古峯神社

投稿日:

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栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原(こぶがはら)に坐します「天狗の御社」に参拝してまいりました。
「御朱印」ブームで人気の「古峯神社」(ふるみねじんじゃ)です。

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古峯ヶ原へ向かうと、大きな鳥居が見えてきます。

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車はさらに進み駐車場までやってきました。

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いくつもの鳥居を過ぎていきます。

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古峯ヶ原とは神社の所在する一帯の地名であり、その面積は凡そ500haにおよぶ広大な領域になります。

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標高は約700m。

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その中に古峯の大神が鎮まっていると云われています。

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崇敬者に「こみねさん」、「こぶがはらさま」、などと親しまれる古社。

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その境内では、天狗の彫り物を目にします。

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天狗が御祭神かと思いきや、祭神は「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)でした。

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ヤマトタケルは幼少に「小碓尊」(オウスノミコト)、「倭男具那命」(ヤマトオグナノミコト)などと呼ばれ、12代「景行天皇」の皇子と伝えられます。
父親に疎まれ、遠方の遠征に幾度も駆り出され、上総国へ向かう海上で妻「弟橘媛」を亡くし、本人も遂には恋い焦がれた大和の地を踏むことなく亡くなった、悲劇の英雄と語り継がれます。

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由緒によると、今を去る1300余年の昔、隼人という人が京都よりこの古峯ヶ原の淨地にミコトを遷座したのが創始であると記します。

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その後、日光の開祖「勝道上人」が当地に入り、古峯ヶ原深山巴の宿において3年の修行を積み、天応2年(782年)日光の男体山に初めて登頂し、大日光開山の偉業を成しとげたと云われています。

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この縁起にもとづき、多くの僧坊・修験者が古峯ヶ原に登山、深山巴の宿で修行する慣わしとなり、それは明治維新に至るまで行われました。
その彼らの姿が「天狗」と結びついたのでしょう、

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当社は別名「天狗の社」と呼ばれるようになりました。

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古峯神社の社殿内は、所せましと天狗の面、扁額・威儀物(火ばし、下駄、わらじ、天狗人形)などが掲げられています。

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これらは熱心な崇敬者から心願成就の暁に奉納されたものばかりなのだそうです。

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天狗は祭神の使いとして、偉大なる威力の持主として広く民間信仰を集めています。
そうした人々から当社がいかに慕われてきたかを、これらの奉納品が示しています。

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宿泊も可能という広い社殿内を歩いていると、

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「天狗の間」という異様な一室が。

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中には見上げんばかりの巨大な天狗の面がありました。

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その顔の長さは1.5mを超える大きさ。

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ケヤキでできた大面は、霊気を放っていました。

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また社殿奥では創祀以来燃え続けているという「不滅の御神火」が赤く揺らめいていました。

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拝殿に来ました。

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木彫りの大きな天狗像が2体奉納されています。

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顔が赤く鼻の長いこちらの天狗は「大天狗」、

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黒いくちばしのある天狗を「烏天狗」と申すのだそうです。

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さて、古峯神社をネットで調べていると、巫女さんや神職さんの態度が悪い、天狗になった天狗の神社などという旨の書き込みが多いことに驚きました。

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確かに、僕も広く神社を参拝していると、とても親切な神社もあれば、そうでないところもあります。

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当社はどうであるか、と言われれば、愛想が良いとは言いませんが、態度が悪いという印象は全くなかったです。

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当社がテレビなどで人気になっていることのひとつが、このユニークで多様な御朱印の存在です。
印刷した朱印はいつでもいただけるのですが、朱印帳に直接描いてもらう絵柄は、その時の担当の神職さんによるそうです。
そこで希望の絵柄を描いて欲しい人との間でトラブルになることもあるそうで、それが先ほどの態度が悪いという噂にも関連しているようです。

