
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は人皇(ジンコウ)十二代 景行(ケイコウ)天皇の皇子に在らせられ、勅命に依りて九州中国を、その後東国を征定し、帰途の途次、近江国の伊吹山にて病に触れさせ給ひ尾張国を経て伊勢国能褒野(のぼの)に至り病篤く、終に亡くなる。実に、景行天皇四十一年なり、天皇その功をたたえ、武部を定め群臣に命じその地に山陵を造り厚く葬る。群臣入棺し奉りしに、神霊白鶴に化し西方に飛び去る、棺内にはただ衣冠のみ空く在す、その白鶴は大和国琴弾原に、また飛て河内国旧市の邑に至りまた更に飛て讃岐国大内郡鶴内の里に止りる。よってこの所に神陵を建てさせる。成務天皇の時代、天皇の御兄弟神櫛王(カングシオウ)をして日本武尊の御子、武皷王(タケミカツチノオウ)に従わせて、讃岐の国造に封じ神陵を作らせる(武皷王の神陵は綾歌郡に、神櫛王の神陵は木田郡牟礼町にあり)。日本武尊の御子 仲哀(チュウアイ)天皇の時代神籬を建て封戸を寄らせる。今の神社即ちその御跡である。その後一盛一衰あるが、武家は弓矢の神となし崇敬深い。寛文4年讃岐守高松藩祖松平頼重(ヨリシゲ)侯おおいにその規模を拡め、社殿の修築をなし、領地をさき神領に寄し、幕府の朱印地に改めた。明治五年県社に列せられ現在に及ぶ。
-白鳥神社 由緒


香川県東かがわ市に鎮座する「白鳥神社」(しろとりじんじゃ)を参拝しました。

鳥居前の門前町は、やや寂しげ。

参拝したと言っても、御朱印を確認いただければお分かりの通り、それは令和元年のこと。
もう5年も経つのか。

随分と起稿に時間をかけたものです。(忘れていました・・・)

こちらのこまさん、

ごっついね。

酒樽の積まれた隋神門には、

なぜか阿吽の鶴。

この門は通称「御鶴門」(おつるもん)と呼ばれているそうです。

鶴の反対側には、これまたスタイリッシュな狛さん。

屋根瓦は白の文字がデザインされていますが、当然社名に因んだものでしょう。
最近は白に敏感で、いけません。

古事記では、能褒野(三重県亀山市)で亡くなったヤマトタケルが、その土地で葬られたのち、彼の霊が白鳥となって飛び去ったと記しますが、当社の御由緒によれば、その霊が舞い降りたのが当地であると伝えます。

当地に降りた白鳥は間もなく死んだため、日本武尊の子である武鼓王が廟を建て手厚く葬ったということで、これをもって、白鳥神社の創建となっています。

武皷王(タケミカツチノオウ)とは、あのタケミカヅチさんとは別人なのでしょうか。

武殻王は、悪魚退治の功績により讃岐の地を賜い、この地に永住した讃留霊王(さるれお)と比定されるのだとか。

悲哀の皇子、ヤマトタケルノミコトの物語には、僕も胸を熱くした時期がありました。

事実を知った時には、かなりショックだったことを覚えています。

富家伝承三大ショックは、スサノオの正体とヤマトタケルの正体を知った時のことでしょうか。
あと一つはなんだろう。
ヤタガラス、かな。

社殿を取り囲む回廊には、美しい絵がたくさん奉納されていました。



神社の裏手に、どこにでも行けそうなドアが放置されていました。

こちらの神馬ちゃんは

わらじを履いておられます。

神馬ちゃんは松平頼重公が奉納したものですが、「田んぼに出て稲を荒らした」と云われており、神社から高松藩に届け出がされたのだそうです。
それで口輪をはめて厩につながれています。

神馬ちゃんの奥には「青山稲荷神社」があります。

低い鳥居を、頭をかがめて進みます。

ユーモラスなのか、恐怖なのか、

シュールな狐さん。



神社の裏手は、「白鳥の松原」という公園になっています。

そこにあるのが、

日本一低い山!

