
2023年裏盆。
僕は墓参りに来ました。

こんな空洞があったんだな。

今日は少しゆとりがあったので、細かなところも見えています。

それにしても、相変わらず凄まじい氣配。
鳥居の前で、心を整えてからでないと、足が先に進みません。

「御陵神社」(ごりょうじんじゃ)と呼ばれる場所ですが、「御埼墓」(みさきぼ)にせよ、「御陵墓」(みさきぼう)、「ミサキブロ」にせよ、意味するところは同じです。

つまり、ツアーで訪れる様な場所ではないことは確かです。

2200年もの間、眠り鎮まる御魂。

遥拝殿はツーリズム化し、形骸化してしまいましたが、本日、こうして王の御魂に直接拝謁できました。

なぜ、鷺浦の伊奈世波岐神社が祀りを行わなければならないのか、富家伝承を紐解くと、その答えも見えてきます。

古代の歴史の真実を知ることは、より困難になってきました。
偽書をはじめ、日本には、あまりに誤った情報が多いのです。

真実を伝える遺跡は数少なく、その数少ない痕跡さえも、いつ消されゆくかわかりません。
でも大丈夫。

貴き王の命は儚くも短いものでしたが、かけがえのない、清らかな御魂を紡ぎ残してくださいました。
なので、いかに闇が世界を覆うとも、この泉が涸れることはないのです。
王の深い慈愛に心から感謝申し上げると共に、

いつまでも安らかであられますよう、謹んで申し上げます。
出づ芽、出づ芽、出づ芽。

初めて参拝した時は、出雲の北山山地縦走をした後でしたが
祈りを捧げた直後に朝が皮膚に染み込んだ様になり、ピリピリに染みたのを覚えています
伝承本ですと、竜山の銅鉱山の鉱脈に沿って開けられた穴(シュリンケージ採掘ほう?)に葬られた様な記述になっていますが、私は天宮山と同じで磐座の何処かに葬られたと思っています
洞窟では風葬になりませんものね
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出雲大社の位置から見て、こちらに眠っていてもおかしくないと思います。
ただ、位置が低いかなとも思いますが。
もう少し山頂付近でも良いのかなと思いますね。
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出つ芽とは、どういう意味なのでしょうか?
文章とお写真で神秘的な気分に浸れました。
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mameさん、おはようございます♪
インドのドラヴィダ族はアーリア人の侵略から逃れ、シベリアを抜け、北海道から日本へ上陸しました。
定住に相応しい平地はいくつかありましたが、彼らが行き着いたところは日本海に面し、冬には雪深いところでした。
なぜ彼らは、そこを定住の地としたのか?
その訳は斐伊川から良質な砂鉄が採れたからだといいます。
極寒の冬が過ぎると、その場所にも春が訪れます。
故郷のインドは熱帯で、濃緑色の常緑樹が繁っていました。
それに対し、ここでは春に芽吹いた森の色が、目にしみるように美しく感じられました。それで彼らはその地を「出づ芽」の国、「出雲」と呼ぶようになりました。
3は出雲族の聖なる数字のひとつであり、祝いの言葉として、出づ芽、出づ芽、出づ芽と三唱したそうです。
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なんだか素敵なエピソードというか素敵な文章💕
詳しく教えてくださり、ありがとうございます。
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