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時に、最近の御朱印ブームは少々エスカレートし過ぎているように思います。
僕は、御朱印は、参拝の記念に気軽に受けてもいいと思っている一人なのですが、本来御朱印は、お寺で写経を納めた印にいただくものです。
寺院名を示す朱色の印に、ご本尊の名を墨書きでいただくといったのが、本来の御朱印。
イラストなどをばばーと書くようなものではないのです。

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神社の御朱印は、社名の朱印に社名を墨書きしたもので、本来の御朱印とはちょっと違います。
なので伊勢神宮などでは朱印のみをポンと押すだけで、社名の墨書きは入れません。
それでもいいと思いますし、社名の朱印の上に「天照大御神」と主祭神の名の墨書きが入るとかっこいいのに、とも思っています。

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何れにせよ、御朱印は、謹んでいただくものであり、我先にと争っていただくものでもなければ、注文をつけるものでもなく、ましてネットで売買するような品物でもありません。
荒んだ気持ちでいただく御朱印に、どれほどの神徳が宿るというのでしょうか。

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兎にも角にも、日本の聖地というものは、御神職も参拝者も、日本人であるならば自然と慎ましい気持ちになるものだと思います。
外国からの参拝者も、良識ある方はきちんと御神徳を感じて帰られているようですよ。

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古峯神社を参拝されたら、御朱印をもらって帰るだけではもったいない。
是非訪ねたい場所が古峯ヶ原高原の山頂付近にあります。
それは「深山巴の宿」(じんぜんともえのしゅく)。

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特に目につく案内板などは出ていませんので、あらかじめ場所を把握しておいた方が良いです。

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2•3台分の車を停めるスペースはありますが、うっかり通り過ぎてしまいそうです。

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車を停めて100mも歩くと、

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案内板がありました。

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その向かいに、侘びた鳥居とともに聖域が広がります。

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「深山巴の宿」は、その名から宿場・道場跡みたいなものを想像していましたが、全く違いました。

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勝道上人が、修行の地として定めた所で、多くの修験者がここで修行を積みました。

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聖地を取り囲むように、巴形に清水が湧き出る池があり、現在は禊場として使用されています。

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そこには龍神が祀られ、

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手前の池には捧げものの卵が沈んでいます。

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足を踏み入れると、淀みのない、凛とした空気を感じます。

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天に吸い込まれるような感覚。

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なるほど、これが天狗様のお力かと、妙に納得させられます。

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この美しき聖地が永く保たれることを、願います。

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11件のコメント 追加

  1. こたつ より:

    古峯神社に毎年参拝している者です。神社の態度が悪いとかって…こっちにしてみれば御朱印をもらいに来ている方々のほうがよっぽど態度が悪いと感じています。御朱印ブームなんかの時はまるでテーマパークかのような五月蝿さで…ご祈祷が始まっているのにガヤガヤ…ドスドス…お土産も平気で買いに祈祷中にはいっていらっしゃる…受付の女性は確かに無愛想(スミマセン)なお方ですが、いつもキチンと対応していただいております。なんか悪口書かれてるの見ると残念…あそこはホントに背筋がピンと伸びるような緊張と重々しさがある場所です。来週また参拝予定ですが…ワイワイガヤガヤじゃ無いことを願っています。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こたつさん、ようこそ偲フ花へお越しくださいました。コメント、ありがとうございます。
      古峯神社に身近に参拝できるのは、羨ましいですね。あのピンと張り詰めた空気は、さすが修験の古宮であると感嘆したものです。
      数多くの神社を訪ねていると、確かに社側に奢りを感じる場所もありますが、御朱印にまつわるトラブルの多くは、受ける側の意識の低さが原因だと思われます。御朱印はありがたく頂戴するもの、金を払っているのだからこちらは客だろう、という考えの方が騒いでいるように思います。その騒ぎに嫌気がさして、心を込めて御朱印を書かれていた方が取り止めた事例も多くありますね。
      ただ、中にはめんどくさそうに書かれて、ポンと放り投げるように御朱印帳を渡された神社もありました。丁寧に「よくお参りくださいました」とおっしゃってお渡しくださる神社がほとんどですが、その時はいっそう気持ちが晴れやかに感じるものです。
      つまり、神前においては、参拝者も社側も同じく謙虚な気持ちであればこそ神意かなって心清々しくあるもの。また喧騒として残念な状況でもそこが古来からの聖域であることに違いはなく、自らが謙虚であれば、やはり心清々しく過ごせるものと考えています。

