ったので吉見となった。

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「草部吉見神社」(くさかべよしみじんじゃ)は、熊本の高森町に鎮座する神社です。

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とても端正で雅な狛犬。

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当社は日本三大下り宮の一社に数えられます。

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三大下り宮は他に宮崎の鵜戸神宮、群馬の貫前神社がありますが、この草部吉見神社の下り感もなかなかなもの。
まるで深海に沈みゆくようです。

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祭神は、
一の宮:日子八井命 
二の宮:比咩御子命(日子八井命の妃)
三の宮:天彦命(日子八井命の第一皇子)
四の宮:天比咩命(天彦命の妃)
五の宮:阿蘇都彦命(日子八井命の甥・健磐龍命)
六の宮:阿蘇都比咩命(日子八井命の娘・阿蘇大神の妃)
七の宮:新彦命(日子八井命の第二皇子)
八の宮:彌比咩命(新彦命の妃)
九の宮:速瓶玉命(日子八井命の外孫・健磐龍命の子)
十の宮:若彦命(新彦命の甥・天彦命の子)
十一の宮:新比咩命(新彦命の娘)
十二の宮:彦御子命(速瓶玉命の子)
となっています。

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主祭神の日子八井命は、神武天皇第一皇子であると古事記に記され、草部吉見神または「国龍命」( くにたつのみこと )とも呼ばれます。

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当社は「神八井耳」の子孫と伝えられる健磐龍のゆかりの地としても知られます。

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宮崎・延岡から五ヶ瀬川をさかのぼった健磐龍は、阿蘇の南側を回った後に当地に至ります。

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古事記では叔父と甥の関係になる日子八井耳と健磐龍。
館に立ち寄った健磐龍を叔父は温かく迎え入れたと云います。

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日子八井耳には娘、「阿蘇都媛」(アソツヒメ)がいました。
健磐龍は館でしばらく過ごすうちに、阿蘇都媛と恋に落ちます。

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健磐龍は媛を后に迎え、阿蘇の国造りにむかうのでした。

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日向・高千穂より草部に入り宮を築いたという日子八井耳、そのルートは健磐龍のルートと重なります。

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この日子八井耳、『古事記』では、神八井耳・神沼河耳と共に神武天皇の御子と記されてはいますが、『日本書紀』では、その名は無く、『旧事本紀』では、神八井耳命の御子と記されています。
ちなみに、末弟の神沼河耳が2代綏靖天皇になります。

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日子八井耳は当地で、里人を困らせる大蛇を退治した英雄として語られていますが、その姿は鬼八や大なまずを退治した健磐龍の姿と被ります。
そう、この大蛇退治は、大蛇族の征伐の話なのです。

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大蛇とは先住民族だったのだと思います。
まつろわぬ民は「土蜘蛛」や「おろち」などと蔑称されてきました。

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当地の先住民族は龍神信仰のある一族であったことが想像されます。

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草部吉見神社の境内には、さらに下に降りる階段が設けられています。

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その先には当地が大池だった名残と言わんばかりの小池があります。

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そして池のほとりには、ぎょっとするような異様な石像が。

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池の方へ階段を降りていくと、さらに異界感の強い空気が迫ってきます。

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この吉ノ池(八功徳水)は大蛇が棲んていたという池の名残。
一説には大蛇を切ったとき流れ出た血でできたとも伝わります。

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まるで恨みを抱きながら滅んだ民を鎮魂するかのように、池を見つめる大蛇の像。

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当地の草部吉見族は、阿蘇大宮司家を補佐する家柄として今尚大きな痕跡を残す氏族です。
彼らは「日下部」氏とも称されていました。

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日下部氏発祥のルーツは各地に存在しており、それぞれにもっともな論証もなされていますが、草部吉見氏族に通ずる日下部氏は高良大社・高良玉垂宮の水沼氏に由来すると思われます。

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それを決定付けさせるものがこの池に注ぐ源にありました。

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当地の伝承では、日子八井耳は日向から「水の玉」「火の玉」という二つの石の珠を持ってきたと伝えられ、その玉を用いて雨を自在に降らせ、この地に農耕を広めたと云います。
これは正に「干珠・満珠」を言い表しています。

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謎の玉垂神の正体を月神、干珠・満珠を月読みの能力を受け継ぐことと僕は紐解きましたが、記紀の記載もあやふやな日子八井耳族の正体は宇佐・豊家の血を引く水沼系日下部族だったと考えられます。

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豊家と月神信仰の痕跡は、書き換え等で徹底的に消されてしまいました。
そこで当地の王も神武の系統として架空の日子八井耳を設定し、被せて消し去ったのかもしれません。
日子八井耳の別名は「国龍命」、そちらの方が王の正体に近いのではないでしょうか。

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水沼氏の聖域には清らかな水源が備わっているところが誠に多いです。
それは月神が月から垂れるエネルギーを水沼の巫女が受け取るのに、禊のための聖水が必要であったことに由来します。
そしておそらく、池を水鏡として月の姿を映し取ることも重要な役目であったと思われます。

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しかしこの草部吉見神社がそうであるとするなら、誠に珍しい日本三大下宮は全て、宇佐豊玉姫の血族による聖域であることに気がつきました。
また草部吉見神社は裏弊立と呼ばれるように、幣立神社までではないにしろ、吉ノ池へ降りていくほどに冥界に堕ちていくようなぞわりとした感覚が背中をなぞります。
おそらくここでは多くの大蛇族が血を流し、その血が吉ノ池に流れ込んだのは想像に難くありません。

