宇龍:満天ニ鳴ル花 神門天狼篇 02.3

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風光明媚な出雲・島根半島の日御碕(ひのみさき)。

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そこから東へ回り込んだところに、小さな漁村があります。
戦国期には山陰屈指の貿易港として、また江戸時代には北前船の風待港として栄えた「宇龍」(うりゅう)集落。
奈良期に編纂された『出雲国風土記』には、「宇礼保(うれほ)の浦、広さ七十八歩なり。船廿ばかり泊つべし」とあり、古代から良港として知られていました。

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宇龍は平安期から鎌倉期までは、日御碕神社の社領でした。
鎌倉期も日御碕神社の神官・日置氏が継承していましたが、南北朝期になると杵築大社(出雲大社)の勢力が宇龍に及び、戦国期には北島国造家に仕える上官・佐草家が支配していたようです。
佐草家といえば、八重垣神社の社家でもあります。

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当地に伝わる伝承として、
「成務天皇6年1月5日の早朝、一羽のウミネコが海草を日御碕神社の欄干に3度掛けて飛び去った。不思議に思った神主がそれを水洗いして乾かしたところ、ワカメになった」
というものがあり、以来旧暦正月5日に宇龍では「和布刈神事」(めかりしんじ)が執り行われます。

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神事では、宇龍港内の権現島に船を並べて橋を作ります。
それを宮司が神職氏子を従え、箱めがねで新しい和布(わかめ)を刈り上げます。

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渡御の祭は舟歌が歌われ、渡御船の水先人として数人の若者が寒天に、赤い下帯姿で奉仕することでも知られています。
出雲の名産として広く売り出されていり「ワカメ」は、地元では、この神事がすまないと刈らないことになっているそうです。

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権現島に鎮座するのは「熊野神社」。

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権現島は岸からテトラポッドなどでかろうじて繋がっていますが、見ての通りの断崖絶壁で、島内に侵入するのは相当危険なようです。
地元民に迷惑をかけるようなことはしてはなりません。

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10月の第3土曜日の例祭では、船が権現島まで渡されて、一般の参拝も可能ということです。
宇龍の権現島は、数百年来女性が島に上がることを止められていた「女人禁制の島」でしたが、近年、男女共同参画推進の影響で平成12年(2000年)に女性も島に上がってよいと、禁制が解除されました。こういった禁足解禁の傾向は、喜んで良いものかどうか。

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僕が宇龍に興味をもったのは和布刈神事のこともありますが、かつて日御碕神社の考察で、ここが特別な場所だと感じたからでした。

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天之冬衣がスサノオ(菅之八耳)を祀ったという「隠ヶ丘」と、大国主の埋め墓ではないかと思われる「御陵神社」を結んだ線上に、宇龍・熊野神社がありました。
ここから僕は、日御碕神社の元宮となる御前ノ社(美佐伎社)の鎮座地は、宇龍だったのではないかと考えたわけです。

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出雲の熊野大社は、富家の邸内社が独立して大きくなったものだということでしたが、富家はそこに始祖「クナト大神」と祖先「事代主」を祀っていました。
神門家が菅之八耳王と大国主を祀った場所が今の宇龍・熊野神社だとすると、「熊野」という名称の意味が紐解けそうな気がします。

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宇龍集落への入口付近に、気になる神社がありました。

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「荒魂神社」、祭神は「速素盞嗚尊」です。

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神紋は、日御碕神社の境外摂社ということもあるのでしょうが、神蹟「隠ヶ丘」に伝えられていた、スサノオが拾い投げたという「柏葉」の紋となっています。
ここでいうスサノオは、出雲王国初代王の菅之八耳(すがのやつみみ)であると考えられます。

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ここに菅之八耳王がいらっしゃるということは、権現島には誰が祀られているのか。
それは、島の洞穴で非業の死を遂げた大国主「八千矛」王なのかもしれません。

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和布刈神事の由緒には、一羽のウミネコが海草を日御碕神社の欄干に3度掛けて飛び去った、とありました。
これは乾かすとワカメだったとのことでしたが、要は藻(も)を掛けた、ということです。
「藻」とは「喪」に通じます。
出雲では、その名の由来として「厳藻かけ」(いずもかけ)の風習が伝えられます。
それは、忌み明けに海で禊ぎをして、その浜辺にうちあげられている海藻を神社に納めるというものでした。

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「熊野」は「イヤ」とも変換でき、「イヤ」は「揖屋」とも変換できます。
「熊野」「揖屋」とは、「忌み家」から始まった名称なのではないでしょうか。
和布刈神事は、忌み明けの風習から年明けの風習に変化したものかもしれません。

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宇龍集落では、毎年旧暦7月15日の夜、特殊行事「みんどう」が行われます。
荒魂神社の境内に、4本の麻布を垂らした「天逆鉾」あるいは「清め柱」と呼ばれる柱を立て、「ミンドン・ヤー」と唱えながら無病息災を祈るのだそうです。
またそこから、高台にある小野家の祖先を祀る林神社に行き、「ミンドン・ヤー」と叫んだ後、「ナミアミダー」(南無阿弥陀仏)と称する踊りを行うとのこと。
大いなる先祖の御霊を忘れずに今も慕い続ける、そんな日本人の原風景が残る集落が宇龍なのかもしれません。

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