
宮崎県西諸県郡高原町にある「皇子原神社」(おうじばるじんじゃ)、霧島北斗七星・第7の磐座を目指します。

ここは、霊峰・高千穂峰の麓にあたり、登山口の一つでもある「皇子原公園西」の高台になります。

そして当地は、神武天皇誕生の地であるとされています。

一帯は6基の古墳が発見されており、中には土器が出土したところもあるとのこと。

ヒィ~。。

周辺には、皇子滝(おうじたき)、皇子川原(おうじかわら)、御池の皇子港(おうじこう)などの地名も残っており、伝承を裏付けるものとして紹介されます。

富家伝承によれば、神武天皇という実名は歴史上存在せず、本来の初代は海家の村雲大君になります。
彼の誕生の地が、この南部九州であるはずがありません。

ではここは誰の誕生地なのか?
由緒によると、皇子原神社は、第5代孝昭帝(カネシエ大君)の御代に、初代天皇誕生の地として創建された「狭野神社」の元宮とされており、慶長3年(1598年)に狭野神社が遷座したのに伴い、現在はその末社としてこの地に祀られているとのことです。

祭神は「神倭伊波礼天皇」(かんやまといわれのすめらみこと/神武天皇)で、幼名を「狭野尊」(さのみこと)といいます。
ここは神武天皇の母である玉依姫が、皇子をご出産した産屋跡ともいわれています。

でも、富家伝承を知ると、色々と矛盾が見えてきます。
カネシエ大君の御代とは、五瀬や三毛入野、稲飯らの2~3世代前の大君で、当然イニエやイクメよりも遥か前の時代です。
その時代に九州南部でおぎゃあと生まれて、東の大和を目指した皇子が、いたのでしょうか?

ただ、大正9年(1920年)に昭和天皇が皇太子の時に御参拝されており、久邇宮家、秩父宮家、伏見宮家、閑院宮家、高松宮家、梨本宮家、朝香宮家、三笠宮家など歴代皇族のご崇敬も篤く、昭和20年(1945年)までは「天孫降臨祭」が国家行事として行われていたそうで、単なる伝承を超えた何かを感じさせるものがあります。

S嬢も天孫降臨は三田井の高千穂ではなく、霧島の高千穂峰かもしれない、と話していて、橋本から霧島の方に嫁入りしている家があるのだとか。
そうなると当地に、古代から由緒ある家があるのではないかと、考えざるを得ません。

周りを見渡すと、穏やか丘陵があり、それが古墳群のようですが、

そういえばあれ?磐座は?
と探してみると、どうやら本殿の裏にあるようなのですが、

えっ・・・これ?
そこには溶岩のような、小ぶりな岩が二つ鎮座していました。
これは「産婆石」(うべいし)と呼ばれ、この辺りで皇子が誕生したとか、母・玉依姫が出産時にしがみついたと伝えられているそうです。

皇子誕生の伝承としては、これでも良いと思いますが、北斗七星を形作るこれまでの磐座群を見てきた後では、これは少々迫力に欠けると言うか、なんというか。
ほんとにこれなの?って、思わず疑ってしまいます。
こりゃ、参ったね。



北斗七星の柄杓が掬い上げている池ということで、「御池」(みいけ)にもやってきました。
霊峰・高千穂峰を望む、神秘的な池です。

御池は、宮崎県都城市と高原町との境界に存在する直径約1km、周囲3.9kmの、ほぼ円形の火口湖です。
水面の標高は305m、水深は93.5mあり、火口湖としては日本で最も深い湖になります。

約4600年前に起きたマグマ水蒸気爆発で形成された火口(マール)に水が溜まってできたこの湖の水が、火の神を鎮めるための祭祀の場となった可能性は高いと思います。

う~ん、天の逆鉾が、見えるような見えないような。。
結局のところ、霧島の北斗七星とは何だったのでしょうね。
最後の最後で、少し裏切られた気がしたのでした。
