
新潟県新潟市のど真ん中、中央区一番堀通町に鎮座する”新潟の総鎮守”「白山神社」(はくさんじんじゃ)は、かねてより気になっていた神社の一つでした。

参道手前は、少しレトロな風情がある商店街。

当社は、「彌彦神社」「新潟縣護國神社」と並ぶ新潟県を代表する神社の一つとされています。
神社創建については、永禄(1558年~)と天正(1573年~)の2度の火災により古記録を失っているため不詳ですが、『延喜式神名帳』に「越後国沼垂郡 船江神社」と記されており、戦国時代には上杉景勝が戦勝の際に寄進するほどの大社であったといいます。

参道にある二の鳥居には、「奉 為海上安全」「尾道石工山城屋惣八作」「献 安政3年(1865)丙辰六月日 宿近江屋利右衛門客船中」の文字が刻まれています。

また、手前の赤褐色の狛犬は岡山県の備前焼で作られています。
新潟から出発した「北前船」は、年貢米をたくさん積んでいたので積み荷に重量がありました。
そのお米を各地で降ろすと、衣料など軽いものを積んで帰路に就くことになります。それで、行きと帰りで積み荷の重量差のバランスをとるために錘(おもり)を兼ねて、帰り道の瀬戸内から重たい狛犬や鳥居が積み込まれることが多かったとのことです。

白山神社のこの狛犬は、現存する日本で一番大きい備前焼の狛犬とも言われ、現在では製作は不可能とも言われております。

当鎮座地は、江戸時代までは、信濃川から日本海へ出る新潟湊の先端に位置する中洲でした。
戦国時代から江戸時代にかけての新潟では、白山島と白山城の中でしか商売が許されておらず、「白山ヶ島は田畑はなし、商人多し」と書かれています。

【新潟市立図書館デジタルアーカイブ/新潟町白山島寄居島絵図・寛政7年(1795年)】
江戸時代の初めになると、新潟湊は、新潟町を所有する長岡藩にとって重要な物流拠点となりました。

ところが、土砂が堆積して湊が浅くなり、回船が入れなくなったため、明暦元年(1655年)、新潟町は白山島・寄居島へ移転をします。

こうして新たに町割りされ、新潟の町が生まれていきました。

文禄4年(1595年)には、上杉景勝が豊臣秀吉により越後・佐渡の金銀山の支配を任せられています。

江戸時代になると、金山のあった佐渡は幕府直轄地の天領となり、佐渡金山から掘り出された金は新潟湊を経由して江戸へ運ばれました。

このように、物流の重要拠点として新潟町は大層にぎわい、白山神社は海運守護と商売繁盛の神様として、崇敬を集めていきました。

現在の重厚な社殿は、江戸時代中期の長岡藩主・牧野氏によって建てられたもの。

主祭神は「菊理媛大神」、「伊邪那岐大神」、「伊邪那美大神」で、加賀国の白山比咩神社(白山権現)を勧請したものです。

他には、天照皇大神・八幡大神を配祀するほか、明治時代に摂末社を本殿に合祀したため、本殿に以下の神も祀られています。
・稲荷大神
・天満天神
・出雲大神
・住吉大神
・香取鹿島大神
・三峰大神
・金刀比羅大神
・春日大神
・松尾大神
・淡島大神

まさしく総鎮守に相応しい、祭神の数々。

また拝殿横に、本殿裏へと続く地下道があり、

道祖神や、

蛇松神社、黄龍神社、松尾神社を参拝することができます。

蛇松神は、いわゆる宇賀神のようです。
また、黄龍神は天照大神よりはるか古代に現れた神とされ、天変地異が起こる前には必ず現れて難を救い、信濃川や阿賀野川といった大河が鎮まってくれているのは、この神のおかげだということです。



白山神社の境内には「くくり石」と呼ばれる石が置かれています。

この石は、霊峰白山の山頂から運ばれてきたものだそうで、大変な霊力を持っていると云われています。

日本アルプスには、数々の名峰が聳え立ちますが、その中の白山に鎮まる姫神の虜となるのは、僕ばかりではないようです。


あ、奥にまわりこんでない所がある気がする。あそこの境内に、夫婦道祖神がありまして、夫婦道祖神の北限がここになるそうです。
餅ついてるやつがそうじゃないですかね。
黄龍神社側は修復中で行けませんでした🥺