御井神社:八雲ニ散ル花 八上恋歌篇 01

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出雲市斐川町に出雲大社の祭神「大国主」の最初の妻と伝わる「八上比売」(ヤガミヒメ)とその娘を祀った神社があるというので、訪ねてみました。

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「御井神社」(みいじんじゃ)です。

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大国主は兄弟神と一緒に、美しいと評判の八上姫に求婚に行くことになります。
しかし意地悪な兄弟神は大国主に荷物をすべて持たせ、先に行ってしまいます。
大国主が遅れて歩きゆくと、ずるむけで泣きじゃくる小汚いうさぎに出会いました。
うさぎはワニザメを騙したことで皮を剥がされ悲しんでいましたが、そこへ意地悪な兄弟神がやってきて塩水で体を洗うと良いと教えられます。
それを聞いたうさぎは海水で体を洗いますが、余計にヒリヒリして大変なことになってしまいました。

大国主はすぐに真水で体を洗い、ガマの穂でもふもふしなさいと、うさぎに教えてあげました。
うさぎは大国主に教えられた通りもふもふすると、あら不思議、もとのきれいな白うさぎに戻ったということです。

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この白うさぎ、実は例の美女、八上姫の眷属でした。
姫は言い寄る兄弟神たちを押しのけ、イケメンで優しい大国主が良いわ♪と言って、大国主のお嫁さんになったのでした。

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ところが、大国主はイケメンが過ぎました。
すぐに浮気をしてスサノオの娘、須勢理姫(スセリビメ)に手を出してしまいました。
でも大国主はイケメンだったので、何人奥さんを作っても許されたのです。
ところがこの須勢理姫はとっても嫉妬深い女でした。
大国主がいなくなると、すぐに八上姫をイビリだし、ついには出雲から追い出してしまいました。

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しかし大国主はやることはやる男でした。
しっかり八上姫のお腹の中に子供を仕込んでいたのです。

八上姫は身重ながら逃げ出し、身も心疲れて途中、腰掛けます。
するとそこから温泉が湧き出で、よれよれになっていた姫が湯につかると、以前の美しさにより拍車がかかり、スーパー美女になりました。
この湯は日本三大美人の湯で知られる「湯の川温泉」と呼ばれています。

途中、産気づいて玉のような娘も生まれました。
そして三つの井戸の水で産湯につからせてから、木の俣に預けて因幡の国に帰ったそうです。

その娘が木俣神なのでした。

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なんて話になっていますが、もちろんこれは物語です。
ですが八上姫は実在しています。
木股姫も実在しています。
須勢理姫は…これは創作でした。

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神話で木股姫が浸かったという井戸が3つあるというので散策します。

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「生井」(いくい)、安産と子育ての水神です。

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これらの井戸は50年前までは滾々と水が湧き出ていて、掘りぬき井戸としては日本最古とも云われています。

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「福井」(さくい)、母子の幸せを司る水神です。

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八上姫は因幡国の豪族「曳田家」(ひきたけ)の姫でした。
鳥取市川原町曳田の売沼神社では八上姫が祭神として祀られています。

そして八上姫と大国主・八千戈王との間に生まれた娘が「木股姫」です。
物語にあるように、木股姫は木の股に放置されたりはしていません。
きっと大切に育てられたのでしょう、彼女の名は別の名で、各地に祀られているのですから。
その彼女の別名こそ「下照姫」(シタテルヒメ)です。
下照姫は宗像三女神のタギツヒメの娘と解釈されていますが、それは間違いのようです。

そして彼女は倭文神社にも祀られています。
そう、天稚彦・武葉槌の妻なのです。

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「綱長井」(つながい)、母子の寿命を司る水神です。

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激動の時代に生きた八上姫と木股姫、彼女たちの人生がどのようなものであったかは図りかねますが、ここには母娘のあたたかな絆が残されているように思えました。

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