
式内社 越後國三嶋郡の「石井神社」巡りの最後は、新潟県長岡市上岩井鎮座の「石井神社」(いわいじんじゃ)となります。

参道入口は、県道170号線から1本脇に入った生活道路に面しています。
ここは駐車スペースが無く、車での参拝に苦労しました。

また各・石井神社の中で、当社だけがGoogleマップにマッピングされておらず、見過ごしてしまうところでしたし、場所を特定するのにも苦労しました。
Yahoo!マップでは表示されます。

参道は紫陽花が植えられており、季節になると美しい花の道となるようです。

当社の創建は、大同元年(806年)、山城国乙訓郡大原村(京都府京都市西京区大原野)の石井神社の分霊を勧請したのが始まりとされています。
この京都の石井神社(いわいじんじゃ)は、創建及び祭神も不詳ですが、古代の磐坐信仰により岩坐神を祀ったとも、磐裂大神(いわさきのおおかみ/いわさくのかみ)を祀るともいわれています。また、かつては金藏寺護摩堂の北、清泉の上に祀られており、清水を神格化した水神を祀る「雲生水」(うんじょうすい/御香泉)とも呼ばれたとのこと。

まあまあな階段を、さて、登りますか。

朱色鮮やかな両部鳥居。
彌彦神社を彷彿とさせます。

この上岩井地区の石井神社も、延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』に式内社として記載された石井神社の論社となっています。
しかし天和3年(1683年)編纂の『検地帳』には「諏訪社」と記載されており、信濃国一之宮の諏訪大社から、建御名方の分霊が勧請された時期があったものと思われます。
明治期の神仏分離令を経て、現社名に改称されたとのこと。

程よい汗を滲ませて階段を登った先には、心地よい、しっとりとした聖域がありました。

当社祭神は「神石井彦命」(かむいわいひこのみこと?)。
「天照皇大神」と「大山祇命」が合祀されていますが、「建御名方」は祀られていないようです。
彼はいったいどこへ消えたのでしょう。

京都大原野の石井神社から勧請したのであれば、神石井彦は磐裂神のことなのかと思いがちですが、これまで参拝して来た流れからすると、いや待てよ、となるわけです。
柏崎市西山町の「御島石部神社」の伝承に登場した二田彦と石部彦。この石部彦が石井彦なのではないか、とか、
二田物部神社で考察したように、彌彦神社の祭神に縁深いのがこの石井彦なのではないか、とかね。

「彌彦」(いやひこ)は石井彦(いわいひこ)なんじゃね、とか、
更には、石井彦は九州に来て、筑紫君になったんじゃね、とかもね。

あまりいい加減なことを言うものですから、狛犬さんに睨まれております。
もちろんこれは、まだ私の妄想の域を出ておらず、根拠に欠けることは重々承知しております。
ゆるして、狛ちゃん。

ちなみに茨城県笠間市の石井神社に伝わる『倭文神健葉槌命縁記』によると、
「石井大明神は尋常の国社ではなく、鹿島香取の二神の幕下の勇将健葉槌命の神祠である」
とあるそうで、なんと健葉槌さんまで絡んできますか。

北条は鹿嶋さんでしたし、出雲に物部に海部に大彦に、あと大伴さんでしたっけ?
実は他にも加茂さんもいたりしてですね、もうお手上げです。
越国、みんな集まりすぎ~ぃ💦
まいったね🥺
