白山比咩神社:常世ニ降ル花 菊理淡月篇 04

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女子旅でも人気の古都金沢。
そこからほど近い場所に恋愛スポット「白山比咩神社」(しらやまひめじんじゃ)が鎮座しています。

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白山比咩神社は、金沢市中心部から北陸鉄道で30分、石川県白山市にあります。
当社の参道はいくつかありますが、ぜひ表本参道、一之鳥居から足を運んでください。

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踏み入れた先にある心地よい参道に、思わず感嘆の声が漏れます。

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緑に染まった、美しい道。

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一之鳥居から手水舎までは約250mあり、天高くそびえる杉の並木と、うっすら苔むした上り坂が伸びています。

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参道の横は小川が流れていて、せせらぎの音が一層気を浄化しています。

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ずっと佇んでいたい雰囲気。

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しばらく歩くと「枇杷滝」がありました。

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往古はここで禊をしていたものと思われます。

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今度は御神木が出迎えてくれました。

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樹齢800年の巨木です。

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来た道を振り返ってみても、そこには相変わらずの心地よさがありました。

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二之鳥居前に来ました。
なんという神々しさ。

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手水にも日が差し、清浄さが増しています。

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龍の口から流れる水。

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よく見れば、神紋の「三子持亀甲瓜花」があしらわれています。

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風格ある、苔むした狛犬。

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青霞む山々の上に、雪を帯びて輝く「白山」(しらやま)は、広い平野で農作を営む人々の水の恵みの神、沖の漁を営む人々には戻るべき大地への目印となり、神体山として遥拝されてきました。

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やがてそこに、「白山比咩大神」(しらやまひめのおおかみ)を祀るようになり、「白山さん」と親しみを込めて呼ばれるようになります。
社伝では、崇神天皇7年(紀元前91年)に、舟岡山に「まつりのにわ」が祀られたのが、当社創建であると伝えています。

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神門まで来ました。

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神門手前にある「荒御前神社」 (あらみさきじんじゃ)です。
祭神は「荒御前大神」「日吉大神」「高日大神」「五味島大神」となっており、荒御前大神は神功皇后の三韓征伐の際に守護した神とされています。

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神門には神馬舎が併設されており、白馬の像が安置されています。
奈良時代の僧「泰澄」の元に現れた白山比咩大神は、白馬に乗っていたという伝承があります。
女神は自分の真の姿を見たいならば、白山の頂上まで来るよう、泰澄に告げます。
白山頂上に至った泰澄が見たものは、恐ろしい九頭の竜でした。
泰澄が「このような恐ろしい竜が白山の女神の真の姿ではありますまい。真の姿を お見せください」と念じると、竜は「十一面観音」に姿を変えたと云うことです。

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神門を越えるとすぐに立派な社殿がありました。

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この白山比咩神社は、北陸三県にまたがる日本三大霊山の一つ霊峰「白山」(標高2,702m)を御神体とする、全国2000社以上ある白山神社の総本宮です。
江戸時代には加賀百万石・前田家の祈願所とされ、加賀の国の一之宮として今も多くの人が参拝しています。

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祭神は「白山比咩大神」「伊邪那岐尊」「伊弉冉尊」。

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白山比咩大神は「菊理媛神」(くくりひめ・きくりひめ)と同一神とされます。

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この菊理媛は『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書(第十)に一度だけ出てくる、謎の多い神として語られます。

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その書紀一書の内容はこうです。
神産みで命を失ったイザナミに逢うため、黄泉を訪問したイザナギでしたが、彼は彼女の変わり果てた姿を見て逃げ出します。
しかし彼を追いかけるイザナミに黄泉比良坂で追いつかれ、口論となりました。
そこに泉守道者(よもつちもりびと)が現れ、イザナミの言葉を取継いで「あなたと一緒に帰ることはできない」とイザナギに伝えました。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれを褒め、現世へと帰って行きました。
・・・これだけ、です。

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この説話から、なぜか菊理媛はイザナギとイザナミを仲直りさせたとして、縁結びの神として親しまれています。
仲直り?してますかね、これ。

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菊理媛がイザナギに何を囁いたかも不明ですし、どう考えても、菊理媛は黄泉側の神です。

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そのほかに
・夜見国でイザナミに仕える女神説
・イザナギとイザナミの娘説
・古事記においてイザナミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」と言及した黄泉神(よもつかみ)説
・イザナミの荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)説
・イザナミの別名説
・死者(イザナミ)と生者(イザナギ)の間を取り持つシャーマン(巫女)説
・ケガレを払う神説
など、様々に菊理媛の正体が噂されます。

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「ククリ」の神名についても様々な説がありますが、有力な説は「括り」を意味する言葉を由来とするもので、そうであるなら彼女は「ムスビ」の神として、イザナギとイザナミの中を取り持ったという話も納得がいくような気がします。

