青海神社(加茂):常世ニ降ル花 龍宮ノ末裔 椎根津番外編03

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新潟県加茂市、

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そこの加茂山公園にも「青海神社」(あおみじんじゃ)があるというので、訪ねてみました。

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当社は神亀3年(726年)、青海郷を開拓した青海首らが、祖先神である椎根津彦命を始めとする諸神を祀る神社を創建したのが始まりであるといいます。
あれ?なんで?

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当社は式内社・青海神社に比定される神社なのですが、同じ由緒の青海神社が糸魚川にもあったよね。

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この2社は直線距離にして130kmほども離れています。

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どゆこと~って思いましたら、越後国の式内社には頸城郡(くびきぐん)と蒲原郡 (かんばらぐん)にそれぞれ青海神社の記載があって、こちらは蒲原郡の神社だということです。
越ノ国に定住した青海氏が、同年に先祖神・椎根津彦を祀る神社を130km離れた場所にそれぞれ建てた、ということでしょうか。
ちなみに若狭国大飯郡 (福井)にも式内社として青海神社(あおうみのじんじゃ)の記載があります。

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当・青海神社は、加茂山の山麓に鎮座しており、境内を含む周辺一帯は加茂山公園として、市民の憩いの場となっています。

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青海神社は古くから青海郷総鎮守「加茂の お明神さま」と広く親しまれてきました。

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青海首一族が開拓したという青海郷は、田上五社川から三条井栗、 保内までの23箇村であったと伝えられるそうで、加茂市一帯からは多くの古墳、平安時代 の集落跡が発掘されているとのことです。

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しかし青海氏の本拠地は、今も川や土地にその名を残す糸魚川ではなかったか、と思うのですが、どうでしょう。
加茂市一帯に青海の名を見つけることはできません。

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加茂の地名に関しては、桓武天皇の平安京へ遷都に当たり、当地が京都の上賀茂神社・下鴨神社の神領となり、 分霊を祀って「加茂大明神」としたから、と語られます。

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よって青海神社には、「上賀茂神社」と「下鴨神社」の合わせて3社が置かれることになりました。

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青海神社の参道の階段を登っていくと、

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途中に古びた狛犬が置かれてあり、

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その左右奥に十字に参道が別れ、謎の社殿が鎮座しています。

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境内図には、その社名が載っていません。

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それなのになかなか立派な社殿で、賽銭箱なども置かれているのです。
なんなのだろう、これは・・・

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それで、青海神社の古い境内図を探して、見つけました。
安政2年(1855年)刊の『東講商人鑑』(あずまこうあきんどかがみ)です。
東講商人鑑は、主に東北地方を旅する人へ向けた地図のほか、各土地における安全な宿や店などを記した、いわば当時の旅行ガイドブックでした。

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これを見て驚きました。
古地図では、加茂社から一段下がって、向かって左に折れた先の社殿が青海社となっています。

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つまりこちらがかつての、青海神社だということになります。

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実は当社では元禄時代まで、3社それぞれに神主がおかれていたそうですが、元禄7年(1694年)に賀茂神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の神主(兄弟)が藩命に叛いて父の葬儀を神道葬送で葬ったため、神主職を剥奪されることになったのだそうです。

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そして以後、青海神社神主が総神主として神事を行なってきました。

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さらに明治になって以降、現在では、元加茂社であったこの上の社に三社合せ祀るようになったということです。

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向かって右手の社は古地図に「糺社」と書かれていますがこれは「糺ノ森」を有する賀茂御祖神社(下鴨神社)だったのでしょう。

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息を切らせつつもう一段登ると、三社合殿の現在の青海神社が見えてきました。

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扁額に記されるのは「加茂大神」。
社殿の造り、位置関係を見ても、当・青海神社では加茂大神が主たる祭神であったことが窺えます。

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青海神社の古伝によれば、越後の名将・上杉謙信は、享禄3年(1530年)正月に三条城で生まれたとのこと。
母は長岡栖吉城主肥前守長尾顎吉の娘で虎御前といい、たまたま三条城に在ったが、懐妊と知るや、加茂明神に祈願を込め、自分自身も月参りをして安産を祈ったのだと。

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つまり当社では、平安期に上賀茂神社・下鴨神社の神領となって以降は、加茂家の威光が強かったと見受けられます。
そうして長い年月のうちに、青海郷の地名も、加茂に塗り替えられていったのかもしれません。

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この日は早朝の参拝でしたので、社務所は閉まっていました。

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社務所と拝殿の間は、鶯張りの廊下が設えてあります。

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この廊下は宝暦7年(1757年)に当時の新発田藩藩主・溝口直温によって建てられたものです。

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溝口氏は社領の寄進、本殿等の造営をし、国土の平穏と五穀の豊穣を祈願したとのこと。

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現在の当社は青海神社として、「椎根津彦命」(しいねつひこのみこと)と「大国魂命」(おおくにたまのみこと)を主祭神に、「賀茂別雷命」(かもわけいかずちのみこと)と賀茂別雷命の母「多多須玉依媛命」(ただすたまよりひめのみこと)、祖父「賀茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)を配祀しています。
玉依媛命は安産・子育ての神として、信仰が深く、春季例大祭の御神幸式は別名「乳母行列」といって、大勢の母親が愛児を背負って参加し、御神徳を賜るのだそうです。

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青海神社境内には摂社が多数あり、伊勢両宮(天照・豊受大御神)、諏訪社、廣瀬社、春日社、北野社(天満宮)、厳島社、貴船社、大山祇社、秋葉社、稲荷社と錚々たる顔ぶれとなっています。

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さて、主祭神の椎根津彦ですが、もう一柱の主祭神・大国魂命は、大国主の荒魂で、椎根津彦の先祖であると説明されます。
では椎根津彦は出雲族だったのか?

