壱岐の中心よりやや南側に壱岐国一宮後継社「天手長男神社」(あめのたながおじんじゃ)があります。
小高い丘にある神社。
宗像大社の『宗像大菩薩御縁起』によると、神功皇后の三韓征伐の時に、宗像大社の神が「御手長」という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白2本の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄し、最後に沖ノ島に立てたといいます。
天手長男、天手長比売の名前はこの「御手長」に由来します。
天手長男神社と天手長比売神社はその後、元寇によって廃れ、所在も不明となっていました。
現在の天手長男神社、天手長比売神社は平戸藩の国学者、「橘三喜」の査定によるものですが、これには様々な異論も多く、別の候補地を主張する学者も多いようです。
さて、「天手長比売神社」の社殿跡地です。
かつては栲幡千々姫命、稚日女命、木花開耶姫命、豊玉姫命、玉依姫命の五柱がお祀りされていました。
物部系、豊王国系の神の名が連ねられています。
現在は天手長男神社に合祀されていると云います。
またここの前には小川がありますが、向かいの天手長男神と年に一度の逢瀬を楽しんだという七夕伝承も残っています。
鬱蒼と杜が茂るこの場所は、天手長比売神社としての是非はともかく、確かに神の気配を感じる場所でした。