
延喜式内小社の越後國 三島郡 鎮座「石井神社」(いわいのかみのやしろ)論社は、出雲崎に1社、柏崎に3社、長岡に1社鎮座しています。
そのうち、柏崎の西山町、北条の2社は、御島(御嶋)石部神社が隣接して鎮座しているわけですが、御島ってミシマですよね。

西山町の石井神社を参拝したあと、御島石部神社を訪ねて来たのですが、パーキングが見当たらない。
そこで海岸の駐車場を利用させていただきました。

海風が、気持ち良い。

この辺りは石地海岸と呼ばれ、約1kmにわたって続くロングビーチとなっています。
水質が良好な海岸として知られ、天気の良い日には日本海の向こうに佐渡島を望むことができ、県内屈指の景勝地としても知られています。
夕暮れには日本海へ沈む夕日が海を黄金色に染め上げ、気象条件がそろうと「世界一大きく見える夕日」ともいわれる迫力ある景色を楽しめるのだそうです。

さて、「御島石部神社」(みしまいそべじんじゃ)の入口に来ました。

ここから、長いと噂の参道を歩いていきます。

この日もまあまあな最高気温を記録しており、とにかく暑い。

そして当社の参道沿いは墓地となっており、あまり雰囲気が良いとはいえません。

この参道は200mばかりあり、緩やかな登り坂となっています。

謎の何か。
境内は霊園を兼ねているのでしょうか。

参道の終盤は急に鬱蒼とした杜となっており、

雰囲気がガラリと変わります。
ちゃん熊、いそう。。

海が近いからか、南国的な印象も受けます。

傍にあった、変わった石。

当社は北条の同名社と共に、『延喜式神名帳』越後国三島郡鎮座の「御島石部神社」の論社となっています。

社伝によれば、その昔、出雲より北陸東北方面平定のためこの地へ訪れた「大己貴」(大国主)が、海中から陸に伸びる岩の掛橋を見つけ、不思議に思って船を岸に寄せてみると、この地の荒神である「二田彦」と「石部彦」が出迎えて酒宴を開き、もてなしたとあります。

石地海岸の名の由来は、この”岩の掛橋”でしょうか。

御島石部神社の祭りでは、神輿が陸から島に渡り、御神酒をささげるのだそうで、この社伝の話が由来となっています。

大己貴は石部山に登ると「此処は我が意に愛しとおもう石部の地」と叫び、御佩(はかせ)の剣を掲げたといわれます。

この石部山というのが、当社が鎮座する山、ということになるのでしょうか。

この時の剣を御神体として祀る神社が、当社・御島石部神社となっています。

歴代領主からの崇敬も厚かった当社。江戸時代には高田藩主・松平家の庇護を受けました。

現在の社殿は弘化3年(1846年)に再建され、その彫刻は武州熊谷の小林源太郎の作となっています。
特に子持龍は見る人を魅了する素晴らしい出来栄で、昭和51年(1976年)に柏崎市指定有形文化財に指定されました。

境内には神楽殿の他、

不詳の境内社がいくつかあります。

『式内社調査報告』によれば、神明宮、金刀比羅神社、八坂神社、湯殿山神社、諏訪神社、厳島神社、稲荷神社の名が記されているそうですが、

全体に朽ちかけている印象が拭いきれません。

潮風も受けやすいので、老朽化しやすいのか。

古峯神社と伊夜日子大神の石碑がありましたが、古峯神社は出雲崎の石井神社にもありましたね。
古峯神社といえば、栃木の天狗の神社のことだと思うのですが、なぜここに。

立派な狛犬が多い中でこちらは、

小ぶりで溶けかけた狛犬氏。
別の生き物になっています。

現在の祭神は「大己貴神」となっていますが、江戸時代は「十二神社」「二田社」「二田大菩薩」と称していたそうです。
これは応永15年(1408年)に末社の二田神社が崩壊し合祀したため、と説明されていますが、応永といえば室町時代ですし、末社が社名神名を乗っ取るというのも理解できません。

二田、石部、それに御島=三島、この三者は何を意味しているのか。
柏崎にはnari氏が大好きな二田物部神社がありますが、二田氏で検索すると、「物部二田塩」(もののべのふつたのしお)という人物がヒットしました。
彼は飛鳥時代の豪族で、物部二田氏は、筑前国鞍手郡二田郷(現在の福岡県鞍手郡鞍手町)を本拠とする伴造氏族だということです。

つまり、当地の「二田」は、本拠地である福岡の地名によるものであるということですが、九州の物部氏が越の柏崎に来て二田を名乗り、出雲族を迎え入れた、ということになるのでしょうか。
いや、それはかなり違和感を感じます。

出雲族が恭しく越国に迎え入れられていた時代はかなり古く、その頃に物部族が当地に移住していた、とは考えられません。
元々、越国に原住していた一族が、のちに物部を称することになったのではないでしょうか。

社殿の向かって左手には、「御島石部神社の八本木」(みしまいそべじんじゃのはっぽんぎ)と呼ばれる、スダジイの巨木が聳えていました。

これはあまりに良くできていて、寄木されたものではないかと思われますが、それでも見事。

まるでヤマタノオロチが聖地を守っているかの如しです。

当地一帯は新潟県内では稀な椎の純林となっており、日本海沿岸で樹叢しているものの北限であるとのことで、昭和29年2月10日新潟県の文化財に指定されました。
樹叢中にはウラボシノコギリシダが生えていて、これも日本における北限といわれています。

本殿の裏手には、池の水が枯れて、湿地のようになった場所がありました。

非常に神秘的で美しいところでしたが、あまり長居すると熊さんに怒られそうだったので、ほどほどに退散したのでした。