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草部吉見神社の真向かいに廃校となった小学校跡があります。

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その一角にあるのは史跡「土行松古墳」。

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位置的に草部吉見族に関連深い古墳であると思われますが、その説明もほとんどなく、意味は不明です。

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あるのは数個の石ばかり。
土行松の土行は五行思想のそれでしょうか。
国龍命の墓かと思いましたが、それは別の場所にありました。

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そこは草部吉見神社からさらに東方へ300mほど下った、細道の先にありました。
日子八井・国龍命の御神陵(みささき)と伝えられるその場所は、質素ながらも神気に包まれます。

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僕などが感動するには十分すぎるその場所ですが、しかしながら大和ではすでに巨大な古墳が築かれている時代、日子八井耳が伝承どおりの人物なら、これはあまりにこじんまりとしすぎています。

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もし国龍命が健磐龍に制圧された大蛇族側の王だとしたら、これも納得です。

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残った大蛇・草部吉見族の人たちは、偉大な王を大和側に知られないように、ひっそりと埋葬したのかもしれません。

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そもそも国龍命は天津側の名前ではありません。
国で龍、そこから導かれるのは国津大蛇族、つまり出雲に由来する一族の姿なのですから。

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その意味でも国龍命が水沼系日下部氏の系統であるというのは繋がる話です。
水沼氏は宇佐・豊家の系統であると僕は見ていますが、彼らは同時に出雲系宗像族の三女神も祭祀していました。
しかしふと、思いました。
草部日吉族は確かに水沼系であると思われますが、この国龍命はもっと出雲寄り、そうアララギの王なのではないかと。

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草部吉見神社からぶらぶらと1.5kmほど西へ向かいます。

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途中、階段を上った高台の上に、「浜床」(はまとこ)と呼ばれるところがありました。
ここは、草部吉見神社の夏季大祭の際、神社を出た神輿が一時的に休み、神事を行う「仮の宮」(御仮屋)です。
敷地内には2つの棟があり、左の棟には御幸の先導者である木本家、神主、宮総代が着座し、他の人は中に入ることができません。
そして、正面の棟には神輿、猿田彦、水王・火王の面、獅子頭等が安置され、その前で神官が神事を執り行い、神楽が披露されるのさそうです。
御仮屋は“アオハゼ=青羽瀬”と呼ばれ、青カヤで作られます。
現在は壁部分のみですが、昔は屋根もカヤで作られていたそうで、「屋根と壁を草で葺いて宮を建てた」という草部の伝承を彷彿とさせます。
ちなみに草で葺いた建物は、古来には「殯屋」(もがりや)だったそうで、この神事は邑を守るために戦った国龍命を惜しむ祭りが元になっているのかもしれません。

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さて、菅道(すげのさこ)という所に、草部吉見神社の摂社「三郎神社」があります。

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日子八井耳の第一皇子である「天彦命」とその妃「天比咩命」が祀られる神社です。
天彦・天比咩という安直な名前もさることながら、なぜそれが三郎なのか、不思議です。
天彦の別名を「草三郎」または「草彦」と言ったそうですが、第一皇子でありながら三郎とは。

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こんもりとした杜に吸い込まれるように、階段を上っていきます。

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そして結界のように立つ鳥居を抜けると、

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そこにはため息が漏れるような、美しい杉の参道が伸びていました。

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草部吉見族が水沼系の日下部族であるとするのに阿蘇の母神「蒲池比売」(かまちひめ)の存在があります。
蒲池比売は阿蘇神社の元宮とも称される「国造神社」に祀られます。

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蒲池比売を祀る阿蘇周辺の神社では国造神社の祭神「速瓶玉」の后「雨宮媛」(あまみやひめ)と同神であるとしています。
またこの神は「なまず」を眷属としていて、有明海一帯に広がる豊姫・淀姫信仰とも関連します。
蒲池比売も潮干珠、潮満珠を用いたと伝えられ、月神を信仰した豊玉姫の末裔であることが示唆されます。

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また、草部吉見神社で神輿を担ぐ時は、一般的に猿田彦が務める先導役が、白装束の人が行うようになっています。
この方は「木本家」の人で、日子八井耳が草部に入った時、木本家の先祖が道案内したという神話伝承に基づくものなのだそうです。
この道案内役は手に持った梅の枝で、地を引きずるようにして先頭を歩いていきます。
その姿は出雲佐太神社の「神等去出」の神事で道案内役が、梅の枝を持って「お立ちお立ち」と唱えて神々を送り出すものによく似ており、このことから草部は出雲と深い関わりがあったと考察されています。

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佐太神社には幸姫の陵墓と思われる場所が裏手に祀られており、神在月は各地に散った出雲族が幸姫の命日に参拝するというものが真の意味でした。
草部吉見神社の夏季大祭が出雲式「殯」の祭りだとしたら、佐太神社から神々が去る神等去出と形式が似ているというのは非常に意味深いものとなります。

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さらに謎は、三郎神社の祭神・天彦に及びます。
草部吉見神社では三の宮に祀られている天彦ですが、十二神のうち八神が草部系である阿蘇神社には祀られておらず、日本書記には名前すら出てきません。
彼は妃とともに、独立して当地に祀られているのです。
辺りの林立する杉の木はまるで、三郎神社の存在とともに、草部吉見族と国龍命の秘密をヴェールで隠し守っているかのようでした。

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