“北斗の水くみ”が見える海岸

投稿日:

3160068-2026-03-18-09-49.jpg

“肌にすこし冷たく感じる秋冷の夕べ、玄海の広々とした浜辺に起つと、海が黒く見え、遠く外洋船が行き交い、ゆっくりとした灯火の動きを目で追うと黒い海と空の境界を確かめられます。今、夕日の照りが微かに残る西空に、ふと見上げると巨大な天の柄杓(ひしゃく)が杓(コップ)を、先頭に続いて柄が、ゆっくりと、ゆっくりと降りてくるではありませんか?
 きらきらと輝く小さな星の七つを結んでできる天の柄杓(ひしゃく)は、雄大で、黒い海にむかって、ゆっくりと降りてきます。まるで、天の柄杓が水をくむかのように見える、「北斗の水くみ」の出現です。“

- 『むなかた電子博物館

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

MG_2701-2026-03-18-09-49.jpg

ということで、霧島北斗七星考察から辿り着いた、”北斗の水くみ”が見える海岸を求めて、北部九州福岡県の岡垣町へとやって来ました。

MG_0494-2026-03-18-09-49.jpg

途中、最近人気の『ぶどうの樹』というお店の岡垣店があったので、ちょい寄り。

MG_0496-2026-03-18-09-49.jpg

いろいろなコンセプトの店があり、人気が出るのもわかります。

MG_2684-2026-03-18-09-49.jpg

本当はワインをひとくち嗜むべきでしょうが、僕は下戸なのもので、ソフトクリームをいただきました。
ぶどうの味が濃くて、美味しい。

MG_2693-2026-03-18-09-49.jpg

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

3160003-2026-03-18-09-49.jpg

“北斗の水くみ”を見たければ、知りたければ、まずやって来るべきは岡垣町観光ステーションの「北斗七星」です。

MG_0505-2026-03-18-09-49.jpg

岡垣町波津の海岸沿いに施設はありますが、ここは北斗七星の”ひしゃく”が、あたかも水をくんでいるように見える、世界でも珍しい場所として知られています。

hokuto-star-2026-03-18-09-49.jpg

北斗七星は毎日、北極星ポラリスを中心に、天に円を描くように回転していますが、その北斗の柄杓が海の水を汲み出すように見える場所は、北緯33度から34度に位置し、北に水平線がある風景の場所に限られます。
これは1980年に、天文学者で福岡教育大学名誉教授の平井正則氏が、小学4年生の理科教材の内容を考えて作る時に発見したとのことで、氏は「北斗の水くみ」の名付け親でもあります。
そして調べてみれば、これら条件を満たす場所は世界広しと言えど、なんと北部九州の一部のみ!宗像市から岡垣町に至る海岸だけといわれています。(地中海の一部など、他にも見られる可能性はあります)

3160008-2026-03-18-09-49.jpg

その条件にかなった、数少ない観望ポイントの中でも、特に絶好のポジション、『絶☆ポジ』になるのが、岡垣町の波津海岸(はつかいがん)です。

3160009-2026-03-18-09-49.jpg

水質の良い、澄み切った海と空の境界を隔てるものは何もありません。
つまりここに、”北斗の水くみ”を邪魔するものは、何もないのです。

GIqqF5obIAArfeT-2026-03-18-09-49.jpeg

サイコ~っ!
しかし残念ながら、今は昼。
空を見ても、北斗の星々を見ることは叶いません。

3160004-2026-03-18-09-49.jpg

岡垣町観光ステーション北斗七星の施設内では、”北斗の水くみ”を撮影した素敵な写真を展示しています。
それを見て、心を和ませることにしましょう。
ああなんと、雄大で神秘的な景色なのでしょうか。

P316000422-2026-03-18-09-49.jpg

施設の方にお伺いすると、鑑賞におすすめの時期は9月から11月ごろだとのことです。
“北斗の水くみ”見ごろのおおよその時間帯は、次のとおり。

9月上旬:23時30分ごろ
9月中旬:23時ごろ
9月下旬:22時ごろ
10月上旬:21時30分ごろ
10月中旬:21時ごろ
10月下旬:20時30分ごろ
11月上旬:19時30分ごろ
11月中旬:19時ごろ
11月下旬:18時30分ごろ