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境内に霊峰白山の遥拝所がありました。

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大汝峰・御前峰・別山の「白山三山」を模した岩が祀られており、山頂に祀られる奥宮を遥拝することができます。

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境内を散策します。

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北参道側に「白光苑」という庭園がありました。

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1958年に作られた庭園だそうですが、人がいなくてとても静かです。

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菊理媛が白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明だということです。
菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われています。

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なぜ菊理媛は日本書紀で登場したのでしょうか。
古事記に名は無く、日本書紀でもあえて記す必要もない登場シーンのように思われます。

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黄泉比良坂での夫婦神の喧嘩別れは、「生」の世界と「死」の世界の決別・線引きを意味します。
「菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれを褒め、現世へと帰って行った」くだりを見ると、菊理媛が言った何かとは、死の悲しみを乗り越えて生きていく方法だったのかもしれません。

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次は南側の参道を散策してみます。

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こちらのユニークな天然石の手水鉢は「亀岩」と呼ばれるそうです。

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長寿の吉兆として親しまれています。

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禊場がありました。

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白山比咩神社の禊場は荘厳で近代的な造りでした。

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ちょっと子供向けプールな雰囲気もあります。

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禊場の滝の上には祓社があり、

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隣に「住吉社」が鎮座しています。

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イザナギが黄泉国から戻って禊を行った際に生まれた住吉三神、「底筒男尊」(そこつつのおのみこと)「中筒男尊」(なかつつのおのみこと)「表筒男尊」(うわつつのおのみこと)を祀り、神功皇后にもゆかり深い神であります。

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この住吉社は謡曲「歌占」(うたうら)にまつわる伝承があります。
「伊勢の国二見が浦の神職渡会の某は、神に御暇を告げずに諸国を廻る旅に出かけたため、その報いからか急死してしまいます。
しかし三日目には生き返り、そしてこの時から頭髪が真白になってしまいます。
その後も渡会の某は諸国をさすらい、歌占を人に引かせて渡世としていました。
そして加賀の国白山の麓に来た時に、歌占がよく当たるということを聞きつけた里人と父を尋ね歩く子どもが見てもらいに来たので、それぞれに短冊を引かせたところ、なんとその子どもは我が子であることがわかります。
渡会父子は邂逅を喜び、一緒に伊勢の国に帰る事となります。
そこで里人が別れを惜しんで地獄の有様を語ってほしいと頼むと、父親は少し神気に憑かれたかの様で、地獄の模様をクセ舞に作って謡いきかせ、謡い終ると共に狂気から覚め、親子は連れ立って伊勢の国へと帰って行きます。」

『小原隆夫のホームページ』様より。

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白山比咩神社境内から157号線を車で5分ほど走ったところに「歌占の滝」があります。

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本曲の里人はこのあたり白山の麓に住む者であり、渡会某は事情あってこの近くの住吉神社の傍らに住み、この歌占の滝に来ては歌占をしていたと伝わります。
境内の住吉社はこの社を移設したものだそうです。

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帰り際、参道入口の「おはぎ屋」さんという店に立ち寄りました。

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やや甘じょっぱいおはぎと、具沢山の「ほうらい寿し」が現世に我が身を「括って」くれました。

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白山登山の思いを遂げた後、お礼参りに白山比咩神社を再訪しました。

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境内のすぐそばにある「河濯尊大権現堂」は白山比咩神社の重要なスポットだという話なので立ち寄ってみます。

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ここの像が泰澄大師の自作だと伝えられるそうですが、その真偽はさておき、僕は白山信仰は泰澄よりも遥か古い古代からあると考えています。
ただそれを明確なものにしたのは泰澄であるかもしれませんし、後の修験者かもしれません。

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当記事を投稿した最初の頃は、富家伝承を知ったばかりの頃で、今より白山について十分な考察が足りていませんでした。
しかしこの白山比咩神社参拝の時より、僕の中で白山登拝の思いが生まれたのは確かなことです。

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この時よりずいぶん後になって、豊王家と姻戚関係を結ぶ越智家のことを知り、竹葉背ノ君の敦賀入りのルートの先で越知山に辿り着きました。
そこで越智族と白山信仰の繋がりを知り、白山比咩、いわゆる菊理姫とは越智家の常世織姫であると思い至ったのです。

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白山比咩神社の一の鳥居から道を渡った先に、白山比咩神社の旧鎮座地があります。

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そこからは素焼きの土器などが出土しています。

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世に菊理姫と言う名の神が誕生したのは『日本書紀』が書かれた時のことであろうと推察されます。
それまでは白山に祀られる神は白山姫であり、常世織姫であったと考えられます。

