
時は天和、貞享年間(1682~1686)
阿波国那賀郡加茂村は不作続きの年をむかえ、この村の庄屋・惣兵衛は村の窮状を救うため、私有の田地五反を担保に、近在の富豪・野上三左衛門よりお金を借り受けていた。
返済期限も近づき、丁度通りがかりの三左衛門にお金を返すが、通りがかり故、証文を受け取っておらず、庄屋・惣兵衛は間もなく病死する。
惣兵衛の死後、その妻お松は幾度となく証文を請求するが渡そうとしない。後にお金は受け取っていないと偽られ、担保の五反地までも横領される。
思案の末、奉行所に申し出るが、お松の華麗な容姿に心を寄せ、食指を動かそうとする奉行・越前。
お松は奉行の意に応じなかったため、また三左衛門からの袖の下を受け取っていた奉行は、非理非道な裁きを下してしまった。
お松は権力におもねる悪行に死を決して抗議する。それは直訴であった。
貞享3年正月、藩侯の行列をよぎり直訴、その年の3月15日、お松は日頃寵愛の猫・三毛に遺恨を伝え、処刑に殉ずる。
その後、三左衛門、奉行の家々に怪猫が現れ怪事異変が続き、両家は断絶している。
正義へのかぎりなき執念に死をも厭わず貫き散ったお松さまの悲しい生涯、その美徳を偲び今も参詣者は絶えない。
現在、お松大権現と崇められ、その社殿には千万の招き猫が奉られている。
『日本一社 お松大権現御由緒』


徳島県阿南市加茂町にある「お松大権現」(おまつだいごんげん)に、参拝してきました。

境内には、猫、

猫、

猫、

とにかくニャンだらけです。

御祭神は大権現となったお松さん。それと愛猫の三毛でしょうか。

お松さんはとても美人な方だったそうです。

330年前の阿波国の加茂村で、お松さんは、夫・惣兵衛、三毛と一緒に、ささやかながらも幸せに暮らしていたそうです。

江戸時代の前期、貞享年間は、各地で飢饉が頻発しました。そこで庄屋の惣兵衛は、不作である村を救うために富豪に金を借りますが、すでに返済したにもかかわらず、富豪の策略で未返済の濡れ衣を着せられ、失意の内に病死しました。

悲劇は、残された妻、お松にも容赦無く振りかかります。
結果お松は、不敬にも直訴をしたという罪で、処刑されてしまいます。
この無念を、お松の飼っていた三毛猫が化け猫となり、富豪や奉行らの家を滅ぼしたというお話です。

さて、この伝説の真偽は僕には分かりませんが、実際に惣兵衛が担保にした土地というのが残っており、境内にはお松の墓が残されているとのこと。
真実であるというのなら、これほど悲しいことはありません。

本殿の向かい側に資料館がありました。

中には、たくさんの招き猫とともに、宮田雅之さんの美しい切り絵作品が陳列されています。

「日本三大怪猫伝」として、肥前鍋島・久留米有馬・岡崎の化け猫が挙げられますが、完全なフィクションである岡崎に代わって、この「阿波の化け猫騒動」が挙げられることもあるそうです。

いくつかの伝承・物語を調べていくと、大飢饉などの人々が生きるのに苦しい時代に限って、権力者が悪事・悪行を働くという話に出くわします。
歴史的に見ても、例えば「島原・天草の乱」の発端も、飢饉で領民が苦しんでいる時に、島原藩主の松倉勝家が過酷な年貢の取り立てを行い、年貢を納められない農民、改宗を拒んだキリシタンに対し熾烈な拷問・処刑を行ったことに対する反発から発生したものでした。

では、今の世はどうなのか。
なんだかへんてこりんな世の中に、ますます邁進してく我が国の行く末を見ていると、

そろそろ令和の化け猫騒動でも起きるのではないか、と思ってしまいます。

また人の解釈というのも身勝手なもので、お松さんは直訴によって悪人を倒したという伝説から、勝負事にも利益があると言って合格祈願、就職祈願、金運上昇を願う人の参拝が当社には増えているのだそうで、なんとも複雑な気持ちです。

愛しいペットたちが化け物とならなくてもよい世の中でありますよう、惣兵衛さん、お松さん、そして三毛さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

猫が香箱座りをした姿を象ったご神紋が、最後に癒しとなりました。ありがとう。