しかし1番のおすすめは7月の深夜3時ごろだと、こっそり教えてもらいました。
岡垣町観光ステーション北斗七星ではこの時期、星空観望会も定期的に開催しているとのことでした。

MG_0506-2026-03-18-09-49.jpg

またステーションでは、素敵な写真の絵葉書と、”北斗の水汲み”を見るためのカレンダーをいただきました。
円盤を日にち、時間で合わせると、その時の北斗七星の位置がわかると言う優れ物です。

MG_0507-2026-03-18-09-49.jpg

この日、ステーションを訪ねた時間を合わせて見ると、ちょうど柄杓が海から水を汲み上げたところでした。
ああ、空が夜空だったなら。
そう思い、心の目で”北斗の水くみ”を鑑賞することにしたのでした。

3160007-2026-03-18-09-49.jpg

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

3160011-2026-03-18-09-49.jpg

岡垣町の港町に鎮座する「大原神社」(おおはらじんじゃ)を参拝しました。

3160012-2026-03-18-09-49.jpg

鳥居の扁額には、「妙見宮」とあります。

3160013-2026-03-18-09-49.jpg

当社は慶長17年(1612年)、黒田筑前守長政が福岡城築城の際、城の丑虎の方位に当たる当地に鬼門鎮護の社として創建したと伝えられます。

3160017-2026-03-18-09-49.jpg

祭神は「國常立命」「武甕槌命」「輕津主命」。
福岡縣神社誌には、加えて「武速須佐男神」「市杵島姫命」を記しているとのこと。

3160015-2026-03-18-09-49.jpg

しかし妙見宮の扁額が示しているように、当社は元は「山妙見」と「浜妙見」があり、それを合祀して現在の大原神社となったとされます。
妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。当地に星信仰があったことを偲ばせます。
現在の祭神は、神仏習合から神仏分離を経て、不明となった祭神に神話に合わせて当てはめられたものと思われます。

3160019-2026-03-18-09-49.jpg

岡垣町は古代は、宗像市旧玄海町北部とともに宗像郡海部郷(あまのさと)を形成していました。

3160016-2026-03-18-09-49.jpg

そのことを鑑みると、あるいは真の祭神は、福岡縣神社誌にあるという「武速須佐男神」つまり徐福と、后「市杵島姫命」の夫婦神であった可能性もあり、山と浜の2社で二神を祀っていたのかもしれません。

3160018-2026-03-18-09-49.jpg

拝殿の手前には、町指定天然記念物にもなっている樹齢約600年の大銀杏が聳えていました。
なかなか見応えのある銀杏の木ですが、

3160014-2026-03-18-09-49.jpg

Fカップの立派なチチがぶら下がっていました。
いや、昔は荒ぶっていたであろう、今は元気のないおじいちゃんのイチモツのようにも見えますね。

3160021-2026-03-18-09-49.jpg

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

3160022-2026-03-18-09-49.jpg

岡垣町の海岸線沿いに、「波津城神社」(はつじょうじんじゃ)が鎮座していました。

3160023-2026-03-18-09-49.jpg

神社と言っても石の祠がある程度のものです。
つい通り過ぎてしまいそうになるこの神社は、かつてこの地にあった「波津城」跡地に建てられたものと伝えられています。
波津城は室町時代から戦国期にかけての城で、遠賀郡の沿岸を治めた豪族・波津氏の居館とされたのだそうです。

3160024-2026-03-18-09-49.jpg

地元の鎮守として祀られるようになったこの城主は、如何なる人物だったのか。
名字由来net』では波津氏を「中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流大友氏族」あるいは「静岡県西部である遠江国榛原郡波津庄が起源(ルーツ)である」としていました。

3160025-2026-03-18-09-49.jpg

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

3160062-2026-03-18-09-49.jpg

宗像市鐘崎に来て、「織幡神社」(おりはたじんじゃ)を参拝しました。
「織幡宮」(おりはたぐう)ともいい、地元では「シキハン様」とも称されます。”織幡”で”シキハン”、なるほどね。

3160055-2026-03-18-09-49.jpg

織幡神社は、海に突き出た要衝の鐘ノ岬にあり、一帯は『和名抄』の「海部郷」に比定され、海部が存在したと見られています。
今は祭神がごちゃごちゃしていますが、元来は海人族により祀られる海の神であったと推測する説が挙げられています。