      いいね

      1. こたつ より:

        おはようございます。今まさに古峯神社に居ります。昨年よりだいぶ人数も少なくだいぶ静かなようです。(御朱印の方々は結構いらっしゃるようですが)自分は大震災の被災地に住んでいて、古峯神社には震災の前年から伺っておりましたが、震災後は毎年毎年参拝に行く事を目標にがんぱってきたように思います。今年もこの重々しい凛とした空気にふれられて良かった!これでまた一年頑張れそうです。……人が増えてガヤガヤしてきました…御祈祷まだなんでしょうか…

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          それは良いですね!
          今日あたりは天候にも恵まれいるのではないでしょうか。
          行かれてあるかもしれませんが、後半に紹介しております、深山巴の宿もおすすめです。

          いいね

  2. 匿名 より:

    どうしても気になったのですが
    当社
    という言い方ではご自身のお勤めになっている神社さんのような言い方になってしまってますよね。
    少し日本語として間違えていると思います。
    神社の関係者の方なのかと思ってしまいました。

    いいね

    1. CHIRICO より:

      こんにちは。
      ご指摘ありがとうございます。

      私的には、日本語的に間違いではないと思い、このような表記を度々使用させていただいております。
      例えば「当人」「当地」「当市」「当校」etc
      このように、「当」とは「該当する」「この」といった意味を含んでいるからです。
      仮に「本社」「本人」「本校」などとなると「所属している」という意味合いがより強くなるだろうと考えられます。

      確かに「当」という文字に、所属性の意味が含まれていないわけではありません。
      日本語には一つの言葉に多様な意味が含まれており、その選択は前後の文面などから意味と読み解くといった慣習により、読み手にゆだねられるものです。
      つまり、前後の文章をお読みいただき、推し量って察していただければ幸いです。

      神社の名前というのは個性が強いものが多く、社名を連呼すると文面がくどくなってしまう嫌いがあります。
      「こちらの神社では」と書いても良いのですが、それも多用すれば文章がくどいと感じ、スマートに「当社では」と使用するに至りました。
      もちろん、ご指摘のように、お読みいただく方の中には勘違いされる方もおられるかもしれませんので、もっとスマートな表記方法があれば訂正するのもやぶさかではありません。

      ただ、当ブログが私の個人的趣味の旅行の記録であること、私自身がプロのブロガーではないということを含め、ご寛容いただけると幸いです。
      もし天から幸運が舞い降り、書籍化などということにでもなろうなら、当然プロの方にご校正いただくことになろうかと思います。

      いいね

    2. CHIRICO より:

      ひらめきました!
      「ご当社では」と書けば、スマートかつ勘違いも予防でき、かつ丁寧ですね♪
      以後順次、書き換えていきたいと思います。

      いいね

    3. CHIRICO より:

      いや、すみません、やっぱり相当野暮な感じになりましたので、元の「当社」表記に戻します。

      いいね

  3. asesorlegal 999 より:

    古峰神社、やはり寄られましたか!!
    私の娘がまだ小学生の頃に連れて行きましたが、天狗の面を見た途端に大泣きしました。笑笑

    拝殿の蝋燭立て!
    何処ぞの紋章に見たことはありませんか??

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      おはようございます!
      蝋燭立て、メノラー燭台ですね。
      そう言えば、山伏・天狗の姿はユダヤ人に似ていると云う話を聞いたことがあります。
      「虎の巻」も虎が居なかった日本で、「トーラーの巻物」が伝わったものだと。
      そういうことなんですかね!?

      あの天狗の大面は大人が見ても泣き出しそうでした 笑

      いいね: 1人

      1. asesorlegal 999 より:

        さすが👍

        いいね: 1人

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