
「岡山県の浅口程ディープではありませんが、兵庫県佐用郡佐用町の江川地区(玉落)にも、清明塚、道満塚がございます」
今年の初めの頃、「暖々空間」さんからこのようなコメントをいただいておりました。

返信にてお伝えしておりましたが、実はこの「清明塚・道満塚」には、昨年の春に、僕はすでに訪問させていただいておりました。
前々から気になっていた場所であり、念願叶っての参拝でしたが、記事にするのがずいぶん遅くなってしまいました。

まず、僕が足を向けたのは晴明塚の方でした。

正しくは「いぶし晴明塚宝篋印塔」(いぶしせいめいづかほうきょういんとう)と呼ばれています。

晴明塚は、佐用町の中でも、少し小高い場所に祀られている印象です。

晴明堂と書かれた小屋の中には、地蔵や木仏がたくさん。

なぜこのような場所に、晴明の宝篋塔があるのでしょうか。

それは安倍晴明の有名なエピソードに関連していました。

『宇治拾遺物語』には、蘆屋道満は左大臣・藤原顕光の依頼により、時の権力者である藤原道長の呪殺を試みたと記されています。
しかし呪の気配を察知した安倍晴明は呪詛返しを行い、これによって道満の企みは阻止されました。

その後、道満は播磨国の佐用へ追放されました。彼は佐用の地においてもなお、道長呪殺を試みたといいます。
安倍晴明は尚も道満の呪詛を止めるため、京都から佐用までやって来て、この地で死闘を繰り広げたのです。

この晴明の宝篋塔は一体何を祀っているのか。
晴明の墓、と言うわけでもないでしょうし、実の所、安倍晴明が京を離れ、こんな山奥まで道満を追っかけてやってきたというのも怪しい気がします。

もう一つ、いぶし晴明宝篋塔の「いぶし」は、佐用にやってきた晴明が「いぶし銀」だったためその名がついた、と思っていましたが、違いました。
いぶしは「猪伏」と書いて、この地区の古名となります。
ネットの情報で、宝篋塔の南面に「イブし」の刻印が見えるとありましたが、これのことでしょうか。

安倍晴明といえば、五芒星のセーマンがシンボルマークですが、彼はどう言った素性の人だったのでしょうか。
母親は「葛の葉狐」だったそうですが、陰陽道は道教に近い印象を僕は抱きます。
晴明は秦氏系の血を引く人物だったのではないでしょうか。



さて、いぶし晴明塚宝篋印塔から直線にして数100m離れたところに、「蘆屋道満塚宝篋印塔」(あしやどうまんづかぽうきょういんとう)と、さらにその先に「陰陽師の里」と呼ばれる場所があります。

車は無理せず、手前の広いスペースに停め、

少しばかり歩きます。

するとありました。道満塚です。

どうやら背後に出たらしく、塚の正面に移動します。

いぶし晴明塚宝篋印塔と蘆屋道満塚宝篋印塔は、わずか数百mほどしか離れていませんが、互いに見通すことはできません。
晴明塚の方は南を向いており、一方、道満塚は西を向いています。道満塚は、西方浄土を向いているとも、京都に背を向けているとも言われてますが、その先には「日本の棚田100選」にも認定された「乙大木谷」の美しい棚田が広がっていました。

蘆屋道満塚宝篋印塔は、彼の古里である乙大木谷の人たちによって建てられ、今も彼らを見守り続けているのかも知れません。

いぶし晴明塚宝篋印塔と蘆屋道満塚宝篋印塔を紹介するサイトのいくつかは、晴明塚は立派で、道満塚は寂れている、人気がなさそうだなどと評しています。
しかし塚と言うなら、道満塚の方がきちんと塚の様相を呈していますし、丘の上の見晴らしの良い場所に、堂々と祀られているように、僕は感じました。

実の所、蘆屋道満という特定の人物がいたかの真相は、定かになっておりません。大木谷と蘆屋道満の関係についても、南北朝時代に書かれた『峰相記』(みねあいき)に、彼は佐用郡に移り住み、そこで亡くなったと記されるに留まります。

京都の藤原道長は、後継争いで正統の兼道の息子・顕光を蔑み、その娘を病死させました。
悲嘆にくれた顕光は、恨みを晴らさんと道満に呪詛を依頼したと伝わります。
京の公的、権力者側の陰陽師に対して、播磨の陰陽師は民間のそれであり、公の陰陽師がやらない汚れ仕事、例えば政敵の呪殺などを行ったと云われています。
そこで公のスーパー陰陽師・安倍晴明の引き立て役として、播磨の蘆屋道満は悪役にされたのかもしれません。

大木谷に蘆屋家の名だたる陰陽師がいて、彼を悪役道満に仕立てる力が働いた。それでこの地にも清明伝説を作り、清明塚が設けられたのではないかと推察します。

実際、播磨では、蘆屋道満は民衆のための陰陽師として慕われていたと言う話も聞かれ、大木谷の人からは、晴明塚よりも道満塚の方が大切な場所なのだと伺うことができました。