3160027-2026-03-18-09-49.jpg

鐘崎の名の由来としては、海中に異国の釣鐘が沈んでいるとする伝説があり、宗像興氏や黒田長政もこれを権力の限りを尽くして引き上げようとしたが叶わなかった、と伝えられます。

3160059-2026-03-18-09-49.jpg

大正8年になって、山本菊次郎なる人物が万金を投じてこれを引き上げることに成功しましたが、姿を現したのは
「岩やないかーいっ!」
ってことになって、その岩が境内に置かれています。

3160026-2026-03-18-09-49.jpg

これはいわゆる「沈鐘伝説」といって各地に同様の逸話が伝えられていますが、中でもここ鐘崎のものと、福井県の金ヶ崎は特に有名なのだそうです。
福井のものも、無理に引き上げて「岩やないかーいっ!」ってならないよう、ロマンはロマンのままにしておくのが吉かと思います。

3160028-2026-03-18-09-49.jpg

さて、織幡神社の創建については、15世紀中頃成立の『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐の際に、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内大臣(武内宿禰)の織った紅白2本の旗をつけて戦い、最後にはそれを「息御嶋(= 沖ノ島)」に立てた。そして武内大臣の垂迹の際、その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座し、名は武内大臣が旗を織ったことから「織旗」(織幡)としたとする、とちょと何を言っているかよく分からないことが記されています。

3160029-2026-03-18-09-49.jpg

『万葉集』1230番では、
「ちはやぶる 金の岬を過ぎぬとも 我れは忘れじ 志賀の皇神(すめかみ)」
と、鐘ノ岬(金の岬)を通過する際に海の神に祈る様子が歌われています。
この鐘ノ岬と対岸の地島の間は暗礁地帯で、古くから海上交通上の要衝・難所であったことが知られています。
志賀の皇神とは志賀海神社の祭神である綿津見三神のことですから、古代には阿曇族が当地に居住して志賀神を奉斎したと見る説もあります。

3160054-2026-03-18-09-49.jpg

また『日本書紀』応神天皇紀では、天皇は阿知使主・都加使主に呉に赴いて縫工女を得るよう命じたが、阿知使主らは帰国の際に「胸形大神」(宗像大神)に求められて同神に工女4人のうち兄媛を献上したとする伝承が記されています。
この伝承と織幡神社とを関連付ける説もあり、神に献上する衣を織る織女が神格化された可能性が指摘されています。

3160030-2026-03-18-09-49.jpg

と、まあ、結局実際の創建については詳らかでなく、祭神も曖昧です。

3160031-2026-03-18-09-49.jpg

現在の祭神は「武内大臣」(たけしうちのおおおみ)、「住吉大神」(すみよしのおおかみ)、「志賀大神」(しかのおおかみ)を主祭神とし、

3160047-2026-03-18-09-49.jpg

「天照大神」(あまてらすのおおかみ)、「宗像大神」(むなかたのおおかみ)、「香椎大神」(かしいのおおかみ)、「八幡大神」(はちまんのおおかみ)、「壱岐真根子臣」(いきのまねこのおみ)の全8柱を祀っています。

3160032-2026-03-18-09-49.jpg

その他に祭神の異説として、「大御食津神」とする説や、前述の織女「呉織」・「穴織」とする説もあるようです。

3160052-2026-03-18-09-49.jpg

風雨にさらされて、お顔が溶けた狛犬氏。

3160051-2026-03-18-09-49.jpg

ちょっとお猿さんチックで、これも可愛い。

3160050-2026-03-18-09-49.jpg

境内の隅に、武内大臣が昇天の際に残した沓を埋めた「沓塚」があります。
ここでいう武内宿禰は武内襲津彦のことでしょうが、大田根といい、武内の血族は靴を残して昇天するのが流儀のようです。

