
かねてより、izume-worldさんからお呼びがかかっていた淀江ですが、2年越しでようやく足を運ぶことになりましたYO、どっこいしょ。

izumeさんに最初にご案内いただいたのは、鳥取県米子市淀江町西原に鎮座する「日吉神社」(ひよしじんじゃ)でした。
ここは、参道をぶった斬る形で線路が横切っていました。
このように境内を横断する線路がある神社は、他にも数ヶ所で見かけており、不思議に思っていました。
日本人の感覚からすると、どうしても不敬に思えてしまうからです。

なぜわざわざ、神社の境内に線路を引く必要があったのか?
「聖域としての力を弱めるための陰謀だ」みたいな話を、どこかで見たような気もしますが、「固く締まった地盤を探していたら、どうしてもここを通さざるを得なかったらしい」というizumeさんの話を聞いて、なるほどと納得しました。
鉄道を通す地盤には、列車通過時の荷重や振動に耐え、沈下や液状化を防ぐ性能が求められます。
地盤が弱いと、地盤改良や路盤強化の対策といった、新たなコストが必要となってしまいます。

こと、古い神社というのは、地盤の硬い場所に建てられていることが多いものです。
熊本大地震でも、阿蘇神社は崩壊してしまいましたが、古い国造神社や乙姫神社は、びくともしませんでした。
なので、そういった場所に鉄道路線を敷くというのは、鉄道側から見れば実に理にかなっていることになります。

逆に、境内を走る線路が、淀江日吉神社が古い歴史ある神社であることを証明している、とも言えるのですが、どうでしょうか、この境内のなんとも静謐な不思議な空間。

当社、創立年月は不詳。
『鳥取県神社誌』によれば、古来山王宮と号していたが、明治5年に「日吉神社」と改められた、とあります。

日吉社と言えば、サルタ彦を山神として祀るものではありますが、サルタに猿の字を当ててしまったので、猿神にさせられています。

まあ、仕方のないことではありますが、天狗でも祀られていれば、胸がトキメくものです。

石段を登って、本殿へと向かいます。

当社祭神は「大己貴命」、「少名彦名命」、「猿田彦命」、「天之佐奈咩神」の四柱。
それに「素盞鳴尊」、「建御名方命」、「武甕槌命」、「稚産霊命」、「保食神」、「天日方奇日方神」、「蛭子命」、「稲脊脛部命」、「倉稲魂命」、「稲田姫命」、「稚日女命」、「天照大御神」を合祀します。
まあ、なかなかの大所帯。

山王宮、山王信仰はおそらく神仏習合の修験の頃からの信仰でしょう。
さらに古いものに『日本三代実録』の貞観16年(874年)の条に、「伯耆国天乃佐奈??神、正六位上から従五位下に進階」と記載されており、それが当社のことと考えられています。
つまり、本来は「天乃佐奈畔神」(あめのさなめのかみ)一柱を祀る「佐奈咩宮」であった、ということです。

izumeさんは、このサナメの神が気になって仕方ないようで、以前『偲フ花』にコメントをされていました。
というのも、天之佐奈咩神はおそらく、日本で淀江の日吉神社のみに祀られている神で、非常に謎に満ちているからです。
izumeさんはこの神を、農耕、田植えの早乙女の起源となった若沙那売神(わかさなめのかみ)ではないかと考えたようです。

若沙那売神は『古事記』によると、大年神の子で山裾の肥沃な土地の神である「羽山戸神」(はやまとのかみ)と穀物神である「大気都比売神」(おおげつひめのかみ)が婚姻して生まれた八柱の御子神の一人だということです。
(玄松子の記憶)

