椙尾神社:常世ニ降ル花 御津羽青月篇 19

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日本海の魚というのは本当に旨いもので、山形県鶴岡市の海岸線にある「道の駅あつみ」に立ち寄り、煮魚定食をいただくことにしました。

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最近は煮魚にハマっていまして、骨以外のほとんどを美味しくいただけるこの調理法を考えた人を尊敬しています。
調理に手間がかかってますね、美味しい😋

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アラ汁は出汁が”これでもかーっ!”ってくらいよく出ています。

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追加でオーダーした生ガキ。

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プルンプルンやないかいっ!

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えっ、何これ、生クリーム?
ってくらいなめらかでクリーミーでした♪

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磯味の赤海老さんは、そういや佐渡のラーメンに入っていましたね。
この海老は、磯の味が濃いんですよ。

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山形県鶴岡市馬町宮ノ腰にある「椙尾神社」(すぎのおじんじゃ)を訪ねてきました。

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ここは以前「八乙女浦」を訪ねた際、参拝し損ねていた神社でした。

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当社の明確な創建年代は不詳ですが、由緒によると、「欽明天皇任戌年(542年)創始で、古代信仰の神跡の地として祭壇に磐座或いは祠堂(ほこらどう)等をもって祀っていた」とも伝えられます。

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養老3年(719年)に現在地に鎮座し、『延喜式神名帳』に式内社「小物忌神社」として記載されています。

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近郷で稲作が盛んになると、風の神である大和國の「龍田彦神」「龍田姫神」が勧請されました。
また、鎌倉時代に至り出羽国太守(地頭)に武藤氏が任ぜられると、「大物忌神」及び「月山神」を相殿に勧請し、本来の祭神と合わせて6柱の神が現在祀られています。

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明治以前は「小物忌椙尾大明神」と呼称されていましたが、明治2年(1869年)に現社名に改められました。

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手水の像は、珍しい”亀”。

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龍宮に案内してくれる人ですな。

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石の階段の途中には、覆屋が設えられた一対の狛犬が鎮座しています。

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この狛犬、石造りのとても立派なもので、口元はちゃんと阿吽になっています。

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しかし、よく見る獅子型の狛犬ではなく、わんこの形をしています。
これは椙尾神社に伝わる「メッケ犬」の物語に由来するものでした。

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この「犬の怪物退治伝説」はいくつかの場所で同様のものが伝えられていますが、最も有名なのは長野・光前寺から静岡・見付天神にかけて伝わる「霊犬しっぺい太郎/早太郎」伝説になろうかと思われます。
『ゆるキャン△』でリンちゃんが参拝してましたね。

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ここでいう「メッケ」とは「滅怪・滅鬼」のようで、メッケ犬は椙尾神社と村の守護神となり、椙尾神社では毎年6月5日に例祭「大山犬祭り」が江戸時代より行われてきました。
伝説をなぞらえたこの祭りでは、人身御供をかたどった「仮女房」と張子の「犬ひき」を交えた行列が町を練り歩き、とても賑わうのだということです。

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階段を登り切ると、重厚な社殿が姿を見せました。

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応永年間(1394~1428年)に武藤左京太夫讃岐守政氏の造営した本殿は、正保年間(1644~1647年)に火災で焼失しました。
現在の本殿は、その後、萬治4年(1661年)に再建され、更に、大正4年(1915年)に大正天皇御即位禮記念として内部に大修繕を加えたものとなります。

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拝殿は、文政9年(1826年)に建立され、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行8間、梁間3間、正面3間向拝付の堂々たる姿です。

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欄間の彫刻が見事で、龍、虎、松が生き生きと彫られています。

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明治37年(1904年)に全国で二番目に創設されたという「椙尾神社保存会」が、今も神社の補修維持管理と氏子・崇敬者を取り纏めています。

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そうした方々のご尽力あって、今もこの立派な社殿が維持されているのでしょう。

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さて、当社は『延喜式神名帳』には「小物忌神社」として記載されているとのことでした。
そこで思い浮かぶのは、名前の似た「鳥海山大物忌神社」(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)です。

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庄内地区は、北に鳥海山、南に月山を望む、日本海側の平地にあります。
鳥海山大物忌神社は、鳥海山頂の本社と、麓の吹浦(ふくら)と蕨岡(わらびおか)の2か所の口之宮(里宮)の総称です。
祭神は「大物忌大神」で、記紀には登場しない謎の神です。『神祗志料』や『大日本国一宮記』では、「倉稲魂命」と同一視されています。
また「豊受姫命」と、吹浦口之宮では「月読命」が配祀されていて、名前からすると大物主っぽい響きなのですが、性質としては豊・越智系を彷彿とさせます。