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越智族は彼らの姫巫女・常世織姫の血を受けた豊族の皇子・竹葉背ノ君に付き従って、群馬から長野を経て、新潟の居多神社から出航し、福井の敦賀に至りました。
そこで越知山を拠点とし、ひっそりと定住します。越智族は歴史の表舞台に積極的に出ることをしない一族です。
やがて越知山から月光を反射し白く光る白山に月神を祭祀し、やがて月読の巫女を常世織姫に重ねて白山姫として祀るようになったのだと思われます。

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ダンブルドア先生の支持する九州王朝説の百嶋由一郎氏によれば、白山比咩は、白川伯王の姉であるということです。確かに白川伯王家と白山の麓にある白川村は関係があると思われます。
それはつまり、白山を祭祀する越智族の中から白川伯王家は生まれたのではないかということです。
しかし白川伯王が世に現れたのは、天武帝期の泰澄よりもはるかに後年の平安時代末期でした。つまり古代越智族が白山に祀った白山姫はもっともっと古い神だったのです。

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白川伯王家は65代花山天皇の皇孫の延信王(のぶざねおう)から始まり、古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家であるとされます。
伯家神道(白川流神道)の家元として皇室の祭祀を司るようになりました。聞いた話では、天皇の代替わりに特別な祭祀を行い、次代の天皇に国を治める力を覚醒させるのだと。
この話を聞いて僕が思い浮かべたののは、太陽神の代替わりを司った常世オモイカネ神でした。

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延信王は源姓を賜って臣籍降下し、神祇官の長官である神祇伯に任官しました。以降その子孫が神祇伯を世襲するようになったために「伯家」とも、また、神祇伯に就任してからは王氏に復するのが慣例であったことから「白川王家」とも呼ばれます。
古来より、神祇伯は中臣氏の氏人が務める例が多かったのですが、平安時代末期の永万元年(1165年)以降は神祇伯といえば伯家、白川伯王家のこととなりました。
職務は神祇の祭祀を始め、祝部・神戸の名籍、大嘗・鎮魂(などの令制祭祀)と御巫・卜兆のことを掌った他、神祇官中の事務決裁を職務としたといいます。

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白山比咩神社の旧社地には水戸明神として「速秋津比子」「速秋津比売」が祀られていました。
瀬織津姫ではありませんでしたが、同じカテゴリーの祓戸神です。

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旧社地は他はただただ草地が広がるだけで、当時の面影を見るには妄想に耽る他はないのでした。

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帰り際、金沢のもりもり寿司さんに滑り込み。
念願の幻の白えび、がすえび、梅貝、のどぐろなどの北陸三昧に、舌鼓が高らかと鳴り響きました。

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3件のコメント 追加

  1. さいとうよしみ より:

    こんばんは。3年経ちましたが、あまり進歩しておりませんね。
    石川県金沢市別所の瀬織津姫神社など別所ルート(菊池山哉さん研究:古代俘囚収容地と多数重複)からも調べてます。漢字輸入前の時代も含め、やっぱり奥深く僕には難しいものです。
    残りの時間の間に許されるならば、将門公と姫大神の小さな切絵絵本を一冊作って、もう全て終わりにする考えです。

    CHIRICO様の旅路に豊かな恵みのありますように。

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  2. さいとう よしみ より:

    こんにちは。
    出雲伝承から学び始めて、今は『水の姫神』と縄文後期の東アジアを調べております。
    (毎回、ブログは楽しく拝見しております)

    高野山清滝権現。真言宗、天台宗。空海さん。徳一さん。宇佐放生会・・・・。

    まだ整理ついておりませんが、『丹生都姫』『白山姫神』、『旧き統べるものたち』仏教信仰に救われた方々も多いと感じますが、何か喪われた大切なことも、あるような気が、最近しております。大元出版社様に何点か切り絵を、仮名にて掲載いただけました。感謝と稚拙な僕の技能へのお詫びの念が、あります。

    ただ『水の姫神』を調べるにつれ、いろんな意味で本当に適切な作品だったのか???
    、後悔のような心苦しい反省のような『念』が、今もなお僕の中にあります。

    出雲伝承以前にも、旧き神話は東アジア全体レベルでもあったのではないか?。

    今は妄想レベルですが・・・・・・。
    駄文ですが、こんな感じで調べております。

    季節の変わり目です。お体、大切になさってください。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様、お久しぶりです。
      もちろん世界中に、旧き神話はあったのだと思います。
      僕は日本の神話でしか推し量れませんが、各地を巡って伝承を探ると、全てがどこかで繋がっているように感じます。
      富王家の伝承ですら、大元出版の本によって、時には一冊の本の前後でさえ矛盾がありえるのですから、僕らは妄想で歴史の旅をするしかありません。
      でもそんな知的探求は楽しく、夢中になってしまいますね。

      ありがとうございます。
      お互い自己管理を尽くしましょう!

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