須我神社:八雲ニ散ル花 00.5

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「五条さん、須我神社のスガって、スガノヤツミミ王のスガじゃないですかね」

あんでぃさんにそう言われ、それもそうだよなと思い、再訪しました。

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「須我神社」(すがじんじゃ)は、島根県雲南市大東町須賀にある神社で、須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝えられています。
ゆえに、「日本初之宮」(にほんはつのみや)を謳う神社です。

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八岐大蛇神話は、スサノオの子孫である吉備族(フトニ大君と吉備津彦兄弟)が、オロチ族である出雲族を制圧した話であるので、それを知ってからは須佐神社須我神社には足が向かなかったんですよね。
でも改めて考えると、あんでぃさんのいう通りです。

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位置的には東出雲王家王国領深くに鎮座しており、スサノオ=徐福の子孫らが宮を構えられる場所ではないと思います。

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それに祭神は、「須佐之男命」と妻の「稲田比売命」、それに両神の子として「清之湯山主三名狭漏彦八島野命」(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)が祀られており、子神とはつまり出雲王国2代大名持で郷戸家祖の「八島士之身」(やしましの/八嶋篠)と、出雲王国3代大名持で富家祖の「兄八島士之身」(やしましゅ/八嶋手)のことで間違い無いと思います。
このお二人は、兄弟だったのでしょうね。

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つまり、ここでいうスサノオは、出雲王国初代大名持である「菅之八耳」(すがのやつみみ/八箇耳)王のことであり、クシナダヒメはその后、「稲田姫」となります。
おお、スッキリするー!

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であれば、出雲の法である「八重書き」がここで作られたというのも、とても納得できるのです。
いや~なんで今まで思い至らなかったかな~、(´-ω-`;)ゞポリポリ。

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須我神社の本殿には、

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太陽と、

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月の彫刻。

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こうして見ると、出雲的な、なんとも良き神社ではないですか。

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神魂神社の例などを考えると、元々は菅之八耳王の王宮だったところを、子の八島’sか、その子孫が神として祀ったのが始まりではないでしょうかね。

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境内はさほど広いわけではありませんが、そんな風格を漂わせています。

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近年、富家伝承も某動画サイトやSNSに取り上げられたりと、注目を浴びてきているようです。

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個人的には、おそらく富先生も同じ気持ちだと思いますが、都市伝説やオカルト・スピリチュアルの類いと同列には語ってほしくない気持ちがあるのですが、ともあれ富家伝承の存在が広く知られるのは重要なことだと思っています。

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そして興味を持った方が、大元出版の本を手に取っていただければ、富家伝承は、他の古史古伝、偽書の類とは一線を画するものだと、自然とご理解されることでしょう。
また僕のように、本を片手に聖地巡礼を楽しまれたなら、その思いは確信へと変わります。

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また、各事情は察しておりますが、少しでも多くの神社が、正しい祭神を取り戻されることを、心より願っております。
富家伝承に興味を持たれた方に、どうしても歴史の旅は難しくなりがちですので、この『偲フ花』が理解の一助となれば幸いです。

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さて、須我神社の背後にある「八雲山」は、当社とこの地の神奈備です。

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そんなにキツくない山ですので、ぜひ足をお運びいただきたい。
途中には、神泉「坂根水」が湧き流れ、108の煩悩にまみれたその身を清め祓ってくれます。

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そしていよいよ、夫婦岩と呼ばれる磐座が見えてきます。

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素晴らしい、三つ石の磐座は、まさに夫婦と子のサイノカミを表しています。

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根を絡ませる樹木も神秘的。

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ここは、須我神社の奥宮となっており、古来より須賀の地の総氏神として信仰されていたものだと云われています。

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ここも王家の埋め墓だったのではないでしょうか。
そんな神々しさもあります。

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スサノオがクシナダヒメを娶り、日本最初の和歌を歌ったというスガの地。

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それは菅之八耳王が稲田姫に、幸の神の喜びを歌った場所なのかもしれません。

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9件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU より:

