和歌山城:白姫 道草

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僕は今、階段を登っています。

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僕の旅は、いつも階段を登っています。
暑い。。

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ヤッホ~見えてきたよー。

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「和歌山城」(わかやまじょう)にやって来ました。

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フランス人である父譲りの金髪が印象的な、日都ヶ島に住む17歳の少女。
幼馴染である慎平のことが好きだが、想いは伝えられていない。

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そんな潮ちゃんのサマータイムを連打しながら、ようやく楠門に到着です。

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和歌山城は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の平山城です。

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安土桃山時代の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長は紀州征伐の副将軍として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増されました。

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秀吉が築城を命じ、普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、1年で完成させたのが和歌山城の始まりです。
この際、当時「若山」と呼ばれていた呼称が「和歌山」と改められたそうです。

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慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後、37万6千石で浅野幸長が入国し、和歌山城主となりました。

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幸長は城を改築し、連立式天守を建て、本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造りました。
天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられています。これを連立式天守と呼び、姫路城、松山城と並んで、和歌山城は日本三大連立式平山城の一つに数えられています。

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元和5年(1619年)、浅野幸長は改易となった福島正則の代わりに、広島藩に加増転封となります。
そこで和歌山城に55万5千石で入城したのが徳川家康の十男「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)です。

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頼宣が紀州入りしたことで、南海の鎮・御三家のひとつ、「紀州徳川家」が成立します。
以来和歌山城は、紀州徳川家の居城として、長い歴史を刻んできたのです。

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和歌山城の建つ場所は、紀ノ川沿いの「虎伏山」(とらふすやま)と呼ばれます。

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山といっても小高い丘のようなものですが、その姿が虎が伏しているように見えることから名付けられています。

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城郭は、虎伏山の地形を巧みに活かした平山城で、二つの峰のある山頂の西に天守曲輪、東に本丸が築かれました。

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北麓には二の丸、西に西の丸と砂の丸、南に南の丸が配置され、これらを囲むように石垣や堀が巡らされています。
また、北には紀ノ川が天然の堀として、防御の役目を果たしていました。

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頼宣が和歌山城に入城すると、兄の2代将軍徳川秀忠から銀5千貫を受領し、これを元手に城の改修と城下町の拡張を開始しました。
計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定でしたが、あまりに大規模な改修であったため、幕府より謀反の嫌疑をかけられました。
これは附家老安藤直次の弁明でなんとか事なきを得ましたが、その後、外堀も拡張して総構えにしようとしたところ、これも幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまいます。

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何かとヤンチャぶりが窺える頼宣公ですが、当時、2代将軍の秀忠と、次期将軍となる家光との間には大きな確執があり、秀忠は家康の正当な系統である頼宣にあえて資金を流したのではないかと、僕は考えています。

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和歌山城の本丸があった場所から望む天守閣は、城が最も美しく見える絶景スポットです。

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虎伏山の山頂付近にある本丸は、藩主の住まいでしたが、初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、麓の二の丸御殿に住んでいました。
昔の人でも、山を上り降りするのは面倒だったのでしょうか。

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しかしさすが、気概の高い頼宣公は本丸御殿に住み、この和歌山城の絶景を毎日堪能したのでした。

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麓の二の丸に降りて来ました。
二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれていました。
大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみとなります。

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その横にナナメった回廊があります。

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これは「御橋廊下」と呼ばれ、西の丸と二の丸大奥をつなぐ廊下橋です。
殿様やお付の人が行き来するのを外から中が見えないように屋根と壁が設けられています。
想像以上にナナメっていた回廊をヨチヨチと歩いていくと、

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「西之丸庭園」があります。
ここに来たかった♪

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西之丸庭園は、徳川頼宣が西の丸御殿とともに造らせた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所でした。

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池の隅に建つ「鳶魚閣」(えんぎょかく)は、戦災で天守などとともに焼失し、その後、図面などを基にして昭和47年(1972年)に再建されたものです。
しかし、御橋廊下復元の際に再び庭園の池などの調査を行ったところ、どうやら鳶魚閣は実際には池の中央付近にあったと推測されています。

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気概たくましく生きた、徳川頼宣でしたが、由比正雪の慶安の変に関わっていたのではないかとの嫌疑をかけられ、江戸に10年間抑留されました。
再び和歌山に戻った頼宣は、隠居中もこの庭をこよなく愛したといいます。
こうして見ると、紅葉渓庭園は確かに山の景を感じさせるものですが、

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しかし、鳶魚閣から望む頼宣公の目には、羽衣天女の舞う青松の浜の景が浮かんで見えていたのではないかと思えたのです。

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6件のコメント 追加

  1. Nekonekoneko より:

    🐥由比🐥由比🐥由由比🐥由比正雪⛄️ゆいちゃん身長どのくらい❓🐣

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      ゆいタソ、どんくらいなんでしょうかね。よく長髪オールバックの絵とかありますが、それもどこまで正しいのか分からんとですよね。
      多分そんなに身長高くなかったと思います。

      いいね: 1人

      1. Nekonekoneko より:

        🐥長髪オールバックで低い身長とか、武田鉄矢しか思いつかん🐣

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 より:

          あああああ

          いいね: 1人

  2. asamoyosi より:

    五条桐彦様
    和歌山にいらっしゃったのですね。由井正雪について気にかけていらっしゃいましたが、ものすごい行動力。尊敬してしまいます。お目にかかれたら良かったと思うものの、私ごときがうろちょろすると取材の邪魔になりますものね。
    和歌山城と言えば私達は、和歌山城にでも行ってみる?お弁当持って・・・、程度の所。和歌山城にしろ高野山にしろ行ってみようと思うところが全てそんな感じ。皮相的な「観光」に終始しています。もし今度友達が来るようなことがあったら、五条様のブログをバイブルに案内してみなければ・・・。
                                           asamoyosi

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    1. 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様、こんにちは♪
      すみません、先月、ちょろっとお邪魔してました😊
      次作の執筆は終えたのですが、そういえば和歌山城と紀州東照宮に行ったことがなかったことに思い至り、掲載用の写真を撮りに伺った次第です。
      帰り道、荒川の桃が路頭販売してあったので、一つ買って食べたら、とても甘くでほっこりしました。
      秋の吉野山のお約束がまだ果たせてませんので、あらためて奈良和歌山は、訪れたいと思っています。

      いいね: 1人

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