
名前が気になって、出雲市常松町の「常世神社」(とこよじんじゃ)に立ち寄りました。

「常世」とはいわば、「あの世」のこと。

僕は不届き者ですからね、島根の神社も随神門はたくさんありますが、この随神さんがわりと怖いわけです。
狛犬さんにもいつも怒られているような気がするのですが、随神さんは容赦ない感じですよね。

よからぬものを寄せ付けないためのものですので、効果はバツグンだ!ってことです。
実際には朽ちかけたものが多かったりで怖いのですが、補修したてのピカピカヌリヌリの随神さんも、結構怖い。

さて、この常世神社について調べてみるも、情報がほとんどありません。
創建は不明で、元亀元年(1570年)に八幡神が合祀された記録があるようなので、それ以前から存在している、とのこと。

主祭神は「少彦名命」で、合祀された「誉田別皇命」も配祀されています。

当地は、中世には鰐淵寺の所領で、「恒松保」と呼ばれていた、とあります。
「恒松保」(つねまつのほ?)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけての律令制の解体過程で成立した地方行政単位「保」の名称で、いわゆる中世荘園や国衙領の名称を指すのだそうです。

神社名が「常世」とあるのは、少彦名命が「天降り給へる聖地」との云い伝えがあるから、と説明されますが、

う~ん、そうなの?

常世に旅立ったスクナヒコとは、東出雲王家8代少名彦の八重波津身・事代主のことであろうと思われますが、彼が命を落としたのは米子の粟嶋でした。
こことは、少々離れ過ぎているように思います。
それで本殿の真後ろから境内の外を見てみると、鼻高山とも微妙に位置がずれている。
ああ、そうか。

こちらも角度はやや微妙ではありますが、おそらく常世神社を拝すると、猪目洞窟を遥拝する形になっているのではないでしょうか。

そうであれば、本来の祭神はスクナヒコではなく、オオナモチ、もしくは大国主ということになるのかもしれません。

narisawa110
そう言えば、鰐淵寺は、信濃の人が開いたんでしたっけ?
小野系の人だったりして。
先生の山家神社のお話は大変参考になりました。神社、お寺、修験が一体だったんですね。
参考までに飯田市の諏訪神社、大宮神社は別当寺がそのまま残っており、お寺の神紋も諏訪梶になっています。
鰐淵寺、そうかもしれませんね。
ただ、あそこは杵築大社の祭神をスサノオに変えた戦犯がありますね。
そのスサノオとは、徐福かスガノヤイミミかで、印象が変わりますが。
narisawa110
何となくなんですけどね、智春上人って、越智や神門のイメージが感じられるんです。
基本は修験道から始まったようですね。
寺の名前は、浮浪滝で上人が誤って滝壺に落とした器を「鰐(わに)」がくわえてきた、という伝承からも神門とのイメージの重層がある気がします。
12世紀に入ると境内に堂塔・僧坊が建てられ、比叡山延暦寺の末寺として浮浪山鰐淵寺が成立。
かつては本尊を千手観音菩薩とする北院と、薬師如来とする南院とに分かれていたそうで、まるで千家の分裂の影響を受けているかのようです。
恐らく千家の影響によるところが大きかったのではないでしょうか?修験道は元々出雲系でしたよね。