
向山古墳群の丘から見える高台と、何かしらの建物。

そこは鳥取県米子市淀江の福岡地区にある、「上淀廃寺跡」(かみよどはいじあと)と呼ばれる遺跡になります。

ここにあった寺院は、飛鳥時代の終わり(683年頃)に建てられて、平安時代の中ごろ(1000年頃)には火事でなくなってしまったと考えられています。

当地は、平成3年(1991年)より淀江町教育委員会が発掘調査を実施、法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の仏教壁画が初めて出土し、社会的に注目されました。
数少ない上代寺院の堂内荘厳を復元し得る遺跡と評価され、1996年3月29日に、国の史跡に指定されています。

寺域は天平尺で東西約2町(212m)、南北1町(106m)の規格とみられ、そのほぼ中央に半町(53m)四方の中心伽藍の跡が発掘されています。

伽藍配置は発掘当初は法起寺式伽藍配置とみられていましたが、実際は南北に3基の塔が並んでいたことがわかりました。

ただし金堂跡の東側に並ぶ3基の塔跡のうち、北塔については塔の心柱を支える心礎は検出されたものの基壇は未確認であり、計画のみで建立に至らなかった可能性もあるとのことです。
計画のみとしても3塔を配置する伽藍配置の例は他になく、2塔でもこれらを南北に配置する古代寺院は他に類を見ないのだそうです。

『出雲と蘇我王国』によれば、上淀廃寺跡は向家・子孫の豪族が建てたと見られる、と記されます。
正確には、旧向王家の分家の子孫、ということでしょうか。

上淀廃寺跡は、真西に向山古墳群、瓶山古墳群を望むような位置にあります。
この寺は、当古墳群の主(あるじ)を鎮魂する、といった意味合いもあったのかもしれません。



今回の伯耆古代の丘の案内は、「上淀白鳳の丘展示館」(かみよどはくほうのおかてんじかん)の学芸員の方にご案内いただきました。
当館は、史跡「上淀廃寺跡」のガイダンス施設となっています。

上淀廃寺跡からは、壁土(壁画含む)約1,300点の他に、塑像約3,500点、瓦類(鴟尾含む)、土器、鉄器、金銅製品が出土しました。

壁画及び塑像は、いずれも創建時と改修時のものがあり、創建時は半丈六如来像を本尊として、背後に浄土変相図の類の壁画が描かれていたと考えられています。

そして館内には、その様子が再現されていました。
古代寺院の金堂内部を原寸大復元した展示室は、国内唯一だとのことです。

丹色に塗られた柱や天井、安置された三尊像、極彩色の壁画が、一千年以上の時空を経て、古代の仏教世界をみごとに甦らせています。

淀江は、古代は今よりも海が内陸まで迫っており、陸と海の交通の要衝としてにぎわいました。

それで様々な地方の文化が淀江に持ち込まれ、集積されていったと考えられます。

館内には淀江の遺跡や古墳から出土したものも、数多く展示されています。

井手挾3号墳から出土した、盾持人埴輪は、非常に素晴らしい造形をしています。

また、角田遺跡から出土したという”こいつ”ですが、まさかこの絵画土器にここで会えるとは思いませんでした。

これは淀江平野の南東部、稲吉(いなよし)地区の水田にある弥生時代中期の「角田遺跡」(すみだいせき)から出土した「絵画土器」と呼ばれるものです。
角田遺跡からは他にも十数点の弥生土器がみつかっていますが、izumeさんに連れていってもらうと、そこは石碑が建つのみの田園地帯となっていました。
絵画土器は復元すると、高さ約150cm(残存高33cm)、口の直径約50cmの弥生時代中期後葉の大型壺形土器であることが分かりました。
この壺の頸部にぐるりと、古代の出雲大社を思わせる”高層神殿”や、サナギと呼ばれる所以たる”木に吊り下げられた銅鐸”の図、太陽を思わせる六重の同心円、鳥の羽をつけて舟をこぐ人物などが線刻図として描かれています。

