風三郎神社 奥宮:常世ニ降ル花 八坂無月篇 04.5

投稿日:

4161462-2026-06-1-08-10.jpg

風穴に行けなかったことは少々心残りですが、いつかnarisawaさんにおんぶしてもらって、行けたらいいな。
そんなことを思いつつ、素敵な風三郎の聖域を後にしました。

ー 『偲フ花』「風三郎神社」にて五条桐彦
.
.
.
.
.
.

ということで、narisawaさんにおんぶしてもらって、風三郎神社の奥宮「風穴」に連れていってもらいました、YO☆

C1D-2026-06-1-08-10.jpg

4161436-2026-06-1-08-10.jpg

と、その前に、車を止めてちょっと寄り道。

4161430-2026-06-1-08-10.jpg

こんなところに参道が。

4161432-2026-06-1-08-10.jpg

そこに祀られる謎の神社。

4161433-2026-06-1-08-10.jpg

こちらは「神明大明神」と「浅間大神」の名前がありました。
こんなとこまで知っているnariさんも、大概ヘンタイですよね、いい意味で⭐︎

4161435-2026-06-1-08-10.jpg

C1D-2026-06-1-08-10.jpg

4161501-2026-06-1-08-10.jpg

さて、”なりたび”3日目のメインイベントとなったのが、念願の一つだった「風三郎神社」(かぜのさぶろうじんじゃ)の奥宮参拝でした。

4161504-2026-06-1-08-10.jpg

前回の風三郎神社参拝は、新緑に覆われた初夏の景色でしたが、今回は名残桜が出迎えてくれました。

4161509-2026-06-1-08-10.jpg

ハラハラと舞い散る花弁が、切なく愛おしい。

4161441-2026-06-1-08-10.jpg

風三郎神社は長野県上伊那郡中川村大草の「黒牛」と書いて、古くは「くろうじ」と呼ばれた里にあります。

4161439-2026-06-1-08-10.jpg

松沢義章氏の著書『顕幽本記』「夏之部三」には、

”その里には人家が三十ほどあり、そこから東の方、およそ十七、八丁ばかり山に登っていくと、谷間の巌に、「風穴」と呼ばれる穴があった”

と記されています。

4161444-2026-06-1-08-10.jpg

で、その里宮である風三郎神社に、まずはnari氏と僕は参拝に来た訳ですが、あれ?あれ~っ⁉︎
新しくなってる・・・

7190592-2026-06-1-08-10.jpg

前回来た時が2022年ですから、あれから5年ですか。
日差しの関係もありますが、鬱蒼とした雰囲気が嘘のようにカラッとしています。

4161445-2026-06-1-08-10.jpg

失礼して中を拝見すると、お社は古いままでした。
しかし外側の建物・覆屋は下まで覆われており、社殿下に奉納されているであろう穴の空いた器はもう見れなくなっていました。

7190597-2026-06-1-08-10.jpg

C1D-2026-06-1-08-10.jpg

4161449-2026-06-1-08-10.jpg

さて、narisawaさんのエスコートで風三郎神社の奥宮、風穴を目指すわけですが、実のところnarisawaさんは可愛い女子しかおんぶしない主義のようで、僕はおんぶしてもらえませんでした。残念。

4161451-2026-06-1-08-10.jpg

仕方なく僕は自力で歩くことにしたのですが、なんともまあ素晴らしい山道ではありませんか。

4161452-2026-06-1-08-10.jpg

『顕幽本記』によれば、風穴の神を祀る里宮が風三郎神社であり、毎年神事が行われていたとのことです。
筆者の松沢義章氏が神主に会って「斉き祀られる神はどなたでしょうか」と問うたそうですが、神主は「里人は”風の三郎様”と言いますが、”志那津比古命”(しなつひこのみこと)とおっしゃる神が祀られております。然れども、太古の事にて正しく伝わる書物等も失われておりますので、確かにその神であるとも申し難くございます」と答えられたそうです。

