
世界各地に常世と現世を結ぶ聖域『ゲート』が出現して十数年。“イキリスト”と呼ばれる超人的なイキリ覚醒をする人間たちが現れた。
彼らはその内なるイキった力よってS級からE級にランク付けされる。そして、その力は一度覚醒すれば成長(ランクアップ)することはない。
人から「人類最弱兵器」と嘲笑されるE級イキリストだった私は、しかし、高難易度の二重ダンジョンで瀕死を負う中、起きるはずのない「再覚醒」を遂げた。
それは未知のレアゲートを次々と「自分だけがイけてしまう」という特殊能力だった。
いつしか私の周りには、密かにレアゲートの存在を伝えてくる数人の情報屋が集まるようになっていた。
この日の朝も、そんな情報屋の一人のコンタクトから始まった。
・・・
ピロピロリ~ン
「こんにちは、イキリ彦さん。今お時間ございますか?」
「ああ、お久しぶりですね、情報屋の確か、izumeのにゃん太郎さん、でしたよNE☆」
「イキリ彦さん、朝からイキってますね」
「izumeのにゃん左衛門さん、すみません。もう少しで日課のトレーニングが終わりますので、少々お待ちください」
「おお、さすがイキリ彦さん。数々のレアゲートを攻略(イけてしまう)している方は、日々の激しいトレーニングも欠かさない、ということですね。後学のために、どのようなハードワークをこなされているのか、教えていただけませんか。腹筋1000回、腕足せ伏せ1000回、ランニング50km、そんな感じですか?」
「えっ?シックス☆パッドですよ」
「えっ?」
「えっ?」
ピーッ!
「あ、今トレーニング終わりました。で、どういったご用件ですか、izumeのにゃん助さん」
「そうそう、イキリ彦さん、新潟にある”出雲崎”という場所はご存じでしょうか。そこに石井神社という大国主を祀る神社があるんですが、そのの元宮とよばれる場所が、ひっそりと隠されるようにあるのだそうです」
「ほう、隠されたMO☆TO☆MI☆YA! ですか。それは”俺だけイけてしまうな件”的な私の大好物じゃないですか。”元”とか”奥”とか付いちゃうと、ほら、JYU☆NってきちゃいますよNE☆」
「その元宮ですが、十二株山という低山の中程、原始林のようなひっそりとした林の奥に1メートルくらいの祠があるそうですが、そこが”神屋敷”と呼ばれているんです」
ナン…だと…
「ちょ、ちょっと待ってください、か、KwA☆MI☆屋敷ですって、なんですかその芳醇な香りのする呼び名は。そんなのもう、ザSE☆I☆CHIじゃぁないですか」
「私はここは新潟版ダンノタイラだとイメージしました」
「なにそれ、SU☆GE☆e」
「十二柱神社の上に位置するダンノタイラと、十二株山の上にある神屋敷」
「TA☆SHI☆KA☆NI」
「今度私たち、かよわき女性2人で訪ねてみようと思っているのですが、熊怖い、蛇怖い、何より迷子が怖いので、どうですイキリ彦さんも私たちと一緒に行きませんか?」
「えっ、ヤですよ。めんどくさい。私は一人で行きますよ」
「なるほど、そうですか。十二株山はかなり草ボーボーで、ひよっとしたら草刈りしながらでないと難しいのではというほどみたいで、私たちは観光協会が紹介してくださった古参の案内人の方が草を刈りながら案内してくれるのですが、そうですか、さすが”自分だけがイけてしまう”再覚醒者のイキリ彦さんですね。ではお一人で、頑張って神屋敷に”イけて”しまっちゃってくださいね。あ、ぜひ先に行って熊退治もしておいてください♡幸運を祈ってます☆」
「なっ、、えっ、あっ、っちょっと待って、izumeのにゃん次郎さん、ちょっと待って」
……… オナシャスっ!!