    須我神社に初めて行ったときに、
    三気のお守りを手にして、
    2回目に行ったときに、由緒書きの八島の字を見て、管之八耳だと私も気づきました。冨士林先生の本を私も読み直して稲田姫のご実家がこの雲南の地、須賀の地、とありなんともスッキリしました。ここにコメントされてる皆さん全員が同じくスッキリされた、と書いておられ、なんだか同士のように思えて(失礼)嬉しくなりました。

    あの八島、という二文字、ほんとヒットですよね☺ 消さずに御子と書いて下さり残して下さった宮司さんに感謝ですね。

    長くなり恐縮ですが、
    ここからは、口伝から富家の外れて
    なんだか申し訳ないのですが。。

    幡屋神社という神社が須我神社の比較的近くにあり、そこの宮司さんのとある一族の方に聞きましたが、やはりハタとつく姓の方が多く(宮司さまにも結構おられ)その方は、私にユダヤ系渡来人がルーツだと、ご先祖やご家族の方から聞いてる、と言われて、私はもうたまげましたよ。

    また、須我神社に友達が行ったときに、謎の集団が研究しに来られていたそうです。その集団は、宮司さんに熱心に話を聞かれていたらしく。。そのグループの年長の方をみんな、作家の田中先生と呼んでおられたとのこと。ユダヤ人と徐福を研究されて、本を出版されてるそうです。
    11月にフィールドワーク、研究に来られていました。(友人情報)

    自分は中国語の講師をしています。
    1990年代後半に中国南方に留学中に蘇州は何度か行きましたが、まさか蘇にユダヤの。。なんて考えたこともありません。ただ、あの辺りは寒山寺とかを見ると、なんかこうユダヤというか、蘇州自体が東洋のベニスと言われてますけど、なんかヨーロッパというか、異国を感じさせるものはありました。

    いま、史記にトライしてますが、
    これを言うと何いっとんぢや?
    と引かれるかもしれませんが、
    どうも史記には、
    徐福は天照大神であるような書き方であるように見えました。そして蓬莱山は大山のことで。。

    ニギハヤヒとホアカリは同じで徐福のことであるというのも納得できますが、
    ホアカリは火明と書くから
    製鉄技術者で。。。となると、
    徐福は道鏡を重んじる方士であり、彼がマルチタスクだったとしても、製鉄技術まで持っていたのかな。。、と考えたら、(いや、徐福たたらの知識もあったマルチハイスペなのか?)

    でもやっぱり、ホアカリは
    徐福率いる集団の職人リーダーで、(施工管理技士のような)
    徐福はその集団のトップで(施工主みたいな)、そんな感じがして仕方ないのです。。

    ニギハヤヒは徐福、ホアカリも徐福
    かもしれないけど、いや、実は別の人物だったのでは
    とか。。妄想してます。

    考察は自由ですから(笑)許して下さい。本を書くとか、ブログを立ち上げる、とかまで考えてなくて、
    ただただ、地元のこともっと史実を知りたい。せっかく中国語の知識があるのだから、何かに活かせたら、定年後の楽しみにしたいなと思っています。

    五条さんの偲フ心シリーズが、
    楽しみ妄想のいい刺激と助けになってます。コメントはお手すきのときでスル~して下さっても大丈夫ですからね。お忙しい年末ですから。

    ホントに楽しい趣味を見つけました。山陰が見直されてもっと活性化してくれたらいいなあ、そのためには定年後何かボランティアででもできたらいいなあとは思っています。

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    1. 五条 桐彦 より:

      貴重な幡屋神社の情報、ありがとうございます♪
      考察は、固定概念から自由であるべきだと思います。そうでなければ、先の広がりを知ることはできませんから。

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  2. 匿名 より:

    何気に奥方の実家に月が祀られている事の皆さんのスガスガしいスルーがシュールw

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      あの月は、いつ頃からあるんでしょうね🤔

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  3. Osamaru より:

    いつも興味深く読ませていただいています。久しぶりにコメントさせてください。
    奥宮へお参りするときに、実は私もスガノヤツミミ/イナダヒメ/ヤシマの神様と念じてお参りしてしまいました。スサノオさまには失礼ですが、富家伝承の頭になっているので頭からすっかり抜けてました。

