
今回の出雲旅の大きな目的のひとつが、X友で出雲在住の「あんでぃ@トリセツシマネ」さんとお会いすることでした。
「令和の小泉八雲にオレはなる!」
あんでぃさんは、他県から島根移住され、温泉旅館を経営されつつ、雲文化の魅力を日々、発見&発信されておられます。

松江のベジタリアンカフェBOABOAさんでランチを共にしつつ、数時間にわたって、とても濃く有意義な会話を楽しみました。
あんでぃさんは、出雲の土地と人柄の豊かさを実感されており、それを多くの人に知って欲しいと心を熱くされている方でした。

ギブばかりでなく、テイクばかりでもない、相互に補完しあえるご縁というものほど、貴重なものはありません。
そうした人との縁が、富先生にお声をかけていただいて以降は凄まじく増えてきています。
そのあんでぃさんが、僕に「五条さんは荒神ってどう考えてありますか?」と問われ、2箇所の荒神を紹介してくださいました。
そのひとつが「福富神社」です。

福富神社は山陰自動車道高架の北側の丘陵の住宅地に、ひっそりとありました。
「福富神社の現社地への勧請は鳥居松にあったのを、永享年中、社地替をしたものといわれます」と境内に表記。
寛永年中に社殿を焼失しており、資料などはすべて消失したそうですが、『雲陽誌』に「福留神社 吾田津姫を祭、寛永廿一年雷火のために本社焼亡、同廿二年建立棟札あり、・・・鳥居松とて古木あり」と記されているそうです。

祭神は「木花開耶姫命」(このはなさくやひめ)と「事代主命」。このカップリングも珍しいですが、そもそも出雲でコノハナサクヤヒメが祀られていることが珍しいと思います。

さて、お目当ては境内隅のこの階段。
あんでぃさんからあらかじめお聞きしていなければ、スルーしていたかもしれませんが、

そこには全く驚きの、荒神様がいらっしゃいました。

この根というか幹というか、網目の様になったその形状の異様さが目に入ります。

そして赤・白・黒と多種の樹木が絡み合う。

根元のあたりには、祠などが無造作に置かれています。

階段の反対側が正面の様ですが、なぜか金次郎さんもいらっしゃいました。

背後の杜の気配も濃密です。

神籬(ひもろぎ)の始まりは、王族の遺体を風葬のために吊るした木に、目印としてしめ縄を掛けたものだったといいます。

そのしめ縄が龍蛇信仰と相まって、わら蛇を巻きつける荒神信仰に変わっていったのでしょうか。

「社日碑」だと紹介されるこの石は、出雲地方でたまに見られますが、徳島や大分にある立石に似ています。

いつからこうして祀られていたのか、ミステリアスな荒神様でした。



「ぜひこちらにも行ってみてください」
あんでぃさんに教えていただいた、もう一つの荒神です。

そこは某ダムの傍にありました。

のどかな田園の中、

秘密基地の入口を探し見つけます。

浄めのための手水があり、

一歩踏み込めば、そこはいにしえの祈りの世界がありました。

中央の神木に巻き付けられた、わら蛇。

これは正しく、出雲の荒神様なわけですが、本体はむしろ後ろの

この龍の神木でしょう。

こちらはしめ縄が巻かれるでもなく、わら蛇を纏うでもなく、ただそのままの姿でそこにあるだけ。

存在感が半端なく、この神木がこの杜の信仰の対象であるのは間違いがないのですが、

ではこの神木の前に置かれた荒神様は一体なんなのでしょうか。

「荒神とは何なのか」確かにそう考えさせられる不思議な聖域でした。



荒神谷にやってきました。

荒神谷の名の由来は、南方近くにある三宝荒神を祭ったことによるものだと言われますが、

どうやらこれがそれの様です。

ここはX友の「かわち⛩みわ」さんから教えていただいた場所です。

ここも気配の濃い場所です。

ここは神木ではなく、石が御神体のようです。

夫婦岩を彷彿とさせる二つの磐座。

諏訪方面に詳しい「八ヶ岳原人」さんのサイトで、この荒神の紹介がされていましたが、本来はこの「神須佐男命」と彫られた石には、わら蛇が巻き付けられているようです。
荒神とスサノオは、結びつけられることがしばしばありますが、複雑な気持ちです。

しかし、タケミナカタも祀られているのは軽い驚きです。
八ヶ岳原人さんが「蛇体の諏訪明神・建御名方命が須佐男命の首を絞めている図式も…。」と書いてあることに思わず吹き出し、ちょっとだけ溜飲が下がった思いです。

ともあれ、荒神とは石だったり木だったりするわけですが、あるいは共通のわら蛇そのものが荒神であるということなのかもしれません。
荒神とはすなわち、出雲の龍蛇神信仰の形態のひとつであり、セグロウミヘビのミイラが進化した姿なのかもしれません。