とまあ、izumeさんと新潟行きをプロミス☆したわけですが、私の仕事上の都合やなんやで予定を合わせることができず、結局この夏、出雲崎に単身乗り込んでみることにしたのです。

が、案の定、こうしでヤブ漕ぎ真っ最中なう、となっているわけです。

十二株山の「神屋敷」と呼ばれる場所は、Googleマップにマーキングこそされているものの、情報は皆無と言って良いでしょう。
ご覧のように、こんもりとした低山の中にあり、入口らしき場所は見当たりません。

ストリートビューで擬似探索してみても、入口と呼ぶには怪しい場所しか見当たらず、事前に出雲崎観光協会に問い合わせてみましたが、有力な情報も得ることはできませんでした。

「ええい、ままよ」と、とりあえず来てみた十二株山。
全くどこから手をつけたものか。

こりゃ、まいったな。。
8月19日の出雲崎は、最高気温33度。
そのまさに最高気温を記録しようかという午後の昼下がりに、長袖長ズボンに防虫剤を振り撒いて突入すること数回。

いや、このルートも違うな、と腰丈ほどある草むらの中で呆然としながら、私は聖地があるという山を眺めていたのでした。

体中汗だく、頭に草と蜘蛛の巣を被りながら山から退却してきた私をよそ目に、海岸では、海水浴を楽しむ人の姿が、ちらほらとありました。私も水に浸かりたい。
その中で、地元民っぽい、少しイかつい兄ちゃん集団がバーベキューをしていたので
「ここに神屋敷という、小さな石の祠があるそうなんですが、ご存じありませんか」
と訪ねてみましたが、
「いや、知らないですね」
と返事が返ってきます。

「この先は、入っちゃダメですかね」
十二株山の麓の丘に続く小道がひとつだけあったのですが、そこは立ち入り禁止よろしく、ロープでバリケードがされていました。
「だめでしょうね」
やはりだめか。兄ちゃんたちに軽くお礼を告げて、その場を立ち去ろうとした私でしたが、ひとりの兄ちゃんさんがおっしゃいました。
「車はダメだろうけど、人だけならチョロッと入っちゃってもいいんじゃない」
ナン…だと…

いや、実はその言葉、待っていたんですけどね。
もうこの道しか、望みはなかったのですから。

結局のところ思うのですが、”呼ばれないと辿り着けない”なんていう話は、”情熱”の問題ではなかろうか。
たとえ”呼ばれ”なくとも、拒否られようとも、半径5m以内の接近禁止令が発令されようとも、どうしても会いたい!なにがなんでも”ZE☆TTA☆I”に逢いたい!オマエのことが好きなんだ~っ!っていう、変態的執着心をもってどこまでも追い求め、諦めなければ、世にいう”呼ばれないと辿り着けない”場所くらいは、普通に辿り着けるものです。

私くらいの”変態”、いわゆる「頑張れ!!」って感じの”変態”クラスになると、「神屋敷」と呼ばれる超レアゲートでさえも
”俺だけイけてしまうな件”なのですから、NE☆



あ、あったよ、本当に(うるうる)。
唯一と言っていいweb上の神屋敷の情報は、岡本雅享(おかもとまさたか)先生の「新潟日報」(2016年)に掲載された記事になります。
岡本雅享先生は、昭和42年(1967年)4月に島根県出雲市古志町に生まれ、明治学院大学国際学部(秋月望ゼミ)卒業後、横浜市立大学大学院国際文化研究科や一橋大学大学院社会学研究科に籍を置かれ、2000年10月から福岡県立大学人間社会学部教員に在籍されているとのこと。

十二株山(じゅうにとさん)の由来については「石井神社」に伝わっています。
「神代の昔、各地を平定した出雲大神が、居多よりこの地に来られ佐渡ヶ島を平治しようとしたが、海を渡る船がない。
そこで、宮居に近い石井(いわい)の水を汲んで大地に灌ぐと、不思議にも一夜にして12株の大樹が育った。
その霊樹で船を造り海を渡るのだが、大小の魚鼈(ぎょべつ/魚や海亀)が悉(ことごと)く浮かんで御船を”佐”(たす)け護り、”渡”し奉ったことを以て”佐渡”(たすけわたす)国と云う」
私はこの小さな石祠を、目的の神屋敷だと最初は思い込んでいましたが、

そこから少し離れた場所に、石の鉢が置かれているのに気がつきました。
手水?