    富士林雅樹先生の「出雲王国と大和政権」にこうあります。
    「初代大名持は、各地の豪族の意見によく耳を傾けたことから、八耳王(菅之八耳)と呼ばれた。彼の后は、稲田姫という御方であった。稲田姫は、現在の須賀神社(雲南市大東町須賀)の地に実家があり、そこから王宮に輿入れしたという。」
    后の稲田姫の実家である須賀の地は、関係ないわけはないですよね。

    また、古事記(太安万侶/柿本人麿によって書かれたと伝わる)に、17代の出雲王名が書かれたと太安万侶が当時の向家に話したとのことですが、古事記の中でスガノヤツミミ王は、須賀の地のところに出てきて以下のような記載があります。
    「スサノオは大蛇をお切りになった ・・・ 須賀の地においでになって「私はここに来て、気分がすがすがしい」と仰せられて新居の宮を造ってお住みになった。 ・・・ ・・・ アシナヅチの神を呼び「わが宮の首長に任じよう」と仰せられ、稲田の宮主スガノヤツミミの神と名付けられた。」
    「わが宮の首長に任じよう」は「出雲王国の王/首長に任じよう」と思えてしまったり、「稲田の宮主スガノヤツミミの神」は稲田姫の主人はスガノヤツミミ王だと、太安万侶/柿本人麿がどうしても伝えたかったのではないかと思ってしまったのですが、私の思い込みでしょうか?
    古事記はこの後、スサノオの神裔として、稲田姫の御子の八島士奴美神、兄八島士奴美から布波能母遅久奴須奴、深淵之水夜礼花、淤美豆奴、天之冬衣、八千矛と、八代目大名持までの名前の記載が続きます。(9代目以降は大国主神の神裔のところに記載)

    この古事記の記述からしてもスガノヤツミミ王と須賀の地、須我(須賀)神社の関係は切っても切れないのかなと思ってしまっていますが、いかがでしょうか?

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    1. 五条 桐彦 より:

      こんにちは、Osamaru様。コメントありがとうございます。
      Osamaruさんのご明察のとおりではないかと、僕も思います。
      人麿は出雲王国の存在を、何とか伝えようとしていたのだと感じています。

      ところで、富士林先生が答えを書かれていたのですね。僕も何度か読んだはずなのに、なぜかそこはスルーしてしまっていたようです。
      おはずかしながら、時としてこのようなポンコツ具合でイヤになってしまいます。
      須我は稲田姫の里でしたか。当時は妻問婚でしたから、須我の地に婿入りして、須我の王ヤツミミとなったのかもしれませんね。
      それにしても、いやはや、富士林先生に怒られそうです😅

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  4. れんげ より:

    こんにちは。ご無沙汰しております。コメントはご無沙汰ですが、変わらず新規投稿があるたびに楽しませていただいております😀。

    須賀神社、”こうであって欲しいなぁ”と思っていたことを書いてくださいました😆!
    そうじゃないかなぁ? でも、知る限り大元出版の本ではそうは紹介されてないし…、とモヤモヤしていた神社でした。

    先日の記事で、八重垣神社も、実は何かあるのかも?と書いていらっしゃいましたが、そうであって欲しいと願っています。八重垣神社から神魂神社まで、それほど苦なく歩いて行きましたので、本来の出雲八重書きに関係する場所だったりしないかな(八重書きを決める話し合いをしたとか)、などと妄想しております。

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    1. 五条 桐彦 より:

      れんげさん、こんにちは♪
      長くご愛顧いただき、誠にありがとうございます😊
      ほんとうにね、僕もなんで今まで思い至らなかったかとしょんぼりしています。
      スサノオをスガヤツミミ王に置き換えると、全てが綺麗にまとまるじゃないですか。

      八重垣神社はですね、あるんです、たぶん。
      サクサ氏はですね、富家・郷戸家に次ぐ、あ、いや、どうなんですかね。
      その先日の記事ってところに、不自然な空白がありますので、ドラッグしてみたら、面白いかもです。

      そういえばまだ記事にしていませんが、和歌山の、名草戸畔聖地巡礼してきました。はっきりいってよくわかりませんでしたが、記事を書いているうちに何か見えてきますかね。

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      1. れんげ より:

        😳‼️
        面白かったです。ありがとうございます!

        いいね: 1人

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