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2022年に訪ねた大分の「椎根津彦神社」の記事を、新潟の青海神社2社の記事の間に再掲載させていただきましたが、僕はそこで、彼は海家の「笠水彦」(うけみずひこ)ではないか、と推察しています。
昨年ごろにはB氏からも「椎根津彦は海部の系図にも登場する人で、海部の系図では御陰命と書かれている人です」という話をお聞きしていました。
『海部氏勘注系図』では

始祖・彥火明命 - 兒・天香語山命 - 孫・天村雲命 - 三世孫・倭宿禰 - 四世孫・笠水彦

と記されており、勘注系図では倭宿禰を椎根津彦と同一としている、とのこと。
大元出版では、初代大君・海村雲と伊加里姫の子・天御蔭を大和宿禰としており、彼を海家(海部家)の祖と位置付けています。

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籠神社では大和宿禰を「別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦 籠宮主祭神天孫彦火明命第四代 海部宮司家四代目の祖」としており、ホアカリの4代後であるなら笠水彦であろうと僕は考えたのです。
世代のカウントの仕方違いでしょうか、ともあれ、椎根津彦は海家(海部家)の人ということになります。
しかしながら、海家は父系で見るとホアカリ=徐福を祖としますが、母系では出雲王家の血が濃く流れる一族です。
母系では富家・神門家どちらの血も入っていますが、初代ホアカリ、つまり徐福の妃は大国主・八千矛王の・娘高照姫であり、大国主が椎根津彦の祖先だとしても間違いではありません。

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しかし海家といえば、大国主・八千矛を孤島の洞穴に幽閉し枯死させた、徐福と共に日本に渡来した童男童女の末裔でもあります。
つまり大国魂神が大国主の荒魂であるというのは、非業の死を遂げざるを得なかった大国主の御魂であり、海家・海部家が祀った大国主の姿を表しているのかもしれません。
『日本書紀』によれば、「崇神大君が宮中にある天照大神を豊鍬入姫に命じて倭笠縫邑に祀らせ、大国魂神は渟名城入姫(ぬなきいりびめ)に命じて宮外に祀らせようとした。しかし、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、大国魂神を祀ることが出来なかった」といいます。
そこで、荒ぶる大国魂神を代わりに祀らせたのが、大和直(大和氏)祖の長尾市宿禰(ながおちのすくね)で、その神社が奈良の「大和神社」(おおやまとじんじゃ)だということです。
これは崇神イニエ大君(物部氏)の血筋では大国主の荒魂=大国魂神を鎮めることができず、それが可能だったのは海部氏の血筋のみであった、ということであろうかと思われます。

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ところで、天御蔭は大和宿禰と呼ばれたくらいなので、奈良の都・大和国に在住していたと考えられるのですが、椎根津彦を祀る神社は日本海側に多いような気がします。
なぜ青海神社は新潟や福井にあるのか。
これについての助言を、B氏からいただきました。
「丹後風土記残欠が重要」だと。

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どうやら僕はまた、丹後、それに若狭へ行かねばならないようです。

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7件のコメント 追加

  1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    21-23日と東北へ旅してる間に、固まるような内容記事UPに震えております。
    9月、毎年恒例の丹後訪問は籠神社さんへ正式参拝させていただき
    海部様への意識を若干変えた矢先の今、なんとも言えぬ絶妙な間。
    それも今年は富山・福井・若狭経由で一週間も掛けたのに
    自ブログに書けたのは本筋に関係ない糸魚川のラピスラズリ見たさの部分だけ💦
    まだ読み切れぬものを、このPC画面の向こうに座る
    「加茂姓」を執念深く名乗る子孫と向き合っております。
    神様は悪戯好き過ぎます。😂

  2. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

    五条桐彦様 こんにちは。紀の川市の粉河寺に童男行者というのが祀られています。徐福と関係はあるのでしょうか。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様

      仏教には童の男児を神聖なものと考える向きがあったと思いますので、それではないでしょうか。
      新宮の方には徐福伝説がありますので、その影響も否定できませんが。

      1. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

        髪はみずらに結って、手には柳の枝を持ち、白馬に乗って現れといわれているそうです。これは石像ですが、馬には乗っていません。仏教でみずらに結っている人は聖徳太子ぐらいしか思い浮かばないので、珍しいなと思っていました。

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          確かにそうですね。
          徐福というより、幼少の頃の聖徳太子、という可能性もあるかもしれません。

  3. narisawa110 のアバター narisawa110 より:

    あ、やっぱり行かれてました?

    ここ数日、夏花さんの系図を書き込みたくてずっとそのまま。系図の本をページを開いたまま動きが止まっています。まだ何かが欠けていて書き込みできないのかもと思ったりします。磯部、石部の事が纏まらないとダメな気がしています。

    珍彦が大和宿禰になる設定は天孫降臨の系図に書き込まれる注釈です。つまり万世一系の設定なわけで、珍彦が物部氏と敵対してない際の設定になります。また、ここでも神門臣大伴であれば海部氏の影響も説明できる気がします。

    大和宿禰は神門の顕彰のために遡って作られた役職ではないでしょうか?関東の磯部、尾崎、小幡氏と一緒で、

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      大和宿禰、そうですよね、個人につけられた呼称というよりは、役職名でしょうね。

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