天神垣神社と石馬:八雲ニ散ル花 番外

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上淀廃寺跡と上淀白鳳の丘展示館の間に、「天神垣神社」(あめのかみがきじんじゃ)があるので、学芸員さんに連れていっていただきました。

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この時はちょうど紫陽花の頃で、花が美しく咲いていました。

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ここは米子市淀江町福岡という場所になるのですが、

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この参道沿いのサイノカミは、「福岡のサイノカミ」として紹介されています。
福岡、かぁ。

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福岡という人名・地名は、「徐福」に由来しているといいます。
実際に神奈川にも、徐福の子孫という福岡氏のお墓がありました。

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向山古墳といい、上淀廃寺跡といい、向家(富家)に由来する史跡でありながら、地名を福岡と呼ぶのが謎ですね。

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ところで天神垣神社の参道途中にコンクリの、立派な建物があるのですが、

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そこに石馬(いしうま)さんがいらっしゃるというではありませんか!
izumeさんがあらかじめ予約をしてくださっており、「上淀白鳳の丘展示館」の学芸員さんに現物を見せていただけることになりましたよ、やっほー。

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石馬さん、ご対メーン!!

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午年に石馬さんに会えるとは、今年の後半もウマくいくに違いない。
つぶらな瞳がなんと愛らしい、お馬さん。

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石馬といえば、我が福岡八女の岩戸山古墳から出土した石人・石馬(せきじん・せきば)が有名ですが、福岡のやつは胴体しか残っていないんですよね。
淀江の石馬ちゃんは、前脚こそ失われていますが、胴体と後脚は残っている、とても貴重な遺跡なのです。

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学芸員さんが、胴体の一部を「よく見てください」とおっしゃるので見てみると、

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分かりますかね、赤い顔料の痕跡が見られます。
鞍(くら)や手綱(たづな)、鐙(あぶみ)などの馬具が装着されている様子が彫刻されている石馬ですが、ボディ全体が赤色に塗られていた可能性もあるとのことです。

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この石馬は、大山から産出される角閃石安山岩の一石から全体をけずりだして作られています。
石馬は福岡の岩戸山古墳と、淀江の石馬谷古墳からしか発掘されておらず、それぞれ地元の石材が使われていることから、石馬が運ばれたのではなく、福岡の技術者が淀江にやってきたか、福岡の技術が淀江に伝えられることで、現地の石材を用いて作られたのだろう、と考えられます。

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淀江の石馬ちゃんは、フェイスも愛らしいのですが、

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おけつもプリケツで、とっても可愛い。

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この丸みは、思わずほお擦りしたくなっちゃいますが、ここはグッとこらえました。

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淀江さんも、石馬のゆるキャラ作るか、ぬいぐるみとかのグッズを作れば、そこそこ売れるでしょうに、アクスタひとつないんだよね、もったいない。
そういうとこやぞ、淀江。
石馬ちゃんに会いたいけど会えない~って人は3Dもあるので、拡大したりグリグリ回したりして、画面にほお擦りすると良いかもね。
赤い顔料痕も見れますので、さがしてみてね。

【大手前大学史学研究所】

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さて、たっぷり石馬ちゃんを堪能したあとは、天神垣神社の参拝も忘れずに。

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創立年代不詳。
往古は大社にて社領地等あったが、兵火により棟札、古文書など悉く焼失。
天正年中(1573~92年)、安芸国(広島県)の吉川氏により再興されたといいます。

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近世まで天満宮と称していましたが、明治初年に村内山神(大山祇命)を合祀して天神垣神社と改称。
大正10年に福岡の上淀神社(譽田別尊、大己貴命、下照姫命)を合併し、「少彦名命」他4神を祀ります。

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例年10月13日に行われる例祭は、石馬祭「八朔祭」では、各戸より稲藁を持ち寄り、クチナワサンと呼ばれる直径約20㎝、長さ約60mの大蛇の頭部を老人組が、胴体を若手が二人一組で作ります。

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出来上がった頭部を神前に供えて八朔祭を斎行。その後、胴体を繋いで、荒神宮を3周します。

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頭部は荒神宮に奉納し、胴体は氏子内の道路にて氏子全員で綱引きをします。

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綱引きは3本勝負行われ、上が勝てば米が豊作、下が勝てば麦が豊作になるといわれています。

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また、亥年の荒神宮遷宮祭では、荒神宮の標注と柵を新しく建て、12年前の遷宮時に埋めた濁酒を入れた甕を掘り出し、新しく土中に納める濁酒の甕を並べて供え遷宮祭を斎行します。

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酒とオロチ、どこかヤマタノオロチ神話を彷彿とさせますが、こういった風習が山陰地方には古くからあり、それが神話の題材となったのでは、と思いました。

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izumeさんは最後に、境内の裏手の方に私を案内してくれましたが、

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そこに小ぶりな古墳が1基ありました。
これは石馬が立てられていたという「石馬谷古墳」(小枝山5号墳)と瓜二つの古墳で、この日雨の影響で行けなかった石馬谷古墳の代わりに見せてもらいました。
石馬は元々は、向山古墳の上に立っていたのではないかと考えられています。

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