4161497-2026-06-1-08-10.jpg

風三郎大神は「級長津彦命」(しなつひこのみこと)と「級長戸辺神」(しなとべのみこと)とされるようですが、シナツは”信濃”に尊称の”津”を加えたもので、”信津”であろうかと思われます。
彦は王、戸辺は戸畔のことで、ここでは姫巫女となるのでしょう。

4161454-2026-06-1-08-10.jpg

奥宮の風穴とは、これが風三郎大神のご神体だと思われ、人がもし風穴の近くに至れば、「すなわち大風吹いて幾日にも及ぶ」「その付近の草や枯れ木など伐るときは烈風吹き荒れて、十里二十里の間大木を転ばし、人家を薙ぎ倒す」などと言い伝えられており、名の通り風神としての性質を色濃く持っているということになります。
であれば、シナツヒコとは、同じく風神とされる伊勢津彦が信濃入りした名前なのかもしれません。

4161498-2026-06-1-08-10.jpg

ところで、この奥宮までの山道は、ある程度は道になってはいますが、場所によっては幅30cmに満たないような土の斜面を歩くこともあります。
すぐ横は川ですので、誤って足を滑らせたなら、びしょ濡れ泥だらけも覚悟しなければなりません。

4161460-2026-06-1-08-10.jpg

途中、たくさんの丸石に苔が覆う場所がありました。
もののけの森みたいです。

4161461-2026-06-1-08-10.jpg

乾燥がちな信濃では、このように苔が一面を覆うというのはとても珍しいのだと、narisawaさんは説明します。

4161466-2026-06-1-08-10.jpg

当地の黒牛”くろうじ”について松沢義章氏は、黒は闇が訛ったもので、牛は”主領”(ウシハク)から来ており、”闇主”(クラウシ)がこの祭神の御名であろう、と考察されています。
鳥羽の志摩国一宮、粟島の「伊射波神社」(いざわじんじゃ)の奥宮には、「領有神」(うしはくがみ)が祀られていました。

4161468-2026-06-1-08-10.jpg

ウシハクの神とは何かというと、古事記の国譲り神話の部分にヒントがありました。

「汝が”宇志波祁流”(うしはける)葦原中国は、我が御子の”知らす”(しらす)国であると言依(ことよ/委任)されて賜われている。それで、汝の心は奈何(いかに)」

これを見ると、「うしはく」と「しらす」という言葉は、「神が国を治める」という意味である事が分かります。
「しらす」とは国民の声を聞き、国の様子を知り思い、治世を願い祈ることで、世を治めることを意味し、対して「うしはく」とは、力や財力をもって、支配者として土地や人民を領有することを意味するのだ、と。

4161469-2026-06-1-08-10.jpg

つまり松沢義章氏の考察は、黒牛の語源とは「闇の神が治める国」を表している、ということを言っているわけですが、里宮から15分強ほど歩いたでしょうか、ついにその”闇主”が姿を現したのでした。

4161471-2026-06-1-08-10.jpg

C1D-2026-06-1-08-10.jpg

4161476-2026-06-1-08-10.jpg

風三郎神社の奥宮とは、言わばとてつもなくでかい磐座なわけですが、nari氏曰く、”風穴”と呼ぶに相応しい洞穴は2つあるのだそうです。

4161477-2026-06-1-08-10.jpg

一つは向かって左側の、この巨岩の下でしょうか。
しかし近づくには足場が急斜面、かつ滑りやすい状態で、なかなか厳しい。

4161478-2026-06-1-08-10.jpg

重要なのは右側の穴で、

4161480-2026-06-1-08-10.jpg

なるほど、パックリと縦に常闇が口を開いています。

4161487-2026-06-1-08-10.jpg

この穴の手前には、「八ヶ岳原人」さんも見つけたという方形の穴があいた丸石がありました。

4161488-2026-06-1-08-10.jpg

これらの人工的に削られた石は、ここがかつての祭祀の現場であったことを示しています。
この石は枯葉に埋もれていたものを、narisawaさんが掘り起こして見つけ出しました。