山とは、いったい。。。



💯👋🇪🇦
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何と・・・島根・・・お隣の鳥取はモロに台風の当たり場所になってますが大丈夫ですか?私も今年の盆休みは東北に向かうか島根に行こうか富士山登山もなんて迷ってた所に仕事で左足の太ももの肉離れを起こして、盆休みは自宅療養となりました。
そこに台風7号。ああ、色々と呼ばれてないなと現在も引きこもり。
五条さんも色々と気を付けてお盆休みを過ごして下さいな。ではでは8まんでした。
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五条さん、おひさです。
私も幽霊はブラウン管のテレビで焼き付きが起こるアレみたいな感じのモノに思ってます。
人間は電気信号で動く生物。何かの強い現象にあった時に電気信号の残滓が肉体から離れたりしてしまうのかも。
それに無念の感情の電気信号を受信したナニかは地縛霊やら浮遊霊になるのかもと。
視える視えないはその電気信号のチャンネルの合う合わないなのかと思ってます。信じる信じないは視えない人には視えないのだから仕方ない。
とはいえ、人にはそういう事への畏怖がある。だから社や塚、お堂、墳墓を造り故人を偲ぶ。日本人ならではの感性。
お盆。そんな日に故人を悼む。そして生きてる事への感謝。ヲウス、景行帝の時代、人を押し退け上に立つ為に葬り去られた者達もきっと多かった事でしょう。古き時代に国を成そうと尽力し散った者に合掌。
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僕は、この裏盆に、霊峰白山を登山するはずでしたが、まさかの台風エンカウント😢
なので島根で出雲王の墓参りに来ております😌
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残暑見舞い申し上げます。
もうあまりに暑いので怖い話します。
あれは私が二十代前半の時の話になります。私はとある養成所に通うため毎週、日曜日には東京は飯田橋に出掛けていました。
普段ならば高崎線、山手線、総武線と電車を乗り継ぎながら飯田橋に向かっているのですが、その日はたまたま秋葉原から飯田橋まで線路沿いに歩いて行こうと思い実行しました。
そして私はその日、今でも忘れられない恐怖を体験することになったのです。
夏の暑い昼間、秋葉原からお茶の水に向かう道は坂道になっていて、私は歩道を汗をかきながら歩いていました。
私は進行方向のお茶の水を目指し、坂道の先に奇妙な違和感を覚えました。
何というか頭?顔が丸いのは分かるのだけど、その丸い何かは人の顔ではない何かが崩れてぐちゃぐちゃな何かで、何より頭から下が黒いシルエットのような状態。
それが、こちらに向かって進んで来てる。私はそれを見た時、背筋がゾッとしたもののその道を通らなければ目的地にはたどり着けないので、ナニかが進んで来る方へ歩くしかなかったのです。
歩みを止めず、こちらに向かって進むナニかとあと2、3メートル位の距離になった時に私は後悔しました。
人間ではない・・・人外。それがしっかり見える。顔は何というかぐちゃぐちゃで、大きな怪我をすると変色した痣が出来るが、あの色。そして頭から下は真っ黒なシルエット状態が確認出来る。ソレは真っ直ぐ私に向かって来た。
私はほんの数十センチに近付いたナニかを恐怖して目を瞑った。
そして、横をナニかが通り過ぎた時に私は今までにかいたことのない汗が吹き出したのを感じました。
目を瞑ってほんの数秒。目を開けた時には何もいなくなっていた。
そして後ろを振り向いた・・・。
いない・・・。暑かったせいか白昼夢かと思われた。
が、この後、総武線は人身事故で電車が止まっている事を知った時に、ひょっとしたらあのナニかはこれだったのかと何となく理解した。
また、戦争の傭兵をしていた人がテレビで、私が見たナニかと同じものを見た話をしていた。きっとそういうモノもこの世にあると思った実話でございます。
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8まんさん、おはようございます。
残暑見舞い申し上げます。
僕は幽霊というものを、見たことがありません。たぶん。
霊とは何かと考える時に、それは人の残留思念が作り出すものではないかと考えています。魂は肉体から離れた直後に霧散して、常世・あの世・阿頼耶識、なんかそんなものに溶けてしまうのだろうと考えるからです。
人は脳が異常にでかいので、死に際に現世に思念だけ残してしまう様な、そんなことがあるのではないでしょうか。他の動物の幽霊がほとんど存在しないことの理由でもあります。
まあ、そんなことはさておき、実際には生きた人間ほど恐ろしいものはないのですが、やはり幽霊にであうと、僕は叫び出してしまうでしょうね。
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