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二つの大物忌神社、吹浦口之宮と蕨岡口之宮に挟まれるように、「劔龍神社」があります。
この神社の由緒によれば、その社号は往古より「劔龍山大権現」と称し、口碑に「小物忌神社」と称したとあります。
祭神は大己貴命です。

また、現在「小物忌神社」(おものいみじんじゃ)を称する神社は酒田市内に2カ所、山楯と飛鳥(離島)にあり、祭神はいずれも「級長津比古命」と「級長津比賣(戸辺)命」となっています。
いわゆる風の神を祀っており、山楯の神社では「豊受比賣命」も祀られています。

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そして当社が元来祀っていたという神が「積(津)羽八重事代主命」と「天津羽々命」。
今はそれに龍田彦神、龍田姫神、月山神、大物忌神が合祀されています。

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椙尾神社という名前は山形にしか見られませんが、杉尾神社で検索すれば、四国に点在しているのが分かります。

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つまり当・椙尾神社とその周辺には、そこはかとなく阿波の香りがするのです。

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椙尾神社の境内はそこそこ広く、末社が7社鎮座しているとのこと。

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参道階段下にあったのが「武藤家霊殿」で、他は「八坂神社」「八幡神社」「大山祇神社」「佐田彦神社」「桜の宮」「皇大神社」となっています。

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社名が確認できたのが、この「大山祇神社」と

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たぶんこれが「佐田彦神社」。
弁天社のように橋を渡った先の小島のようなところに祀られていますが、

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祭神名が独特な文字で「猿田彦」と書いてあります。たぶん。

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ともあれ、椙尾神社の祭祀の主祭神格は四国の女神「天津羽羽神」ではなかろうか、と思われます。
四国の杉尾神社群との関連と、他ではあまり見られない女神の名から、そう感じます。

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また、当地に伝わる「犬の怪物退治伝説」では、犬は丹波から来たと語られます。
丹波、なるほど。
前回、別の椙尾神社を訪ねたのは、その先にある八乙女浦に行く途上でした。
八乙女浦には出羽三山に関連する、丹波から逃れてきた崇峻天王の皇子「蜂子皇子」の伝承がありました。

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そこで情報を探していると、「日本参道狛犬研究会」(狛研・こまけん)のサイト『狛犬の杜・別館』さんに次のようなことが書かれていました。

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「めっけ犬は丹波(兵庫県北部)から連れて来られたとされるが、この庄内地方は、丹波から逃れてきた崇峻天王の皇子・蜂子皇子が推古天皇元年に羽黒山を開山するなど、丹波とは古くから強い結びつきがあった。
なお、丹波の大川神社(舞鶴市)では、大川明神の神使の狼を「遣い狼」としていたとされる。
もしかすると、めっけ犬はこの社の狼だったかもしれない」

・・・なるほど、”めっけ犬”や”しっぺい太郎”は本来は狼で、三峯神社などの狼信仰と類似性があるのかもしれません。

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それに舞鶴の大川神社といえば、元伊勢「籠神社」の海の奥宮とされる神社です。
海部、あるいは豊族との関係もうっすらと見えてくるようです。

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椙尾神社境内をうろうろしていて、裏手に出てみると、

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五輪塔や名が刻まれた自然石などが置かれた、独特な雰囲気の墓地がありました。

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その先は山奥へと続く道があり、化け物がいたという裏山に続いているのか、背筋を舐めるような風が吹いていたのでした。

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もう1社、鶴岡市黒川大杉にも「椙尾神社」があったので、立ち寄ってみました。

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由緒などは不明ですが、「大名持命」を祭神としています。

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社殿の扉は鍵がかかっていなかったので、開けさせていただきました。

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中の天井をみると、つばめの巣がありました。
とても大らかな感じがします。

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黒川地区では、地元の春日神社の氏子(主に地域の農民たち)によって500年以上もの間、代々独自の形で守り継がれてきた「黒川能」(くろかわのう)が有名なのだとか。

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演劇や興行のための能ではなく、「神様に捧げるための神事能」として存続している点が最大の特徴だということです。

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1件のコメント 追加

  1. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

    五条桐彦様 こんばんは。龍田彦神・龍田姫神が勧請されているのですね。近所の神様ですので、ちょっと嬉しいような・・・。

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