
むか~し、むかしのぽんぽこぽん。
伊予国の大気味神社の境内の、大きな大きな木の穴に、喜左衛門という名の大狸がおった。
「そう言うたら以前、讃岐浄願寺の禿狸と相撲をとったけんど、五分と五分で勝敗はつかなんだなぁ」
そんなことを懐かしゅう思い出し、喜左衛門は屋島の禿狸に会いとうなって、讃岐へ飛んで行った。
禿狸は禿狸で、薬缶に化けては腹の毛ぇちりちりに焼かれたりするへまも、ようやったけんど、風邪が流行ると木の葉を金に見して薬を買い、貧しい人たちに分けたる優しさもあった。
「喜左衛門、よう来たな。ほんなら折角やけん手合わやろか」
そう言うと、禿狸は頭に葉っぱ乗せて、ぽん、と宙返り、壇ノ浦の源平合戦を見事に演じて見せた。
「さてさて喜左衛門よ、おぬしは何を演る」
と得意顔になりおった。
そこで喜左衛門が言うには、
「さすがは禿狸よ、腕はなまっとらんようやな。ほんならわしは、今度の五月の五日に大名行列を見したる」
そう約束してその日は別れた。
さて、約束の日になって、禿狸が街道筋で待っとったら「下に、下に」と行列がやってきおった。
「おお、喜左衛門、うまいやないか、うまいうまい」
禿狸は手ぇ叩きもって、笑いながら駕篭に近づいた。すると、
「おぬし何奴、無礼者め」
と護衛の侍に、刀で斬られそうになった。
「ひゃぁ~こりゃ本物じゃ。喜左衛門にやられしもた」
這々の体で屋島に帰った禿狸やけんど、喜左衛門狸はあらかじめ大名行列がそこを通ることを知っとって、一杯食わしたのであった。
ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこりん。


愛媛県西条市にある「鶴岡八幡神社」ですが、

こちらには、「大気味神社」(おおきみじんじゃ)も鎮座しています。

素朴な社門の前には、

若冲っぽい象さん。

正面にあるのが鶴岡八幡神社です。

祭神は「誉田別命」(ほむだわけのみこと)、「気長足姫命」(おきながたらしひめのみこと)、「武内宿祢命」(たけしうちのすくねのみこと)、「鶴瀧姫」(つるたきひめ)、「伊予姫命」(いよひめのみこと)、「饒速日命」(にぎはやひのみこと)、「天道日女命」(あめのみちひめのみこと)、「来名戸祖神」(くなどのさへのかみ)。

社伝によると仁寿2年(853年)、鶴瀧姫の古墳を地域住民が神祭したのが始まりといいます。

貞観2年(860年)に、豊前国の宇佐神宮から道前道後に十六社勧請した時の一社で、伊予饒古宮大三十八の部に列せられたと伝えられます。
創建については宇佐勧請説の他に鶴岡八幡宮勧請説もあるとのこと。

文禄4年(1595年)7月9日の震災で社殿が崩壊、震災後に遷座にふさわしい地を求めた結果、出雲神祀という小祠の祀られていたこの地が相応しいと選ばれ、慶長5年(1600年)になり塩見五郎兵衛景則が志を立て再建されました。
祭神に出雲系が多いのは、そういった理由のようです。

摂社として裏八幡神社や藤御前神社があります。

藤御前とは源平合戦の頃、当地の壬生川に、気を失って倒れていた美しい姫のこと。
この姫は、京の都の藤原家のお姫さまで、平家が敗れて、京におられず舟で逃げ出して、ここまで流れて来たのでした。
村人達は「何と不幸なことよ」と、姫をあわれんで、北条の里に小屋を建てて、そこに住まわせておりました。
しばらくすると、姫も暮らしに慣れてきて、機織りをしながら、ひっそりと暮らすようになっていきます。
そんな姫を、村人達はいつしか「藤御前」と呼ぶようになりました。

美しい姫の噂は自然と広まり、ある時、小松の殿様の耳にも届きました。
殿様が姫を后に欲しいと言い出し、使いを寄越すのですが、姫は一人で静かに暮らしたいと言って、申し出を丁重に断わりました。
その後も、殿様は何度も使いを寄越しますが、姫は断り続けます。ついに殿様は、家来に命じて無理矢理、姫を城につれてこさせてしまいました。
しかし姫は心を開くこともなく、殿様の思い通りにはなりません。腹を立てた殿様は、くちなわ攻めといって、たくさんの蛇がはいまわる部屋の中に姫を閉じ込め、言うことを聞けとしつこく姫をおどしました。すると姫は、舌をかみ切って死んでしまったのです。

これを知った村人達は、みな涙を流して嘆き悲しみ、鶴岡神社の境内に姫を祀り、藤御前神社としてその霊を慰めたのでした。

さて、鶴岡八幡神社の隣にある立派な神社が「大気味神社」です。

祭神は穀物神の「大気都姫神」(おおげつひめのかみ)他、「大国主神」、「大年神」、「御年神」、「若年神」、「猿田彦神」。
創建は宝永2年(1705年)にこの地方一帯が風水害や虫害によって飢饉となった時、村人が神の守護を願うために創建したとされます。

当神社の大樹に喜左衛門狸は棲んでいたとされ、様々な逸話が伝えられます。
ある時、神社の神殿が荒れはてているのを見て、喜左衛門狸は大気味神社の使僧に化け、神社の屋根を修復するので瓦を千枚注文して去っていきました。
瓦師は喜んで瓦を焼き始め、大半が焼き上がったのでそのことを神社に告げに行くと、神社ではそんなことを頼んだ憶えはないと言われます。
瓦師はそこではじめて狸に化かされたことを知り、怒って、再び現れた使僧を捕らえて窯に放り込んで焼き殺してしまいました。
そのしばらく後、里に悪疫が流行ったり火事が起こり、これは焼き殺された喜左衛門狸の祟りじゃないかと噂され、大気味神社の境内に彼を喜野明神として祀ることになりました。
以後、喜左衛門狸は、大気味神社の忠実なる神使となったということです。

明治時代、ロシアの敵将・クロパトキンの手記によると「日本の兵隊の中には赤い服を着た者が時々混じっとり、なんぼ撃っても進んでくる。しかもこの兵隊を撃つと目がくらむ。赤い服には○に喜の字の印がついとった」と書かれているそうです。
これは喜左衛門狸が、小豆に化けて大陸に渡り、上陸するやいなや豆をまくように全軍に散っていき、赤い服を着て戦ったのだと云うことです。
ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこりん。

面白かったです!
ぽんぽこりん♪🎵
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それはよかったぬたぬ♪
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