これらの絵は、春の豊作の祈りと秋の収穫への感謝を表した、出雲の春秋の「まつり」に関係したものかもしれません。

ともあれ、当時の人々の暮らしぶりを知ることのできる貴重なものです。
私はこの絵画土器を以前、島根の「古代出雲歴史博物館」で見たのですが、あれはたまたま当館から借り受けて展示してあったのでしょうか。

上淀白鳳の丘展示館、なかなかの収蔵品の数々に驚きました。

古墳や遺跡もすごいし、何より状態の良い「石馬」(いしうま)だってここにはあります。
なぜ米子人は、もっとこれらをアピールしないのか!もったいなさすぎる。

巨大風力発電施設や産業廃棄物処理施設ができて、景観や水資源などが変わってしまう前に、一人でも多くの人に今の淀江を見て、感じてほしいと思うのでした。

ええ、ええ。もうキャッチコピー決めましたよ。
「地味にスゴイぞ!! 淀江」2026
からの〜
「いつまでも地味ではいかんぞ
おいこらっ淀江!!」
ご紹介頂きありがとうございます。きっとあの学芸員さんもこのブログを拝見して、これまた地味〜に喜ばれるんだと思います。
あのサナギの吊るしてある絵のある土器があんな誰も通り過ぎてしまう道路の片隅に😭 明日香村とはえらい違い。
スゴイ遺跡もあれば、古墳もある。
石馬だって継体天皇期の八女から職人やってきて完璧な形で残されてる。ある意味、継体天皇期の名残りを感じられる場所。そして縄文妻木晩田。弥生の向山古墳。スゴイんだけど、スゴイと興奮してるのは都会からやってきて研究してる考古学者くらい。(こないだ愛知の研究者さんが妻木晩田に来られててセミナーがありました。ここはスゴイ、こんな完璧な形で遺跡と史跡が揃って残ってるのは唯一無二じゃないかと、興奮君に地元の方々に言っておられましたが、米子人、ポカーン(笑))
米子人は、
明日のパン買わなアカン、だから
あれですよ、むか〜しむか〜し米子城跡の貴重な木材もぜ~んぶ肥料にしたらしいですよ〜😭😭
とても素敵な淀江の展示館。その前にあるゆめ温泉もいつも空いてて、とってもまったりできます。都会地なら1500円はとるでしょうが、レストランも道の駅っぽいのもくっついてて露天風呂、サウナ、夜のイルミネーションもついてて、600円なのです。
物価も安いあるよ、米子。
皆さま、淀江にどうか一度はお足を運んでくださいまし。大抵、素通りで松江、出雲😭😭😭😭。。ああ。。
地味すご〜♪
👍✨
🐥埴輪とはそもそも何を模したものなのでしょう。耳のない埴輪というのもあります。盾持人埴輪には腕がついていないようですが。埴輪は墳墓に埋めるものですが、昔は埴輪の代わりに奴隷や本物の馬とかを埋めていたとか。そう考えると、耳のない奴隷とか、腕のない盾持人(胴体に盾を括り付けたとか)とかもかつて墳墓に埋められてしまっていたのでしょうか…あくまで想像ですが🐣
最初の埴輪は、単なる円筒形の筒だったといいます。
そこから次第に人形になっていったので、耳や腕がないのはデフォルメだと思われます。
🐥私はまた、奴隷に耳があるのが都合が悪いので、お上が奴隷の耳を切り落とした名残りかと思ってしまいました。どうなんでしょうね、円筒形の筒だとリアルじゃないとお上が言い出したのでは…🐤
敵の耳・鼻を斬って埋め、耳塚などをこさえた、という話はありますが、奴隷の耳を切る理由がないので、そうではないのではないでしょうか。
🐣聞かれたらマズイ事でもあった、あるいはそもそも言葉で命令する必要がない立場の奴隷だったという考え方もあります。しかし詮索してもキリがないでしょうな…🐥