いぶし晴明塚宝篋印塔は京都の晴明神社と緯度が全く同じで、真西に位置するのだそうです。この方位に正確で、拘った配置は、秦族のそれを彷彿とさせます。
それに対し、地方の呪術者というのは、つまり蘆屋道満は、出雲散家だったのではないかと僕は思うのです。



日本棚田百選に選ばれた「乙大木谷の棚田」にも足を伸ばしました。

「暖々空間」さんのコメントには、木曽しかり、浅口しかり、晴明ゆかりの地は、やはり天文施設があるのだとありました。
それに対し、佐用の天文台がある山は大撫(おおなで)山といい、大蛇が撫でるように、などの伝説があるのだそうです。
この大撫山は、播磨風土記では鹿庭山と表されており、氏は玉津日女と鹿(諏訪?)との関連を示唆されています。

確かに、出雲を彷彿とさせるような名前です。

我々が知る歴史は、中央の歴史であり、勝者の歴史です。その歴史の果てに今の僕らの暮らしがあることを思えば、それも歴史であることに違いはありません。
しかし一方、敗者にも歴史があり、その両面を知らなければ、真の歴史は見えてきません。
学校の授業で習っただけでは、「片参り」なのです。
敗者の歴史は失われやすく、知ることは困難ですが、地方の古い口伝・伝承などに、ひっそりと息づいていることがあります。これらは、自ら学び進まなければ知ることのできない情報です。
私たちは今、日本人としてのアイデンティティを見失う危機に晒されています。
誇りを持って人生を歩むためにも、真の日本人の歴史を学ぶことは、今こそ大切な事であると、僕は思うのです。

記事にしていただいて、ありがとうございます。コメントまで載せていただいて、うれしさのあまり、何と申し上げたらいいかわからず、お礼が遅くなってしまいました。
江川の空気感そのままの美しい写真を拝見すると、穏やかに、塚や土地の暮らしを守ってきた方々の姿が思い浮かびました。ご推察がすーっと入ってきました。
この『偲フ花』を拝読するようになって、自分の中に流れる本当の歴史を知りたくなりました。その歴史を知るための断片は、現在も天災や高齢化、過疎化などの事情で失われつつあります。言い伝えが残っていて巡ってみたくても、荒れてしまっている場所もたくさんあるようです。また、猪伏(いぶし)という懐かしい地名ですら、住所表記には出てこないので、知らない人も多くなると思います。勇気を出してコメントさせていただいて、本当に良かったです。これが何かのきっかけになればと願っています。これからも楽しみながら勉強させていただきます。
(次の記事、武蔵の里も、江川から峠続き(古因幡街道)の土地で、興奮しております。)
晴明ゆかりの地と天文施設については、すみません、その時出てきた地名のところには天文施設があるな、という程度です。。。ただ、施設を建てるにあたっては、やはり晴天率とかシーイングなども考慮して、場所の選定がされていると聞きました。たとえ2、3の土地でも、星を詠み、土地を観た陰陽師の痕跡が残る場所と重なっているのは、面白いなと思いました。
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暖々空間さん、こちらこそ貴重な情報をいただき、ありがとうございます♪
ネットで何でも検索できる時代においても、地元や縁のある方の情報というのは、宝だと思います。たくさんのご縁によって、この『偲フ花』は僕の宝箱になりました。
世の中の情勢を見ていると、天災・人災によって、今後ますます歴史の痕跡や日本の風景は失われゆくのではないかと危惧します。偲フ花はそれを少しでも残すための記録となれればと、写真を細かに載せて来ました。
皆さんから頂いた貴重な情報と、私が訪ね歩いた足跡を残すことで、誰かがそれをさらに紡ぎ、麗しいこの国の姿と僕らのルーツを忘れる事なく受け継いでいってくれることを、願っています。
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安倍晴明のお話は大好きです、
五条さんのブログを読んで、日本人としてのアイデンティティーを高めたいと思います😊
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ありがとうございます😊
アイデンティティーを高める場合は、おやじ下ネタの箇所はスルーしていただけると、より効果的です😌
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🐥陰陽師とは、律令制の厳しい時代の官職であり、認められた人間以外が陰陽道を学ぶ事は厳しく制限されていた。いわば狭き門を通った特別な国家公務員であり、”民間の陰陽師”などという怪しげな伝承があるのは眉唾ものですな🐤陰陽師とは、中国の陰陽五行思想を根底に、天文学、神道、仏教、方位学、占術など、様々な学問を包括した専門的な学職。そもそも呪禁師と陰陽師は違うのではないのか🐣
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陰陽師とは、中国の陰陽五行思想を根底に、天文学、神道、仏教、方位学、占術など、様々な学問を包括した専門的な学職、まあそうなのでしょう。
そもそも安倍晴明の式神や呪術というものがオカルトであり、カルトなのだと思っています。
それとは切り離して考えるべき、修験というものがあり、これの根底に出雲散家があり、蘆屋道満や鬼一法眼などの民間陰陽師の元ネタとなっているなのではないでしょうか。
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🐥なるほどネタですな🐤修験というものが何なのか痩せ我慢なのか分かりませんが、なんとなくネタだという事は理解できます🐣
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