3160049-2026-03-18-09-49.jpg

そしてここから見える海岸線の景色はとても素晴らしく美しいのですが、角度的に”北斗の水くみ”は見えなさそうですね。

3160033-2026-03-18-09-49.jpg

ならばこの先へ進むほかありますまい。

3160034-2026-03-18-09-49.jpg

登るよ~。

3160035-2026-03-18-09-49.jpg

織幡神社が鎮座する、鐘ノ岬先端の山は、「佐屋形山」(さやがたやま)といいます。

3160036-2026-03-18-09-49.jpg

どことなく亜熱帯を思わせる雰囲気です。

3160037-2026-03-18-09-49.jpg

標高は50mほど。

3160038-2026-03-18-09-49.jpg

織幡神社の祭神の中で気になるのが「壱岐真根子」の存在です。
なぜなら織幡神社の祭祀は、古くは壱岐真根子の子孫と伝えられる壱岐氏が担ったとされているからです。

3160039-2026-03-18-09-49.jpg

壱岐氏は平家没落の際に姓を「入江」に変えたが、文久3年(1863年)に「壱岐」に戻したといい、その後、壱岐家は昭和18年(1943年)まで当社の宮司職を勤めています。

3160040-2026-03-18-09-49.jpg

『宗像大菩薩御縁起』に見える宗像大社の神が持っていたという「御手長」を、壱岐島の式内社「天手長男神社」・「天手長比売神社」と関連付けられると見る節もあります。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳に記載される宗像郡の名神大社は宗像神社(大社)と織幡神社のみとなっています。

3160041-2026-03-18-09-49.jpg

さて、ここから沖ノ島が見えることもあるという話ですが、

3160043-2026-03-18-09-49.jpg

霞んで見えませんな。今日日、”澄み切った空”なんて言葉は、そうそう出て来ません。
『宗像大菩薩御縁起』の「御手長」で、武内宿禰の織った紅白2本の旗を沖ノ島に立てた、というフレーズが思い浮かびます。
鐘崎は宗像氏、壱岐氏にとって、重要な何かの場所であったのは間違いありません。

3160045-2026-03-18-09-49.jpg

ここからすぐ近くに見える島は宗像三女神の次女・多岐津姫が鎮まる大島です。
宗像大社の例祭「みあれ祭り」で長女・次女の女神を乗せた船団が大島を出発した後、父神と三女の女神が待つ神湊に向かう途中で大きく迂回して参詣するのが、この鐘ノ岬でした。

3160044-2026-03-18-09-49.jpg

みあれ祭りが行われるのは例年10月1日のこと。
その夜はこの海で、ひっそりと”北斗の水くみ”を見ることができるのでしょう。

3160046-2026-03-18-09-49.jpg

C1D-2026-03-18-09-49.jpg

MG_2735-2026-03-18-09-49.jpg

織幡神社で猫と戯れた後、

3160075-2026-03-18-09-49.jpg

福津のウユニ塩湖、福津のかがみの海などと呼ばれる場所にやって来ました。

IMG_2752-2026-03-18-09-49.jpg

まあ言っても、日本は遠浅の砂浜が多いので、タイミングが合えばこんなふうになる場所は多いのではないでしょうか。
あとは画像処理しまくりでバえさせればオケ的な。

3160063-2026-03-18-09-49.jpg

最後にやって来たのは、宗像にある「北斗の水くみ海浜公園」。
場所は有名な「道の駅 むなかた」の裏手です。

3160069-2026-03-18-09-49.jpg

ここも良い海岸ですが、大島や鐘崎が水平線上にありますので、”北斗の水くみ”にどう影響があるでしょうか。
やはりベストポジションは波津海岸ということになりますね。
今年の夏か秋かに、見に来てみようかな。

3160070-2026-03-18-09-49.jpg

むなかた電子博物館『むなはく』

IMG_2751-2026-03-18-09-49.jpg

2件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    北緯33度線は世界でも遺跡が多く、また神秘主義にも関連づけられているのですが、日本で北斗水汲みが見える場所があるのは興味深いです。北斗七星(妙見信仰)は比較的新しい時代に大陸から来たと思っていましたが、今回、霧島の北斗七星と磐座(いくつかは怪しいですが)を知って、もしも出雲族にも繋がるのなら、下鴨神社でなぜ北斗七星のお守りが売っていたのか、繋がる気がしました。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      今回は時代的にも、磐座的にも、天体的にも、かなりゴリ押しの推論でして、お遊び的なものに終わりましたね。
      ただ、随所に出雲が感じられたのも確か。
      下鴨神社あたりは、それこそ陰陽師的な信仰があるのかもしれないですね。

コメントを残す