
三瀬峠を越えて佐賀市内へ向かう嘉瀬川(かせがわ)沿い、佐賀大和I.Cからほど近いところに「巨石パーク」と書かれた、巨石の看板があります。

そこには、下流にある豊玉姫にゆかりの「與止日女神社」(よどひめじんじゃ)の奥宮があるというのです。
これは行かねばならない。

入口から車で登って行くと、途中で管理棟があります。
そこで料金を支払うと、簡単なマップと巨石のいわれが載った紙をいただきました。

さらに登ると駐車場に行き着きます。
そして入口がありました。

足を踏み込むと、そう、ここが「パーク」と呼ぶ施設ではないことがすぐに理解できます。
山です。
そう、登山です。

しかもかなりガチの山。

結論から言いますと、一通り巨石と呼ばれる石を見て回ると2時間の登山になります。
再奥の「たもと石」まで行くなら、もっとかかるでしょう。

そして巨石とは言いますが、これは遺跡だと僕は思いました。
古代の祭祀跡です。

さっそく見えて来たのは「石神の滝」。

清らかな水で、喉を潤すことができます。

さらに登って行くと、「烏帽子の雫」という滝もあります。
この先に烏帽子岩があるので、そこから流れている水なのでしょう。

ぐいぐい進んで行くと、ヘルメットのような巨石を発見しました。

これは砥上岳で見た「かぶと岩」にそっくりです。
しかし特に名は付いていないようです。

その先に見えて来ました。
1基目の巨石は、「神頭石」(じとうせき)です。
形が神様の頭に似ていることから名づけられたと云います。
ずっと見ていると、先祖の顔が浮かぶのだそうです。
どの辺が神様の顔なの?と見ていると、

ヤバっ!?
めっちゃ巨大爬虫類系に見えるんですけど。
神様って宇宙人的なヤツですか??トカゲ型の。

ビビりつつも足を進めていると、

2基目の磐座「道祖神石」(さやのかみいし)があります。
山に来た人たちの交通安全の守護神として祀られてきたそうです。

広角でも入りきれないので、iPhoneのパノラマを使ってみます。

出雲王国では、道の神を「塞の神」(さいのかみ)と呼んで祀っていました。

道祖神石の左端に窪んだ場所があります。

ここは祭祀跡だと思われます。

なんだか巨大ツチノコのような石がありました。

ツチノコの尻尾石だと思っていた石は、3基目の巨石、石神様が航海に使用したといわれる「御舟石」(みふねいし)でした。

4基目の「兜石」です。

兜に似ているからだそうです。
顔にも見えてきます。

5基目の「龍の石」は天に昇る龍に似ているそうです。

6基目には巨石パーク前半の目玉、天地万物をつくったと伝わる「造化大明神」(ぞうかだいみょうじん)があります。

この磐座・造化大明神が與止日女の御神体であり、ここが與止日女神社の上宮となります。

中は洞窟になっていてお参りでき、通り抜けることもできます。

御神体岩は男神石女神石からなっているそうですが、よくわかりません。

中へ入ってみます。

この山の名は下田山といいます。
昭和10年に地元の新聞記者によって巨石群が発見され、一般に知れ渡ることになったそうです。
当時はかなり話題になったそうで、1日に2,000人の観光客が訪れたこともあったといいます。
平成7年、”巨石文化のテーマパーク”をうたう「肥前大和巨石パーク」として復活し、現在に至ります。

僕としては、ネーミングに失敗したんじゃないかと思ってしまいます。
この先にもある数々の巨石は、触れ合うことのできる磐座遺跡として、とても貴重なものです。

ここに「世田姫」(よたひめ)という神がいたそうです。
海の神が魚の群れになって、毎年川をさかのぼり、この神の元へ来るそうで、この魚を畏む人には災いがないが、捕って食べると死ぬことがあると伝えられます。

豊玉姫が淀姫になり、世田姫へと変わっていったのでしょうか。

さらに登っていきます。

眼下に造化大明神を望みます。

7基目「イナリ石」です。
おにぎりの形をしていることからの命名です。
穀物神「倉稲魂」(ウカノミタマ)を祀ります。

そして頭上に圧倒的存在感の大岩があります。

9基目の「屏風石」(びょうぶいし)です。

巨岩の下には、祭祀跡があります。

この巨岩を引けるだけ引いて撮ってみると、こうです。
これは道教で言うところの陽石です。
ということは陰石もあるはずです。

屏風石から下ったところにありました。
8基目の磐座「誕生石」です。

あまりの見事な造形に、思わず感心してしまいました。

そこからの俯瞰の景色も素晴らしい。

この石からすべての動物が生まれたと伝わる神聖な石です。

まるで空中に浮いているようなこの巨岩の先は絶壁なので足元には注意が必要です。

そしてさらに登ると、もう一つの陽石があります。

10基目の「烏帽子石」(えぼしいし)は巨石パークのシンボルと言っていい石です。
平安時代の貴族がかぶった帽子に似ていることから名づけられた石で、7.57mの高さがあります。

石の下部は空洞になっていて、ここでも祭祀が行われていた可能性は濃厚です。

これらは自然が造り出した形なのでしょうが、それゆえに、大自然の神秘を感じます。
絶海の孤島ではないですが、交通の便もなかった太古には容易に到達できる場所ではなく、それゆえに沖ノ島に匹敵する神跡であると感じるわけです。

烏帽子石を回り込むように歩いてみて驚きました。

眼下に、明らかに人工の造形と思える巨岩があります。

平らに突き出た、滑走路のごとき巨岩。
11基目の「御座石」(ございし)です。

神様が山頂から佐賀平野を眺めたときにここに座ったことが名の由来で、「ござ」ににていることから名付けられています。
何十人も座れる広さがあり、悟りを開くための場所とも云われています。

今は雑木が伸びて展望はききませんが、それでも心が天高く持ち上げられるような感覚です。
ここは月読みの場所だったのではないでしょうか。

ここから急斜面を10分ほど登ったところに12基目の道真公を祀った「天神石」があると書かれていましたが、いまいちどれのことかよくわからず、展望もイマイチでした。

ここからあとは下りが多くなってきます。

しばらく歩くと、写真に収まりきらない巨岩があります。

13基目「雄神石」(おがみいし)です。

男子として面目を立たせるように強きをくじき弱きを助け、仁義を重んじるように指導した神だと伝わります。

雄神石の横にこれまたすごい15基目「神籠石」(こうごいし)があります。

神籠石とは通常、山頂の結界に張られた石をいいます。

ここでは神を守る石のことであると伝わります。

ここも祭祀が営まれていた聖蹟のようです。

雄神石と神籠石の間を登ると、

後半のハイライト、14基目「天の岩戸」が見えてきます。

宮崎県の高千穂町にある天岩戸に似ていることから名づけられたと伝えられます。
高千穂の岩戸は今は崩壊して形を失っていますが、かつてはこのような姿だったのでしょうか。

日本各地に伝わる天の岩戸とは、女神石だと思うんですよね。

射し込む光と、

いにしえから続く祈り、

命の賛歌が響き渡るようです。

うっかり16基目の「蛙石」を忘れて下山しましたが、十分パワーを堪能しました。

帰り道は最短ルートで降りましたが、何やら派手にデコレーションされた木を見つけました。

なになに、

お地蔵さんがいて、

「しあわせの木」とあります。
下のハートとは、

なるほど。

そしてこの郵便ポストは賽銭箱がわりだと。
でもこれって自然にできた斑点なのでしょうね。

せっかくなので、しあわせのおすそ分け、いただきます。
