有鹿神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 番外

投稿日:

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神奈川県の中央を流れる鳩川沿いに「有鹿神社」(あるかじんじゃ)は鎮座しています。

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街中にある小さな神社でしたが、相模国最古の神社と言い伝えられています。

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そのことを教えていただいたのが「れんげ」さんでした。
ありがとうございます。

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れんげさん曰く、有鹿神社の御祭神「有鹿比古命」「有鹿比女命」「大日孁貴」が「寒川比古」「寒川比女」と同じようなネーミングに感じられるとのこと。
あるかひこ=さむかわひこ、あるか=さむか、なるほど、確かに。

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古代語で寒いは清らかなこと、川は泉のこと、清らかな泉。
この有鹿神社には奥宮があり、その御神体が清水の湧く泉なのだそうです。

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有鹿神社は寒川神社の元宮だ、ということも十分にあり得ることです。

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それにしても境内にあるこの謎の物体はいったい。。

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パンダ宮司は有鹿神社の名物宮司さんとのこと。
実物にお会いできなくて残念です。

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有鹿神社は奈良・平安の昔には、相模国の国府を守護する神社として広大な敷地と美麗な社殿、門沢橋にまで及ぶ参道、海老名耕地500町歩を有していたそうです。
その後、室町の二度にわたる戦乱により荒廃しましたが、海老名耕地の用水を守る「水引祭」が復興され、以後海老名総鎮守として地元民の崇敬を受けて今に至ります。

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拝殿前の石灯籠を覗くと、

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宮司さんの遊び心に溢れていました。

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この有鹿神社は、当社・本宮のほか、鳩川の中流を守る「中宮」と水源を守る「奥宮」の三社からなっています。

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「有鹿比古命」(あるかひこのみこと)は太陽の男神と云われ、海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として、本宮と中宮で祀られています。

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『有鹿比女命」(あるかひめのみこと)は水の女神と云われ、安産、育児などを御神徳とし、奥宮と中宮で祀られています。

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この太陽と水の夫婦神は、やはり出雲族の祭司を彷彿とさせます。

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有鹿とは古代語で水を意味し、鳩川の治水と太陽信仰が合わせられた祭祀が営まれてきたのです。

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中宮は本宮から約600mほど離れた民家と民家の隙間に鎮座していました。

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当地は「有鹿の池」(影向の池)とも呼ばれますが、池と呼ばれる場所に水はありません。

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伝承では、この池で有鹿比女命が姿見をしていたということです。

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本宮から北に6km程離れた神奈川県相模原市南区磯部に国の史跡に指定されている勝坂遺跡があります。

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そこは縄文中期の遺跡とされ、有鹿祭祀遺跡からは、5世紀前半から7世紀前半の銅鏡、子持勾玉、管玉、石製玉類、石製祭具などが304点出土しています。

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また、本宮も境内周辺に河原口坊中遺跡があり、弥生時代の小銅鐸、銅鐸形土製品、卜骨などの祭器類、多量の土器、石器、木器等が出土しています。

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有鹿神社の創建に関わる者の古墳と考えられている有鹿丘からはヘラジカの骨が出土しており、それが名前の由来になった可能性も示唆されているようです。

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この勝坂遺跡の先は鳩川が流れる有鹿谷となっています。

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そこに鎮座するのが奥宮です。

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ひんやりと静謐に包まれてその社はあります。

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有鹿神社の「水引祭」(みずひきまつり)では、4月8日に本宮より奥宮傍の「有鹿窟」へ霊石を運び、6月14日に還御します。
「有鹿さまの水もらい」とも呼ばれる神事で、霊石が「有鹿窟」に安置されている約2ヶ月間はかつて、鳩川の水の利用権が海老名周辺の人々に優先され、座間郷の人々が利用できなかったといい、当地に伝わる「有鹿神と鈴鹿神の争い」に関連する模様です。
この奥宮傍に水源である「有鹿窟」と呼ばれるものがあったそうですが、失念していました。
コロナが落ち着いたらまた来なくては!

