武蔵の里

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「ご覧なさい、播磨灘の方が、ほんのり夜が白みかけました」
「ここは何処」
「中山峠。……もう頂上です」
「そんなに歩いて来たかなあ」
「一心は怖いものですね。そうそう、あなたは、まる二日二晩、何も食べていないでしょう」
 そういわれて、武蔵は初めて飢渇を思い出した。
 背に負っている包みを解いて、お通は、米の粉を練った餅を出した。甘い餡が舌から喉へ落ちてゆくと、武蔵は、生のよろこびに、餅を持っている指が顫えて、
(俺は生きたぞ)
 と、つよく思い、同時に、
(これから生れ変るのだ!)
 と、信念した。
 紅い朝雲が、二人の顔を焼いた。お通の顔が鮮やかに見えてくると、武蔵は、ここに彼女と二人でいることが夢のようで、どうしても不思議な気がしてならない――
「さ、昼間になったら、油断は出来ませんよ。それに、すぐ国境にかかりますから」
 国境と聞くと武蔵の眼は、急に、爛として、
「そうだ、おれはこれから日名倉の木戸へ行く」
「え? ……日名倉へですって」
「あそこの山牢には、姉上が捕まっている。姉上を助け出して行くから、お通さんとは、ここで別れよう」
「…………」
 お通は、うらめしげに、武蔵の顔を黙って見ていたが、やがて、
「あなたは、そんな気なんですか。ここでもう別れてしまうくらいなら、私は、宮本村を出ては参りません」
「だって、為方がない」
「武蔵さん」
 お通は、詰め寄るような眼ざしをもって、彼の手へ、自分の手を触れかけたが、顔も体も、熱くなって、ただ情熱にふるえるだけだった。
「わたしの気持、今に、ゆっくり話しますけれど、ここでお別れするのは嫌です。どこへでも、連れて行って下さい」
「……でも」
「後生です」
 とお通は手をついて、
「――あなたが嫌だといっても、私は離れません。もし、お吟さまを救い出すのに、私がいて足手まといなら、私は、姫路の御城下まで先に行って待っていますから」
「じゃあ……」
 と武蔵はもう起ちかけた。
「きっとですね」
「あ」
「城下端れの花田橋で待っていますよ。来ないうちは、百日でも千日でも立っていますからね」
 ただ頷きを見せて、武蔵はもう峠づたいに山の背を駈けていた。

-吉川英治『宮本武蔵』

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岡山県美作市宮本の「武蔵の里」(むさしのさと)を訪ねてみました。

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車を停めてすぐ、「讃甘神社」(さのもじんじゃ)を参拝しました。

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年季を帯びた風格のある社殿です。

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宮本武蔵が幼年の時に、当神社の太鼓をうつ二本の撥の音が左右の均等であることに感嘆したと云われ、この記憶が後年の二天一流の発想に繋がったとされます。

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創建は不詳で、現在地に遷し奉られたのは天正年間(1573年 – 1592年)と伝えられます。
旧讃甘郷中の総鎮守として荒牧大明神と称されていました。
祭神は主祭神として「大己貴命」、他「味耕高彦根命」と「事代主命」を配祀します。

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讃甘神社から少し歩くと、「宮本武蔵生家跡」があります。

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生家はもともと、約60メートル四方の大きな構(かまえ)の中に立つ大きな茅葺の家で、神社のそばにあったことから“宮本の構”(みやもとのかまえ)と呼ばれていました。
建物は昭和時代に火災により焼失、昭和17年に現在の瓦屋となりましたが、大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられています。

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武蔵は天正12年(1584年)に当地で生まれ、父は平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人という武術家の家に生まれ育ったということです。

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しかし、宮本武蔵自身は、著書『五輪書』に生国播磨と明記しており、播磨国(現在の兵庫県)生まれであると考えられます。
私たちがよく知る宮本武蔵の話は、吉川英治の小説『宮本武蔵』によるところが多く、その設定の美作国出生説が今や通説となっています。

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つまり、この美作の宮本武蔵聖地の信憑性はいかほどなのか、ということになるのですが、

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まあ僕も、吉川英治版宮本武蔵をベースとした井上雄彦氏の漫画『バガボンド』のファンなので、ここはうまく乗っかっておくわけです。

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「鎌坂峠」は 因幡街道の峠道であり、武蔵の義母が住む平福宿に通じています。

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「平尾家」は武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先で、武蔵が武者修行に出立した時、家の道具・系図・すやり・十手をおぎん夫婦に渡したとされます。
ここでは、月1回特産品販売の朝一が開かれています。

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長閑な鎌坂道を歩いて行くと、

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「武蔵神社」がありました。

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社頭ある「戦気の碑」には、武蔵が好んだ唐の詩人白楽天の詩の一節「寒流帯月澄如鏡」が刻まれています。

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武蔵神社は、宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年(1971年)4月に、武蔵奉賛会に賛同した全国1300余名の方々の浄財530万円を持って建立されました。

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拝殿内の「武蔵神社」の額は、彫所芸術の創始者である彫無季謹作書のものです。

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質素な本殿、

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この神社の横は墓地となっています。

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その一角に、武蔵の養子・伊織によって熊本の弓削の里より分骨されたと伝えられる「宮本武蔵の墓」が、父の平田無二斎と並んで祀られていました。

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鎌坂道を峠方面に歩いて行きます。

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「本位田外記の墓」なるものがありました。

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本位田といえば又八か!と思いましたが、どうやら又八なる人物は、吉川英治氏の創作の様です。

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本位田外記(1563?―1589)の実名は不詳。
美作国竹山城主新免伊賀守の次席家老と伝えられ、宮本無二之助について当理流十手術を修めたと云われています。

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天正5年(1577年)、新免氏より小房城を預けられますが、天正17年、竹山城下において上位討ちに遭い、無二之助あるいは平田武仁に討たれたと伝えられているそうです。

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武蔵の竹馬の友なる墓の標識もありましたが、

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ちょっと山の中に入り、

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とても無造作に置かれていました。

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「一貫清水」と言うところまで来ました。

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年中絶えることのない清水があり、「この水は一貫の値がある」と、この名がついたと言われます。

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武蔵が故郷をあとに修行の旅に出るとき、竹馬の友、森岩彦兵衛と別れを惜しんで飲んだといわれる水です。

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この先は因州鳥取から播州へ通ずる江戸往返の国道で、少年武蔵が佐用・平福の母のもとへ何度も通った坂道だとされます。

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沢庵和尚の勧めで、お通とともに宮本村を旅立つたけぞうは、ここで振り返り、育った故郷に別れを告げたのでした。

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武蔵村にある駅、それは

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智頭急行「宮本武蔵」駅。

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珍しい人名の駅です。

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駅前には、幼少の頃の3人組がいました。

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ちょっと玉手箱を開けた後の浦島太郎っぽい又八。

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わんぱくたけぞう。

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お通ちゃんは、たけぞうを追いかけて、美作の空に羽ばたくのでした。

PS.井上雄彦さん、『THE FIRST SLAM DUNK』は素晴らしかったけど、ええかげんバガボンド、終わらせてください。

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