
松山市福見川町、山村の奥に「新宮神社」(しんぐうじんじゃ)という神社があります。

田んぼを抜け、そこそこ急な石段を登ります。

穏やかな気配の境内。

もうひと階段登ると

社殿が見えてきました。

入口には、狛犬の代わりの石がふたつ。

味わいがあります。

鳥居の先に足を踏み込むと、

一面に広がる緑の絨毯に、三本の大杉が目に留まります。

三本でも二本。

恋する二人はくっついちゃったんですね、ラブラブ。

祭神は「大山積命」(おほやまつみのみこと)です。

十九地山城主「白石若狭守」が紀州より熊野の神を当地に勧請し、新宮神社と称したと伝えられます。

白石氏は河野氏の分流で、河野氏は越智氏の流れとなります。

境内社は「水神社」と「祇園神社」だそうですが、

どちらがどちらかは分かりませんでした。

僕はなんで、この山奥の神社に来たのだろうか。

多分ちょっとした、気まぐれだったのでしょう。



通りすがりに、神社を発見。

おお、三島さんでした。

古めかしい拝殿があります。

そしてこれは、

月形の石ではないでしょうか。

調べてみると、往昔、河野清通が此の山中に隠れ住み、氏神として三島大神を勧請し子孫永住の地と定めたとのこと。

祭神は「大山積命」。

そういえば、先の新宮神社は、紀州の熊野の神を勧請したって言ってたけど、なんでそれが大山積命になるんでしょうか。

つまりそれは、紀州の熊野神の本来の姿は、オオヤマツミであり、元社は出雲の熊野大社であり、その神は大山のクナト大神であるからなのでしょう。
真実は、体制から離れた小社の方に、改変されず正確に残っているものです。

この石の橋は良く残っているな。

月の石は、本殿側から見ると、もっと月形でした。誰かが発掘して納めたものでしょうか。三島神と月神の関係が伝承されているのかな。
と妄想を膨らませていると、そこに小さなお客様がいらっしゃることに気がつきました。

「これは大変失礼いたしました。さぞかし名のある山の主と見受けたが、なぜそのように荒ぶるのか?」
「…べつに」