するとその先に、倒れた鳥居と、陰になってひっそりと佇む、別の石祠があるではありませんか。
これが神屋敷か!

一夜にして育ったという話を彷彿とさせる大樹の横に鎮座する社。

古い写真では鳥居は立っていましたが、私が見た時は寝かせてありました。

神屋敷の石祠をよく見てみると、中に石が置かれてあり、何か書かれていました。

それは三柱の神名。
中央の「蛭子之命」は分かりますが、両サイドの名は消えかかっており、読み取れません。
エビスの神、もしくはヒルコかもしれませんが、その名は石井神社の祭神名にはありません。
これはどういうことか。

この石祠の古い写真でも、神名の書かれた石は写っておらず、割と最近置かれたものと思われます。
誰がこの神名を書いた石を置いたのか、また不明の神は誰なのか、神屋敷とどういった関係があるのか、謎です。
この件につきましては、後発のizumeのにゃん吉さんに探ってもらうほかありません。

izumeのなんとかさんは、神屋敷を紹介する岡本雅享先生のご著書『出雲を原郷とする人たち』を読んで、ここが新潟版の「ダンノダイラ」だとイメージしたそうです。
確かに奈良のダンノダイラの麓には、「十二柱神社」が鎮座していました。
十二という数字がダンノダイラと関係があるのかどうか、なんとも言えませんが、ここ神屋敷は、確かに傾斜がなだらかで、周囲に比べて不思議と草が生えておらず、不思議な空間となっていました。
石の祠が神屋敷というより、この空間自体が神屋敷なのでしょう。

ただ、広さはさほどなく、新潟版「ダンノタイラ」と呼んでしまって良いものかは検討が必要です。
それでも祭祀の重要な場所だったことは、間違いない。なんと素晴らしい空間か。
数々のレアゲートを攻略し、ひとまず行き尽くしたと感じる、燃えつき症候群気味の私にまたこのような感動を与えてくれたizumeさんに、大感謝です。

神屋敷から抜け出して下界に降りてきた私はそこで、あれっ?と思いました。

てっきり神屋敷は、佐渡島を向いているのだろうと思い込んでいたからです。
が、実際は違いました。
新しい社地である石井神社は海に面していますので、おそらく佐渡島を向いています。

これに対し、神屋敷は海岸線と並行に向いているのです。
どちらかというと、そう、「彌彦神社」のある方向です。

佐渡島を向いているのは、最初に見つけたこちらの石祠の方か。
こちらが出雲大神が佐渡に渡った由来のある十二株山の社で、神屋敷とする石祠は本来、別の由来をもつ社なのではないか。
などと、当地を訪ねて新たな謎が湧き上がります。

神屋敷の近く、彌彦神社と結ぶライン上に、”落水”という地区があるのも面白い。

再び海の少しイかつい兄ちゃん集団のところへと戻り、目的のものに出会えた感謝を述べ、ここが石井神社の元宮で出雲崎の名の由来の場所だと伝えました。
兄ちゃんさん達は、とても驚いたふうでした。

当地の郷土史家・阿部五郎さんが随筆『十二谷の幻想』で「原始林を思わせるひっそりとした林の奥に石の祠がある」と紹介する「神屋敷」。
岡本雅享先生によれば、その『十二谷の幻想』では「出雲崎の春が一番はやく訪れる場所がこの辺りで……出雲の岬の名もここから付いたと言われ、この浜に漂流してきた船は、何れも安全無事に着岸した」と記されているということです。