4161492-2026-06-1-08-10.jpg

「この穴は、巌の中を横に奥深く続いているわけではない。巌の入口を少し入ると、穴は地下へ向いており、その深さはどれほど有るのか計(はかり)知れないと聞き伝えられている。
以前、大草村の新兵衛という武士が、酒を飲んだ後、この穴の中を見ようとして一人で内に入ったが、たちまち落ちて、穴を上る事ができなくなってしまった。
“助けてくれ”という彼の声が幽(かすか)に聞こえるので、人は皆驚き、太い縄で20尋(約36m)ばかりあるのものを下ろし、かろうじて引き上げることができたのだ。
さて、穴の中のかたちはどのようであったかと新兵衛に問えば、
”私は穴に落ちて訳がわからなくなり、凡百丈(300m)ばかりも落ちたかと思った頃、少し飛び出た岩に手を掛け、必死に取付き、大声をあげてなんとか助かった”という。
その他の事も何くれとなく問うてみたが、はなはだしく恐れるばかりで、まったく何も言おうとしない。ともかくもこのように、風穴の深さの計り知れないとうことだけは真のことである」

このほかにも地元の言い伝えでは、風の神は獅子が嫌いで、神楽獅子や越後獅子が宮の入坂より奥へ上がったことがなく、坂から上に登れば暴風を起こすといわれており、実際に明治5年(1872年)に岩穴に入った者がおり、粗末に扱ったため大暴風になったと伝わっています……

これはなかなかな荒ぶりようの、ガチ勢の神様、それが風三郎大神。
・・・・・・この不浄のかけらも持ち合わせていない、純真無垢な五条桐彦めが少しだけ拝謁賜ることをお許しください。どうかお咎めなきよう、どうか。

4161485-2026-06-1-08-10.jpg

もちろん穴の中までは入らないのですが、手を伸ばしてシャッターをパシャリ、と押させていただきました。
八ヶ岳原人さんの写真にもあった、金属の棒らしきものが刺さっていたという、丸い物体だけがそこにありました。

4161484-2026-06-1-08-10.jpg

どうやらこれは石のようですね。奥に金属板のようなものも見て取れます。

「人々はその中に鉄で作った注連(しめ)をかけ、鉄で作られた幣(ぬさ)を建てた。
この二つの物は、いつ頃、どのような人によって作られたのか、その由(よし)を知る人はいない」

長い年月の果てに、鉄は錆びて朽ちてしまったのでしょうか。

4161491-2026-06-1-08-10.jpg

風の神とは常闇の神、風三郎が吹かせる風は、常世の風か。
ならば奥社の風穴とは、常世に続く千曳の岩なのかもしれない、と、風三郎神社の記事で僕は考察しましたが、まさしくそんな風貌の奥宮・風穴。

4161494-2026-06-1-08-10.jpg

やはり風穴は、本来は子孫繁栄と安産を祈願する”サイノカミの女神の磐座”であったろうと思われます。
風三郎神社の穴の空いた皿を奉納する風習にも、その片鱗が窺えます。

4161495-2026-06-1-08-10.jpg

底しれない深い縦穴というのも存在しませんでしたが、”新兵衛という武士が穴に落ちた話”などは修験の者、おそらくは出雲サンカが修行場を守るために流した噂話ではなかろうかと思われます。
ただ、こうした我が国の原始的な神々が、いとおそろしきものであるのも事実。

4161500-2026-06-1-08-10.jpg

日本人であっても、異国人であっても、我が国の聖域に邪念を持ち込むことはゆめゆめなさらぬがよろしいかと、思うのでした。

4161510-2026-06-1-08-10.jpg

コメントを残す