「寒川神社は、縄文から続く清水の湧く聖地に大彦の子孫が太陽神やサイノカミを祀ったのかもしれませんね。」

有鹿神社をご紹介されたコメントで、れんげさんはおっしゃっておられました。
全くその通りで、出雲を愛した大彦らしい、出雲的でおおらかな聖域であると感じたのでした。

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6件のコメント 追加

  1. れんげ より:

    こんにちは。
    まさか、海老名までいらして下さるとは! 畏れ多くて慄いてしまいました〜。
    ((((;゚Д゚)))))))

    ご覧いただいた通り、今は市街地化して鎮守の森もほとんどなく、かつてはあったであろう風情は失われています。お越し頂くほどのところであったかどうか…安易なご紹介をして申し訳なかったです💦。

    しかし、さすが! 調べ上げて下さっているし、写真が美しいから何割増しかになっています。地元民として嬉しいです。

    はい。こちら、海老名が私の住んでいるところです(^o^)/。その有鹿神社やお隣の寒川町の寒川神社に出雲色を見出して下さり、本当に嬉しく思います。

    海老名の西、大山阿夫利神社があるのは伊勢原市、さらに西には秦野市と、自治体名からして意味ありげなところがあるものの、今ひとつよくわからない神奈川県です。

    海はあるから人の行き来は多く、誇りとする祖先を異にする人達の子孫の子孫が次々入ってきては攻防を繰り返し、薄まり過ぎてしまったというところですかね。

    以前、「出雲王国とヤマト政権」の富士林雅樹さんについて、この方はどういう人なのだろう?と名前検索したら、「江ノ電沿線」というローカル情報誌で斎木雲州氏と共に徐福研究会の方と対談している記事が出てきました。

    「徐福 斎木雲州 富士林雅樹」で出てくるかな? 神奈川にも徐福伝説があるとか。秦野市がある以上、物部の人達は入ってきていますよね。「ヤマトタケル」が腰掛けたという石も県内にいくつかありますし。

    こんな神奈川県ですが、機会がありましたら是非またお越しください!

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      れんげさん、ありがとうございました😊
      いえいえ、教えていただき、本当に良かったです。
      地元の方でないと知らないような、コアな情報こそ僕の大好物です♪

      有鹿神社に参拝したのは昨年の10月初めでしたが、ようやく記事にできました。
      調べてみると、奥宮に御神体の洞窟(?)があるようで、そこを見逃したのが痛恨です。
      たぶん、また行きます!
      鈴鹿明神社も気になっています。
      また神奈川情報ございましたら、ぜひよろしくお願いします!
      関東方面は江戸時代までは僻地のイメージが強いのですが、出雲族も物部族も移住しており、古代から何かしら大きな魅力を秘めた土地だったのだと思われます。
      東国をエミシと呼んだのは物部政権ですが、大和から離れたその場所では、遠征軍含め、案外みなよろしくやっていたのかもしれません。

      有鹿神社は、長野に降り立ち、レンタカーで群馬・埼玉・神奈川・山梨を巡る中で参拝しましたが、帰宅後に富氏の手紙を受け取り、翌々週に邂逅を果たすという人生最高の出来事に繋がりました。
      例の記事は僕も見ましたが、富士林雅樹氏、ふふふ実は。。ということのようです(笑)
      歴史を暴かれると困る旧家があり、時に嫌がらせも受けることがあるのだとか。
      それでペンネームに工夫されているみたいですね。

      いいね

  2. KYO より:

    神奈川育ちでしたが、神社も遺跡も知りませんでした。パンダが不思議ですが、少しお茶目な宮司さんのおかげで、今後もしっかり残っていって欲しいですね。
    寒川神社の、というのもなんとなく頷けました。

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      奥宮の御神体(泉)というのを見損ねたのが悔しいです!
      またたぶん、いつかリベンジするのだと思います😎

      いいね: 1人

  3. Yopioid より:

    仏に供える水を閼伽(あか)というようで、船乗りは浸水するのが怖いので水と言う言葉を忌み、仏事の言葉を借用し、船底の溜り水のことを「あか」といいます。「あか」とaquaが水で音がにているなと思って調べたことがありますが、語源が違いました。閼伽(アカ)がサンスクリット語のargha(アルガ)でむしろ「価値」の意味。マレー語のharga と同じ語源でした。aquaの語源はラテン語、ひいては古英語のea、さらにさかのぼるとインド・ヨーロッパ祖語 *hekʷeh (“water”)” ヘクウェ→アクア、なのだそうです。
    本文と関係ないことでごめんなさい。アルガからサンスクリット語のアルガを思い出したもので。

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      いや、意外と閼伽=有鹿の線もあるかもしれませんね、面白い!
      Yopioidさんは僕と違うベクトルで面白い知識をお持ちなので楽しいです♪

      いいね: 1人

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