
izumeのにゃんタマえもん氏と一緒に、八雲町西岩坂にある「築貫神社」(つきぬきじんじゃ)を探して来ました。

場所は、熊野大社と神魂神社の間にある元田の集落から室山へ向かって少し入った林内にある、とのこと。
こちらの神社も、情報は『松江の神社&その旧社地』の著者「野津貴章」先生のサイト『松江の花図鑑』が唯一でした。

しかし野津貴章先生の情報をもってしても、聖地に近接しつつも、あと一歩が分かりません。
izumeのにゃんたま助五郎氏と現地をうろうろし、降り出した雨にしたたか濡れながら、ようやく見つけました。

なるほど、こんなところにあったのね。

野津先生によれば、
「萬差出帳(1764年)『築貫大明神』」「元田『築貫神社』はイワナガヒメノ命が祀られている。この神は別名ウシカイヒメノ命と称され、畜牛馬の守護神であるとされているが、オオヤマツミノ神の御子神で云々」
と『八雲村誌』に記されているとのことです。
イワナガ姫をウシカイヒメとする話は、奥出雲の「縄久利神社」と同じですね。

ふ、ふつくしい・・・
誰ですか、イワナガ姫を醜女だなんて話にした奴は。

人麿、安万侶、ちょっとそこに正座!

築貫神社祭神は「磐長媛命」(いわながひめのみこと)。
地元では「つぬきさん」と呼ぶようです。

izumeのなんとかさんは、淀江の日吉神社のアメノサナメについて調べていると、個々の情報にたどり着いたとのことです。
その時の情報をコピペしたものが次の内容。
“築貫神社と磐長姫の伝承
この神社が鎮座する室山(むろやま)の東麓には、次のような切なくも神秘的な物語が残されています。
安住の地を求めた旅:神話において、妹の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と共に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のもとへ嫁いだ磐長姫命ですが、その容姿を理由に一人だけ父神のもとへ追い返されてしまいました。失意の磐長姫命は安住の地を求めて国々を巡る旅に出ます。
「つきぬき」の由来:旅の果て、海の入り江の最奥(行き止まり)に達したところで舟が着きました。この「舟が着いた(突き抜けた)場所」であることから、この地が「築貫(つきぬき)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
女人禁制の神田:現在、舟が着いたとされる場所は「舟窪(ふなくぼ)」と呼ばれる沼田になっており、かつては「神田」として一切の不浄や女性の立ち入りを禁じる神聖な場所とされていました”
以上。
・・・・・・この情報源、どこにあるにゃん???

女神がたどり着いた入江を女人禁制にしたのは”なんでだ?”って疑問はさておき、古代に何某かの姫巫女が舟窪に来て畜産を広めた、ということになるのでしょうか。
縄久利神社のイワナガ姫は、当地から広まっていったのかもしれません。

氏子さんに大切にされている感じが伝わる”つぬきさん”。
少し失敬して、オヤシロの後ろに足を運びます。

ああ、・・・美しきこと。
雨に濡れた女神は、ことさら色めいています。

「我が背子に 恋ひてすべなみ 春雨の 降る別き知らず 出でて来しかも」(万葉集:1915/詠人不知)

イワナガ姫に、永遠の美があらんことを。