石見・益田地方には、オオゲツヒメの娘の伝承で「乙子挟姫」(おとこさひめ)降臨の話が語られています。
乙子挟姫は母の死の間際、五穀の種を受け取り、赤い雁の背に乗って石見の佐比売山(さひめやま/三瓶山)に降り立ち、耕作を広めたと言う話です。
乙子挟姫の「乙子」は末子と言う意味で、「挟姫」は小さい姫と言う意味だそうです。
それに因んで地元では「チビ姫」の名で知られる乙子挟姫ですが、izumeさんは若沙那売神は「チビ姫サヒメの姉的存在なのでは?」と考えられたようです。
さらにはスセリヒメを祀る「那売佐神社」(なめさじんじゃ)とも関連づけて=スセリヒメなのではないか、とも。

さらにさらには、スセリヒメ=イワナガヒメのような気がする、とのことで、コメントはだいぶ混乱しておりましたが、少し整理してみましょう。
「天之佐奈咩神=若沙那売神」説は、両者とも「サナメの神」に美称を冠したもので、かなり濃厚な説だと思います。
乙子挟姫との関係に関しては、淀江が大山の麓に位置しているという観点から、佐比売山と相対するものとして祀られた、という考え方ができるかもしれません。
しかし乙子挟姫の伝承は色々と矛盾点も多く、ひとまず天之佐奈咩神の考察から外した方が混乱がないと思われます。
サナメとナメサは確かに音の順番を入れ替えたようにも見えますが、あまり確証性が高くありません。
「スセリヒメ=イワナガヒメ」説は、個人的には二人の姫神の性質が合わないような気がしますので、これも外して考えたいと思います。



境内の一角に、こんもりと土盛りされた場所があり、鳥居がそこへと続く参道の入口に建てられていました。

『鳥取県神社誌』には、当社付近に「佐奈咩田、佐奈咩池、佐奈咩塚あり、何れも佐奈咩神の旧蹟なりといふ」とあり、これが佐奈咩塚となるようです。

塚の頂部に鎮座するのは「天之佐奈咩神社」。
ジブリ感が漂います。

小さな石の社は3つ。
しかし天之佐奈咩は三代いた、というわけではないでしょう。

僕は天之佐奈咩神について、日吉社に祀られる神であれば、サナメとは銅鐸の”サナギ・メ”(銅鐸を祭祀する姫巫女)ではないか、と考えました。
また、当地では天之佐奈咩神は海神だと伝えられているとのことでしたので、あるいは猿女(豊来入姫)ではないか、とも。豊玉姫の娘であれば、海神たりうると考えました。

そこで若沙那売神を祀る神社を調べてみると、3社ほどあったのでマーキングしてみました。
三重の佐那神社、奈良の狹岡神社、丹波の狭宮神社がこれに当たります。
こうしてみてみると、豊来入姫が没したと言う鈴鹿の地から淀江日吉神社まで、点々と連なっているように見えなくもありません。

再び若沙那売神について『古事記』をみてみます。
大年神は、伊怒比売(いのひめ)、香用比売(かぐよひめ)、天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)との間に16柱(17柱?)の子供を儲けます。
16柱の子神のうち唯一、続いて系譜が語られるのが天知迦流美豆比売の子「羽山戸神」(はやまとのかみ)で、大気都比売神(おおげつひめのかみ)と婚姻して以下の八人の御子神が生まれたとされます。
「さて羽山戸の神が大気都比売の神を娶って生ませた子は、若山咋神(わかやまくひのかみ)、次に若年神(わかとしのかみ)、次に妹・若沙那売神(わかさなめのかみ)、次に彌豆麻岐神(みづまきのかみ)、次に夏高津日神(なつのたあつひのかみ)又の名は夏之賣神(なつのめのかみ)、次に秋毘売神(あきひめのかみ)、次に久久年神(くくとしのかみ)、次に久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)です」

大年神とは、サイノカミの正月の神としての姿を言いました。
天知迦流美豆比売はよくわかりませんが、太陽の女神や天の水(雨)の女神であるとする説が有力なようです。
羽山戸神もよくわかりません。ヤマトと関連がある神か、とも思いましたが、穀物神・大気都比売と結ばれたこの神は、おそらく大地の神、山裾の神なのでしょう。
正月(旧正月)の神が天の恵みを得ることで我々に必要なものがもたらされ、山裾に穀物の氣が注がれることで作物、特に稲の成育がもたらされることを表している、と考えられます。
つまり若沙那売神を含む、この二神の八柱の子神は”作物の一年のサイクルを表す神なのだ”とする説に合致すると思います。

しかしこれは古事記によって書かれた話であり、若沙那売神の名もその頃に生まれたものではないかと考えられます。
天之佐奈咩神とは本来、やはりサイノカミに由来する銅鐸の”サナギ・メ”だったのではないでしょうか。
それにしても、佐奈咩塚を見張るかのように、あるいは見守るかのように相対して祀られるこの境内社は、日御碕神社なのだそうです。

寛永14年(1637年)以前から370年以上続いている日吉神社に伝わる「神幸神事」(毎年5月3日に実施/無形民俗文化財)は、詳しい起源は明らかでないが、大山あるいは日御碕神社との間に行われた神輿渡御と伝えられているそうです。
先導する寺社奉行の「えんよーいやな、えんよいとまかせ、さささ、さーよいとまかせ」のかけ声は「いい世の中だな、さあ、もっといい世の中でありますように」という意味と伝えられ、その掛け声からこの地区では「ヨイトマカセ」と呼ぶようです。
日御碕神社はかつては壺瓶山近くに鎮座していたようですが、小野氏が関係しているのかどうかは分かりません。



izumeさんが「これ、見てください」と連れてきてくれたのは、境内の西側。
佐奈咩塚と目と鼻の先にある一角でした。

道路を挟んで、「サナメホール」という多目的施設が建てられているのですが、その脇にあるのが

「佐奈咩の泉」。
『鳥取県神社誌』に「佐奈咩田、佐奈咩池、佐奈咩塚あり、何れも佐奈咩神の旧蹟なりといふ」とあった佐奈咩池です。たぶん。

たぶん、と言うのは、神蹟と呼ぶにはあまりに無惨な姿だからです。
『因伯神社誌』に「境内社にサナメ谷サナメ池あり。汚穢不浄の者此の池水を汲み撒く時は忽ち濁水となる」とあり、ここまでが日吉神社境内であったことがわかります。

日吉神社は境内を線路と道路で分断されており、さらに、この場所でなければならなかったのかと疑問を抱くほど佐奈咩塚、佐奈咩池に近接してサナメホールが建てられています。
古参はホールの建設を反対される方が多かったと聞きいており、なんと建設工事中には人身事故が続いたということです。さもありなん。

冬には池に氷が張り、豊凶を占っていた、とも伝えられていたそうですが、水は枯れちゃってるなーって見ていると、んっ!
僅かですが、水脈はまだ生きているようです。

うわ~。。。
なんとかもう少し、大切に、どうにかならんもんかねぇ。。
そんなため息が、僕の口から深く漏れたのでした。さーよいとまかせ。

(そして磐長姫)
さすがに
磐長姫とサナメちゃん
は関係性をもたせるのは無理があるように思えてきましたね(^_^;)
日南の菅沢神社に磐長姫が祭られていますが、淀江からは40分くらいかかりますし。ここも関係なさげ。
そういえば、
ここの記事に五条先生も書いておられますが、日吉神社のサナメちゃんを見張ってるような位置に小さな日御碕神社。
そういえば、出雲の日御碕神社にはオオヤマツミと磐長姫は祀られてはいますね。
まあ、気のせい、気のせい💦
関係。。。ないぼん。
(2つに分けて追記です)
チビ姫の佐毘売山の伝承からの
姉妹説。。ここはもう確かに無理があるような気はします💦 いや、もしかしてピースのひとつかもしれない、というのは頭の片隅には個人的にはまだあります。どうも出雲ナメサ地区の那売佐神社は排除しきれないのです。
ところで一旦これは置いといて、(後で実は絡んでくるのですが)
米子、淀江には宗像神社、阿陀萱神社、米子にほど近い揖夜神社や阿太加夜神社。これらの神社には宗像三女が祀られていますよね。
富家伝承によると、阿陀萱神社については触れられてはいませんが、その他の神社には、田心姫、多岐津姫命が移り住んだことが書かれていました。。ここで思ったことがひとつ。
なぜか、富家伝承には、ここら辺りに市杵島姫感がない。
確かに神社には祀られてはいる。
でも市杵島姫にまつわるお話は富家伝承にはなかったように記憶します。しかもここらへんにはあまり市杵島姫を思わせるような気配がなく。。(清水寺の上には弁財天さんがいらっしゃいますが)
市杵島姫って徐福に嫁いだ后さん。確か大神神社とか籠神社では佐手依姫と別名があり、また
狭依毘売命=サヨリ姫とも。
そういえば、ナメサ、那売佐神社の主祭神は須世理姫です。。
ここナメサ神社で須世理姫が生まれ育ったとされ、終焉の地が淀江の唐王神社。まさに日吉神社の近くです。
どうも淀江には須世理姫感はあるんですよね。。
古事記では、スサノオの娘となっている嫉妬深い姫として描かれています。この須世理姫は、音読みではスヨリ姫とも読めたりするので、
サヨリ姫=須世理姫とする考察ができないこともないですが。。(記紀との整合性はそもそもありえないので、そこは一切無視します)
須世理姫と市杵島姫。スサノオ=徐福だとすると、市杵島姫は娘ではなく后。まあ、クドいようですが、記紀と整合性をとる必要性は全くもってありませんが💦そもそも記紀だし(^_^;)
交通整理がなかなかできず、いろんなピースが混乱してますが、
いつかピースが繋がるような気がなぜかするんですよ。アダカヤヌシタキキ姫に沼った時よりかは、痕跡を探せるような気がしてるのかしらん。まあ、ボチボチ探してみます。
このサナメとナメサは全く関係ないとは思えない謎は、案外、須世理姫がサヨリ姫と関係あるかもしれないとか、瀬織津姫=常世織姫かもあたりでグルグルしてる。越智族のことはよくわかりませんが。
とにかく水、なんですよね
水と、海神。
その節は大変お世話になりました。
若沙那売神が濃厚な農耕絡みですかね。
「天之佐奈咩神とは本来、やはりサイノカミに由来する銅鐸の”サナギ・メ”だったのではないでしょうか」
ありがたい交通整理です。ふむふむです。
まだピースがワチャワチャしてることがあります(笑
う〜む🙄となってる理由は海神と天之佐奈咩神と伝えられていて、そこにアメノサグメ=猿女=豊姫。。それが淀江に多く残るサイノカミ信仰とサナギ=銅鐸を祀るにはどうも繋がらずストンと落ちなくて。
ちよっと私がわかってないだけかもしれませんが、
檜原神社で宇佐の月神を祀った豊姫は稚日女尊(ワカヒルメムチ)と呼ばれたけど、大日霊貴命(オオヒルメムチ)と呼ばれた太陽を祀る狭穂姫ほどの人気ではなかったと、富家伝承にありましたよね。。狭穂姫が太陽を銅鐸を用いて祀る感じですかね。とすると、サナギ=銅鐸を祀る姫巫女に豊姫のイメージがどうしてもなくて。尾張の猿投神社とかもサナギ=銅鐸が出土してますよね。豊姫とは絡んでそうな土地なのかな、あそこは。サナメは猿女。アメノサグメ、豊姫。う~む🙄 これもまた富家伝承にもありますけど、月と太陽のどちらも豊姫は祀ってたように思えてきますね。
淀江はどうなんだろう。。